Toshihiro Hoshi

総合型スポーツクラブ健康運動指導士。無類のサッカーマニア。子供の発育発達を深く勉強中。…

Toshihiro Hoshi

総合型スポーツクラブ健康運動指導士。無類のサッカーマニア。子供の発育発達を深く勉強中。ランニング指導が得意技。

最近の記事

できない、わからないの先に

自分は特定のスポーツが抜群にできたわけではないが、スポーツ遊びだけは小さい頃から好きだった。いつも疑問が湧いている状態が日常だったことを思い出す。 できない。 わからない。 あの同級生にできて自分にできないのはなぜか。そもそも自分のカラダを思い通りに動かせないのがわからない。 いろいろな能力が徐々に上がっていく実感がわかる中学生になると、自分が勝ちたかった相手たちはスポーツ種目を絞り始めてスポーツ遊びの世界に全く付き合ってくれないという事態になる。 おいおい勝ち逃げか

    • 得意なものと強みと

      子どもの特徴をよくみていくときに、好きなものが得意なものになることはすんなり想像できる。だが強み、すなわち世の中に通用するものの判断はむずかしい。本来、本人が決めるべきものなので、親はそれを決めつけてはいけないのだが、想像することは自由だ。そしてそれは自分のことのように楽しかったりするのだが。 小学校時代、遊びのなかで球技が好きだった自分は野球やサッカー、ドッチボールなどはすごく得意であった。スポーツ少年団の走りで、野球クラブがあったが入らなかった。野球だけしていては自分

      • 中学生対象 体育授業指導案ー走幅跳ー

        遊びでこんなのを書いてみた。 誰か走り幅跳びを習いに来てくれないかなあ。 今回は中学生体育編。 ①単元名  陸上競技(走幅跳) ②運動の特性  走幅跳という運動の特性は前方へ跳躍しその飛距離を競うというものである。その動作は踏み切り脚を突っ張りその時に起こる起こし回転(角運動による前方回転)によって水平方向の力を鉛直方向へ変換し跳び出すといった日常的に行う動作に全くないもので、普段から触れることがない感覚的な運動である。 ③生徒の実態  普段の生活は活発で運動部で活

        • 自分はザ日本人

          統計によると、、 昭和63年度全国平均 11歳 男子144.1㎝ 37.4㎏ 女子145.9㎝ 38.5㎏  14歳 男子164.1㎝ 53.6㎏ 女子156.3㎝ 49.9kg 17歳 男子170.3㎝ 61.8kg 女子157.8㎝ 52.7㎏ 自分は 11歳 146cm 39kg 14歳 167cm 56kg 17歳 170cm 63kg ということで、 中学生から高校生までは身長も体重も 標準中の標準。 ついでに調べると、 平成30年度全国平均 20歳

        できない、わからないの先に

          回り道こそすばらしい

          自分はごく普通の人間で小さいころから何かに秀でていたということはない。一つの基準である学力が優秀な子は中学で市外に出ることもあるが、クラスにひとりは「なかよし学級」の同級生がいるようなごく一般的な地域の中学校に通っていた。 そのことを少し思い出すと、ちょっとだけみんなについていけない一人の同級生の行動をよく覚えている。その彼は暗記するような学習は得意なのだが、思考力を問うものだったり、みんなで協調して進めるものだったりというものが能力的にできなかった。そして笑ってはいけない

          回り道こそすばらしい

          ニュートラルポジション

          骨盤、背骨、肩甲骨、頭などがいい位置にないとカラダはうまく動かない。毎日鉄棒ををしたり、走ったりすると調子がいい日とうまくいかない日が必ずあり、その状態を説明できるのが(自分なりの解釈でね)トレーナーとしては重要だと思っている。 そのタイミングでピラティスを習った。 自分自身としてはトレーニングの一環でフットサルも思い通りにできているし、冬にスキーも楽しんでいて、体の不具合はまったく感じていないのだが、インナーユニット(あの4つの深層筋ね)が上手に使えていないことがわかっ

          ニュートラルポジション

          大人になってからのスポーツの技術習得について

          スポーツをする中で基礎技術を習得するには早めにその競技を選びその基礎を反復することで身につけたほうがいい、というのが定説だ。とくにサッカーなどは足でボールを扱うので日常の活動や単なる遊びの中ではなかなか身につくものではない。一定のレベルのサッカー選手になるにはある程度の技術は少年期に早めに身につけておいた方がうまくいく。だが何歳から始めてもなってもある程度高いレベルの技術は身につくことをここでは伝えたい。 自分は19歳からクラブチームに入ってサッカーを始めた。初心者でも何も

          大人になってからのスポーツの技術習得について

          早期教育と専門特化

          自分はたまたま子供の時からスポーツが好きだったので、スポーツ指導者という職につく人生になったのだが、早期教育を受けていたらどうなっていたか考える時がある。 例えば遺伝子分析などをしたりして、特性を早めに決めてそのためのカリキュラムをくみ、より効率化された環境でスポーツに取り組んでいれば、ある程度高いレベルのアスリートになっていたかもしれない。だがその人生が必ずしも豊かとは限らないと感じる。 よく例に挙げられるのがタイガーウッズとフェデラーだ。 タイガーウッズは自分と同年

          早期教育と専門特化

          扁平足でも悲観することなかれ

          扁平足の特徴はアーチ(土ふまず)が沈んだ状態をいう。それは特徴なので本人は気にしていない。なので周りのものがわざわざマイナスな言葉がけをする必要はない。マッサージしようが足底筋(足裏の筋肉群)を意識して鍛えようがアーチはつくれないし、つくれないなかでの正しい動きを身につけることが大事なのだ。 確かにアーチは足の動きにおいて重要な役割をするが、偏平足の特徴をもっているからといって不具合があるわけではない。 アーチがあろうが、なかろうが、足の裏のほぐしや、足指のマッサージ、ア

          扁平足でも悲観することなかれ

          裸足かランシューか

          足が速くなりたい中学生サッカー選手たちに、ここぞという時に(もちろんサッカーではなく、単純な徒競走の場合)裸足で走る方が速いか、シューズを履いた方が速いか、聞いてみた。 だいたいの子はシューズを履いた方が速いと答えた。 ここでの答えは裸足の方が速いという結論にした。 裸足で走るとその感覚をつかみやすいフォアフット(つま先着地)を知っておく必要があると思ったからだ。そして今日は体育館を裸足で走ったり跳んだりしてみた。 フォアフットで走る感覚は誰にでもあるはずだが、現代人

          裸足かランシューか

          走幅跳、おもしろい。

          去年の話を回想する。「県総体、5m82(+1.9)で19位でした。」とメッセージが入った。それを見た瞬間、しっかり記録が残せて、やっと跳躍選手になったなあ、と感慨も一入(ひとしお)だった。本人はここで6mを跳べると信じていたので悔しいと思ったに違いないのだが。 6月4日にその中学校で中学3年生に健康づくりのための講義をしたあとに陸上部の顧問の先生に誘われてグランドに行ったことから始まった。「一人だけ、幅跳びの選手がいるんですけどちょっとみてください。跳躍練習の仕方をネットで

          走幅跳、おもしろい。

          努力は不要

          子供には努力家に育ってもらいたいが、その教育は困難を極めるものと言っていい。努力とは本人はそれを努力とは思わない場合が多いから、他人が介入しても正しい努力に至らない。 体験の数ほど重要な能力が勝手に上がっていくのが子供の特権であり、その能力の有り様が目に見えることが若者の可能性ということになる。 「成長」というと自分の数ある能力を絞り込み、可能性を狭めて特化していくことで伸びていく。**その結果が成功ということになるが、これはそもそも自分ではコントロールできない。

          努力は不要

          久保建英か中山雅史か

          苦手でも得意でも一定の「計算力」は人間が生きていくうえで多かれ少なかれ必要だ。そのために算数の授業で九九を訓練し、その技術をもって割り算に向かう。それは好きでも嫌いでも避けて通れない道である。 スポーツを楽しくやらせたいという親御さんの話を聞くと違和感が残ることがある。 野球をやるにもサッカーをやるにもまず楽しむための体力や身体を操るベースがいる。基本である九九を十分やっていないのに割り算や分数に進みたがったりする傾向が増えてきていると言える。別に例えれば、音読を十分しな

          久保建英か中山雅史か

          ユース年代の特徴。

          中学生を教えていて感じるのは、サッカーの中では相当広いプレーイメージがあり、大人が見えていないところまでしっかり見えている。この能力は中学生のときにもっとも伸びるところだろう。他の能力と共に、である。 だがそのぶんアスリートとしての身体感覚が低い。このコンディション(調子の良さ)はどこからくるのか、などの自分の状態を客観視する部分がないに等しい。陸上やスキーなどの個人競技の選手には当然あるものなので、これからそこを伝えていきたい。中学生からはそこの成長期に入るのだ。おも

          ユース年代の特徴。

          決戦が好きな国民性

          その種目の決戦で頂点に立った選手は素晴らしい。 高校球児の甲子園。 正月の箱根駅伝。 高校サッカー選手権大会。 それぞれの決戦のために努力して相手に勝ち続けることで特別な何かを得る。だがその決戦は終わった瞬間全てリセットされるような感覚がある。そんな儚さも日本人特有の美学なのだろう。 自分の中では決戦と考えると間に合わないことが多いので、いつもスポーツの戦いはリーグ戦だと思っている。その中で勝つことに全てを注ぐことは当然の準備だ。その結果負ける経験こそがあらゆる

          決戦が好きな国民性

          ブラックはホワイトに屈す

          昨今問題となっているスポーツ界のパワハラ問題も、威圧的にする指導者が選手に「勝つ」から起きてしまう。自分が幸運だったのは競技をやっていてそんな威圧的な指導者に全く出会わなかったことだ(無頓着?)。だからそのような理不尽な指導方法に反発するときに出るブラックなパワーを自分では生み出したことがない。 おそらく、このブラックパワーがスポーツ界では横行しているのだ。このパワーは即効性はあるが生涯通しての効果は限りなく低い。せいぜい学生の時だけ有効なものだといえよう。 それ

          ブラックはホワイトに屈す