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小学6年生のあの日、自由の香りをかいだ

12歳の私が、あの日々でかぎとったものは、たしかな「自由」の香りだったのではないかと思う。

私は石川県の能登地方で生まれた。小学生のときは、ひと学年にクラスが3つ。6年1組、6年2組、6年3組に分けられていた。ひとクラスの人数はうろ覚えだが、30人前後ではなかったかと思う。

私はぼんやりした子どもだったけど、小学6年生の時期だけ、比較的鮮明に記憶している。

担任の先生が、とても面白い人だったのだ。その先生は、T先生と文中では呼ぶことにする。

まず、T先生は本当は36歳なのに、子供たちの前では、明らかに嘘とわかるような感じで、26歳と偽っていた。これだけで子供には大ウケだった。児童からのツッコミ待ちだったのかもしれない。

先生は教師になる前に、世界の14か国ほどを旅していたそうで、海外旅行の話を、よくホームルームのときなどにしてくれた。一番強烈に記憶しているのが、先生が肥溜めに落ちた話だ(お食事中のかたごめんなさい)子供はそういう話が大好きだから、食いつきながら先生の話を爆笑して聞いていた。

先生が行ったインドやヨーロッパの話を聞いて、私たちは単純に海外に旅することに憧れた。いま思い返しても、T先生は破天荒だし、新しい考え方をしていたと思う。

6年生の四月に、まず、うちの組の生徒はそれぞれにおでんの具材の絵を大きく描かされた。ある子は大根、ある子はちくわ、ある子はたまご、という感じで。それを教卓上の壁に貼りだし、それぞれの自己紹介を具材の絵のなかに記入させた。

全員に、聖徳太子の似顔絵を描かせて、貼り出させたこともあった。同じ人物を描いても、一人一人の絵には特徴があり、ずらりと30人分の聖徳太子が並ぶと壮観だった。

また、国語の時間では、独特の例文で文法を覚えさせた。

「Yくんは、トイレで、うんこを流しました」とか。これを文節に切り分けていくのである。いま思えば、どんなに面白くてもしょうもなさすぎる気もする。だが、子供はうんこネタが大好きだから、やっぱりめちゃめちゃウケる。

また、当時は林間学校のようなもの(うちの小学校は何か違う名前がついていたが、思い出せない)で、なんと肝試しがあった。いまのご時世だと、絶対ないような行事のような気もする。(ないような、ばっかりだな!)

T先生は肝試しの前に、死刑囚が縛り首になったときに足が動く「死のダンス」の話をした。みんな、これから夜道を歩くのにそんな話を聞かされ、震えあがる。

男女二人ずつの班をつくり、夜の農道を男子が持ったあかりひとつでゴールまで歩く。私とペアになった女の子は、私の腕にずっとしがみつき、先頭をひとりの男子が無言で歩き、もう一人の男子はのんきに後ろを歌いながらついてきた。いま思い返しても、シュールだ。

T先生のクラスでは、だいたい笑いが絶えなかった。もめごともときどきではない頻度で起きたが。クラスの男子がお笑いグループを作って、ホームルームで発表してみんなを笑かせたり、私は当時のかけがえのない親友と同じクラスになり、いつも一緒にきゃっきゃと笑いながら過ごした。

あの日の、自分だって鳥みたいに空を飛べるんじゃないかとすら思えた「どこまでも自由」みたいな香りをかいだことは、当時のT先生の年を追いこしてしまった自分にとっても、いまだ大切な宝物だ。

先生が、あとから卒業文集で白状したところによると、私たち6年某組の担任をしていた1年間、胃薬が手放せなかったそうだ。先生の胃の痛みとひきかえに、私たちがのびのびやらせてもらっていたところもおおいにあったのだと、はじめて気づいた。

卒業文集にはこんなことも書いてあった。正確ではないかもしれないが、引用する。

「金八先生になりたいなあ、とこぼしたら、児童の一人から『T先生、6年某組金髪先生ならすぐなれますよ』と。あれは笑ったなあ」

先生も、私たちから元気をもらっていたところもあったのかもしれない、とちょっとホッとした。

中学校に進学すると、とたんに管理教育に放り込まれた。先生たちは真面目でいい人も多かったが、T先生のように破天荒な自由さで、授業をしてくれる先生は誰一人いなかった。

親友ともクラスが離れ、慣れないかたいセーラー服に身を包みながら、光がごそっとなくなってしまったみたいだと思った。中一のとき、ストレスから抜毛するようになり、ちょっとハゲたりしていた。

中二、中三と学年が上がるにつれ、だんだん適応できていったが、それでも、あの6年生の日々で感じた自由さは特別なことだったのだと、思い知るばかりだった。

いまだ、小学校のときの同窓会は開かれていない。

みんな環境が激変しているし、どこにいるか分からない人も多いと思うから、開催は難しいだろうな、とは思っている。

でも、心のなかで、ずっと6年某組での思い出は、きらきらと光ることをやめない。あの日みんなと、T先生を囲んで笑顔になっていた日々は、私のなかでずっと忘れないと思う。





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