見出し画像

一期再会

光陰矢のごとしとはよく言ったもので。
10年という桁の時間が過ぎていたことを、これほど意識していなかったことに驚いた。
ほんの一、二年ご無沙汰しているくらいの感覚だったのだ。
加えてこんなご時世。
ディスプレイには懐かしい顔がつい数日前にも映し出され、その人の今が手に取るようにわかる。
そのくせ、彼らといざ面と向かって再会すると、奇妙な心持ちになる。

それはまるで、浦島太郎のあの玉手箱のように、もくもくと時間という煙に巻かれていたような。

確実に年は取っているはずなのに、彼らは彼ら、私は私のしばらくを過ごしてきたはずなのに。
顔を合わせると、どうにもその「しばらく」が抜け落ちていて。
細かいところはすっ飛ばして、あぁ、相変わらずだな、と思う。

変わらないね。
そう言われることに、いつもかすかな疑問が過ぎっていた。
そんなにも長い時が経っているのに、変われていないことが、なんだかむず痒いような、そんな気がしていたから。
けれど、わかったような気もする。
変わらないということは、そこに安堵を認めてもらえているということかもしれない。
それぞれに過ごしてきた「しばらく」から抜け出して、懐かしい誰かに会ったときに欲しいのは、きっと誰しも、安堵なのだろう。

かつて大切な一時を共に過ごした人たちとの間にあった時間は、会わない間も続いていて。
顔を合わせたときに、「変わらないね」、そんなふうに口をついて出る。
そう思える相手が幾人もいるということは、じつに幸運なことだとつくづく思う。

また今度、が、また来るとは限らない。
ほんのすこし、無理をしてでも優先すべきことがあるとすれば、会えるときに会う、ということだろうか。





この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?