見出し画像

幸不幸。

昔から、「◯◯のようになりたい」という願望がない。
キラキラしたアイドルや、雑誌の表紙を飾るようなファッションモデル、憧れの先輩。
素敵だと思える人たちには数多出会ってきたけれど、彼らそのものになりたいというほどの思いに駆られることはなかった。

彼らと同じ服を纏ったところで、それは素敵な人の真似事でしかない。
彼らの振りを真似たところで、決してなりきれるわけでもない。
ずっとそう思ってきた。
けれども、今はこうも思うことがある。
もしかしたら、真似事を続けていたら、あるとき、その中に自分にしか似合わない何かを見つけることができていたのかもしれない、と。
そういうものを見つけるために、多くの人は誰かの煌めきを逃すまいとするのかもしれない。
素敵な人の魅力というのはさまざまだけれど、自分の中の魅力を発見する起点となってくれるのなら、それはとても力強い輝きに違いない。
煌めきの中にいる人は、誰からも幸せだと思われがちかもしれない。
さて実際、幸せなのだろうか。
そんな評価に相応しい日々を送っているのだろうか。

たとえばそれは何も、特別な誰かだけではなくて。

毎朝見かける女子高生、いつもベランダでタバコを吸っている隣人、颯爽と走り去る配達員。
すべての人たちが、それぞれの幸せと不幸せを抱えているはず。

どうか誰も勘違いしないでほしいと思う。
幸せも不幸せも、それぞれに、それなりに持ち得ている。

誰かと分けあえたようにみえる幸せでも、それは自分が誰かに触れて、感じて得た自分の幸せに過ぎない。
誰かに測られるものでもなく、誰かと比べられるものでもなく、その人だけのもの。

逆に言えば、誰にも、自分以外の幸不幸が幸せか不幸せかなんてわからない。
人はもっと自分だけの幸せを誇りに思っていいし、不幸せを悲しんでいいのだと思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?