ホシミ

ムダな思考が溢れたときに書く、日記のような感じのアレコレ。 2022/12/6からno…

ホシミ

ムダな思考が溢れたときに書く、日記のような感じのアレコレ。 2022/12/6からnote始めました。東京在住。

最近の記事

いい年こいてラージャン倒して大喜びするのはそれほどいけないことか

「いい年こいて何言ってんの」 これは最近友人に言われた言葉だ。僕がウキウキと伝えたことが余りにもくだらない内容だったので、こう返された。 僕は相当ウキウキとしていただけに、この言葉にかなりのショックを受けた。 そして怒りの余り我を忘れ、怒髪天を突き、その怒髪が金色に変化し、シュインシュインとオーラをほとばしらせながら「オレのことかー!!」と怒号を放ちそうになったが、言うまでもなく自分のことだと気づいてふと冷静になり、「アッハイ」と返さざるを得ないという、すこぶる酷い目に

    • 迷ったら心の中のルパンに従え

      例えば、あなたがルパン3世だとする。 突然何を言い出すのだコイツはと混乱するだろうが、ひとまずは受け入れて欲しい。あなたは今、ルパン3世だ。準備は良いだろうか、モミアゲが伸びた面持ちになれただろうか。 ルパンであるあなたが道を歩いていると、1万円札が落ちているのを見つけた。さて、あなたは拾うか、拾わないか。 「俺様ことルッパーン3世サマは大泥棒なんだぜ?そんな道に落ちてるような端金を拾うもんかよ」と鼻で笑い、その鼻息で万札を吹き飛ばすだろうか。 それとも「俺ルッパーン

      • 自己肯定感に「うるせー!」

        去年あたりまで僕はいわゆる『意識高い系の人』だった。 ビジネス書や自己啓発本を読み漁り、Twitterではポジティブで有益なことをつぶやき、「うおおお、自己肯定感!自己肯定感!オッスオラ人生を豊かにするマン!」とフガフガと鼻息を荒くしていた。 その時期のツイートはこんな感じだ。 ……おおお、なんかよくわからないけど良いことっぽいこと言っている……。 こういった、”なんかそれっぽい”ことを頻繁にツイートしていた。今思えば別に誰かを元気付けたいわけでもなく、単にインプレッシ

        • 冬眠ならぬ夏眠がしたい

          暑いんです。夏も終わる気配がしてるけど、それでもまだ暑い。 こう暑いと体調もおかしくなるし、頭がボーっとしてやる気が出ない。暑いのもきついし、クーラーで体が冷えるのもきつい。睡眠の質がガタ落ちして、一日中ぼんやりしている。今の僕はたぶんクリボーよりも弱い。 僕にとって夏は「何もできなくなる季節」になってしまった。こうなるともう、1か月くらい冷凍睡眠か何かでやり過ごしたい。 最近は気のせいではなく、年ごとに夏が暑くなってきてる。今年はさらに一段階上乗せされた感がある。今ま

        いい年こいてラージャン倒して大喜びするのはそれほどいけないことか

          スポーツは苦手だけど運動は好きというすべての人へ

          「スポーツが苦手。でも体を動かすのは好き」 こんな人は多いんじゃないでしょうか。 僕はスポーツが苦手です。いや、もはや苦手どころじゃない。 「お~いホシミ、野球やろうぜ」と言われでもしたら、額に脂汗がにじみ手が震え呼吸が浅くなり、結果的に居留守を使うと思う。もし僕が磯野カツオだったら、高頻度で野球に誘ってくる中島という男を「狂える野球鬼」と呼んで恐れているはずだ。 でももし「お~いホシミ、踊ったり走り回ったり、とにかくやたら動いたりしようぜ」と言われたら、「え、なにそれ

          スポーツは苦手だけど運動は好きというすべての人へ

          インターネッツのせいで癖(へき)が増えていってしまう

          子供のころからずっとマンガが好きなんです。長編だろうが短編だろうが、それこそ一コマでシチュエーションだけを描いているものだろうが。 今は昔と比べてSNSやPixivでマンガに触れる機会が増えた。その多くが商業向けではなく、それぞれの方が好きで描いているものだ。 エネルギーが『読者に受ける』ためじゃなく、『溢れ出る自分の好き・癖(へき)を形にしたい』ために費やされている。 僕はそういうのが好きでたまらない。 その癖が自分とマッチしないものだとしても、「好きなものは好きなん

          インターネッツのせいで癖(へき)が増えていってしまう

          「ここで辞めたら逃げ癖がつくぞ」には「自分は会社じゃなく才能の奴隷なので」と返そう

          仕事を辞めたいことを伝えた上司から「ここが無理なら、お前はどこに行っても通用しない」とか「一度逃げたら逃げ癖がつくぞ」とか言われる。 こんな話はSNSなどで定期的に話題に上り、その度になんやかんやと物議を醸している。 僕はこれらの言葉が本当にキライだ。 人間誰だって向き不向きがある以上、はまる型とはまらない型があるものだ。 向いてないことから離れることを「逃げ」と呼び、不要に罪悪感を煽るのもどこか卑怯に感じる。 じゃあわかった、ファンタジーな異世界の、王国に例えよう

          「ここで辞めたら逃げ癖がつくぞ」には「自分は会社じゃなく才能の奴隷なので」と返そう

          夏はアクティブに、なんてもう古い

          夏のイメージが『陽』とか『エネルギッシュ』とか『アクティブ』に偏るのは何故なんだろうか。 夏といえば、 「海でサーフィンだ~!バッシャーン!うわぁ~いアハハハハハ!」 とか 「やっぱバーベキューっしょ!プッハー!チューハイうめえ!」 とか 「キャンプだ!ファイアー囲んでロマンチック!あ!星!きれいぃ~☆」 みたいに、やたら元気いっぱいに過ごすでしょ?そうでしょ?という圧がある。せっかく夏なんだからアクティブにすごそう、という一体何が「せっかく」なのかわからない圧

          夏はアクティブに、なんてもう古い

          頭の中のカイザードラゴンを止めるのは、もうやめよう

          頭の中が常に忙しく動いている人は結構いると思う。 まさに僕がそれで、四六時中ずっと思考がポコポコと浮かんでは消え浮かんでは消えていっている。だからといってナイスなアイデアを次々思いついたり、多くの人をハッとさせるようなことを閃いたりすることはない。大体は無駄な思考というやつで、毒にも薬にもならないものばかりだ。 ついさっきも、コーヒーを飲みながら思考がハチャメチャなことになっていた。思い出せる限りはこんな感じだ。 キリがないのでここまでにしておくけど、こんなことが無限に

          頭の中のカイザードラゴンを止めるのは、もうやめよう

          コメダ珈琲店に対する畏怖と憧憬

          「明日は朝から雨。散歩行けない。オレ悲しい」 感情を手に入れたゴーレム風に言ったら、妻が「それじゃあ明日は朝イチでモーニング行こうか。コメダの」という提案をしてくれた。 そんなわけで今朝は「今日はコメダに行くぞ」とソワソワしている。 僕は何故だかわからないけどコメダ珈琲店に行ったことが一度もなかった。あんなにそこかしこにあるのに、たまたま行く機会がないままここまで来てしまったのだ。 今まで入る機会は無数にあったはずだ。 コメダ珈琲店はだいたい駅前にあるイメージで、人

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          どうも、ホシミです

          僕のホシミという名前は、実は本名だったりする。写真だけじゃなく名前までスカしてやがるぜ全く。 漢字は『星見』と大層カッコよく、かつロマンチックな字面である。自分でも非常に気に入っている。ご先祖様ありがとう。 しかしいかんせん珍しい名字のため、滑舌よく名乗っても「細見さん」と間違えられ、丁寧に署名しても「里見さん」と間違えられる。『星』の『ノ』の部分をどれだけ強調しようがダメだ。相手はまず「星見って名前はさすがにないやろw」と思ってしまうのだろう。 一時期ネットでキラキラ

          どうも、ホシミです

          盛るとか飾るとか、全部バレてるんだ

          上手い人ほどヘンに飾らない。 これは何事においてもそうだと思うんですよ。 そんなことは分かってる。でもついついやりすぎてしまう。無自覚にやってしまう。僕だけじゃない。最近ようやく気づいたけど、これ結構、みんなやっちゃってる。 世の中には「そこまでしなくてもいいのに」という表現や言葉がたくさんある。 多分だけど、「自信がない」というのがあるんですよ。根本に。 ちゃんと伝わってるか不安だから、必要以上に言葉を重ねてしまう。本当の自分は尊敬されないと思ってるから、エピソー

          盛るとか飾るとか、全部バレてるんだ

          カッコよくキメようとすると、必ず運命が有耶無耶にしてくる

          晴天の土曜日、朝日が眩しい6時半。 カーテンの隙間から注ぎ込む光に目を細め、軽く伸びをする。 顔を洗い、淹れたてのコーヒーを飲む。 そして思いっきりむせて、床がビチャビチャになった。 「うん、今日の豆はグホッヘブァッ!」ビチャチャチャ 「今日の豆はいいね。グアテマラ産かな?」などとCMのように洒落たセリフで一発カマしてやろうとしたのに、かつてないほど激しくむせた。うまくカマせたら更に「おはよう、小鳥さんたち」と続けてやろうと思っていたのに、何もかも台無しだ。 ちなみ

          カッコよくキメようとすると、必ず運命が有耶無耶にしてくる

          しょうがチューブは近接武器じゃない

          豚の生姜焼きを作ろうとしたが、生姜チューブを切らしていたことが発覚した。まったく迂闊である。 「生姜だけに、まったくしょうがないなあ!」 嗜みとしてのダジャレを真顔で叫んだ後、僕は近所のスーパーに走った。 鈍色雲に覆われた空は今にも雨が降り出しそうで、行く手を阻むように強い風が吹いていた。 スーパーについた頃には暴風雨の最悪の空模様になった。僕の持ち物は買った生姜チューブだけ。黄色く細長い箱を手にしただけの僕は途方に暮れたが、行くしかない。僕は飛び出した。 僕は走っ

          しょうがチューブは近接武器じゃない

          スタバでMacを開くことに、いまだドキドキする

          しゃらくさいことがどうにも恥ずかしい。なのにしゃらくさいことをすることに憧れがある。我ながらなんとも面倒くさい人間だと思う。 オシャレで、ハイソで、スタイリッシュ。爽やかで、健康的で、充実している。 なんにも悪いところなんかないのに、自分がそういうことをするとき、どうにも小っ恥ずかしい気分が拭いきれない。 いや、多分だけど、この気持ちは「恥ずかしい」じゃなくて「一緒にしないでくれ」というやつかもしれない。 ひと昔に目にした、「しゃらくささの極み」みたいなツイートをいつ

          スタバでMacを開くことに、いまだドキドキする

          理性を保つために米を断て

          ぽっぷんみゅーじっくぅ〜。 最近は21時には寝て5時半に起きるという、良く言えば健康的でハツラツな、悪く言えばジジイのような生活サイクルを送っている。 睡眠はバッチリとれているおかげで朝からモリモリ活動できるのはいいんだけど、そのせいで昼飯を食べた後あたりから猛烈な眠気に襲われる。 今日なんて朝からバリバリと活動した。起きてすぐにウォーキングに行って、帰宅後に筋トレして、その後プロテイン入りスムージーを飲み、そしてコーヒーを飲みながら心理学の本を読んだ。 「うわあ、な

          理性を保つために米を断て