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スポーツは苦手だけど運動は好きというすべての人へ

「スポーツが苦手。でも体を動かすのは好き」
こんな人は多いんじゃないでしょうか。

僕はスポーツが苦手です。いや、もはや苦手どころじゃない。

「お~いホシミ、野球やろうぜ」と言われでもしたら、額に脂汗がにじみ手が震え呼吸が浅くなり、結果的に居留守を使うと思う。もし僕が磯野カツオだったら、高頻度で野球に誘ってくる中島という男を「狂える野球鬼」と呼んで恐れているはずだ。

でももし「お~いホシミ、踊ったり走り回ったり、とにかくやたら動いたりしようぜ」と言われたら、「え、なにそれ楽しそう」とドアを開けてしまうと思う。


僕は中学時代、どういうわけかテニス部に入っていた。

入部の理由は「思いっきりボールを打ったら気持ちよさそう」「ラケットの面が広いから適当にスイングしても当たるだろ」という舐め切ったものだった。兄がテニス部だったのでお下がりのラケットがタダで手に入ったことも大きかった。


実際にやってみて、テニスというのはラケットを適当に振るだけではダメなスポーツだった。

ラケットの面を傾けて、ボールに回転をかけるなんていう技術を求められるのだ。なんというか、ボールを、撫でるような?感じで?ドライブ?を?かけるの?あ、ドライブじゃなくてドライ”ヴ”?ほ~ん。

さらにはコートのラインからボールがちょっとでもはみ出すとアウトになる。思いっきり打ったショットが偶然相手のコートにズバッと決まった!と思ったら審判役の同級生が「アウト~」と笑ってはいけないシリーズみたいな声を上げるのだ。薄目で見たらだいたい入ってるんだから「まあ、だいたいセーフ~」くらい言ってほしいものだ。

上手・下手で部内の序列が決まるのも本当に辛かった。上手い奴のグループはどんどん幅を利かせるようになり、僕含む下手グループはコートの隅っこでドラクエの話をするしかなかった。

3年間よく続いたなと自分でも思うが、とにかくスポーツをやることに対して「難しい」と同時に「窮屈」と思うようになってしまった。


たぶんだけど僕は、いや僕に限らず「スポーツ苦手、でも運動は好き」という人は、あらゆるスポーツに存在するルールとか技術とか競争にがんじがらめにされることが根本的に苦手なんだと思う。

僕らは、もう「僕ら」と一緒にさせてもらうけど、僕らはきっと、真に自由を求める人なのだ。ルールに縛られないという規律からの自由。他人と競争しないという比較からの自由。心の赴くままに体を動かす理性からの自由。

そうだ、スポーツマンになれない僕らは、魂の自由を求める、詩人なのだ。スポーツマンに引け目を感じる必要はない。できない自分に落ち込む必要はないのだ。野球鬼・中島に誘われた野球で豪快に三振しても、「フ、いい風を起こせた」と言い放てばいいのだ。


思いっきり自由に走って、疲れたらその場でへたり込む。そういうのでいいのだ。「走る」じゃなく「走り回る」が好きなんだ。僕はもうボールにドライヴ回転をかけるより、思いっきりスイングして手からすっぽ抜けたラケットを笑いながら拾いに行く。


こうなると、もはや犬に近いな。




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