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25年前に見えていた資本主義の未来|「文化資本の経営」|きのう、なに読んだ?

『文化資本の経営』は1999年に世に出た本だ。著者の福原義春さんは、1997年まで10年間、資生堂の社長をつとめ、その後も同社の会長、名誉会長であった。本書は絶版になっていたが、このたび復刻出版された。(私も推薦の言葉を寄せた。)

25年前の経営者が書いた本にいま、私たちが注目すべき理由はなにか?


25年前に提言されていたパーパス、ESG、人的資本

いま本書に注目すべき理由、それは、パーパス、ESG、人的資本といった今の時流で取り沙汰されているコンセプトを、これからの経営が取り組むべきこととして、25年前に明記しているからだ。本文から引用する。

「社会に対して、人類に対して、文化に対して、商品や価値をどうつくっていくのかということは、企業の大きな目的であり、そこへ向けての活動が多くの人々に受け入れられることによって、企業にとっての経済活動も可能になる。」

『文化資本の経営』

これは、まさにパーパスを中心とする経営のことだ。
次は、こちら。

「自然や社会から分離してここまできて限界にぶつかり停滞をはじめた経済を、今度は逆にに自然や社会との一体化の方向へ動かすことで引き上げていく。」
「 経済は、人間や他の生命にとってよりよい自然や社会を再構成し、建設していくという新しいステージにある。」

『文化資本の経営』

ESGという概念が全くない時代に、ESGのコンセプトを端的に示している。

さらに、こちらは人的資本の中核概念を言い表している。

「社員一人ひとりは、決して会社という全体組織にとっての一つ一つの歯車ではないというところから、個人の個性を生かした組織のあり方、組織を生かした個人のあり方を展望していかなくてはならない」

『文化資本の経営』

では、改めて本書をいま読む意義はどこにあるのか?

それは「文化資本」という1999年に福原さんが打ち出した仮説によって、2023年の私たちが見ている資本主義と経営に関する複数の課題に一本の筋が通るからだ。

文化とは何か。資本とは何か。

パーパス経営、ESG、D&Iなどは、単にバラバラと発生したキーワードなのではない。資本主義が転換点を迎えていて、これからは「文化資本」が牽引する時代だ。そうした構造変化の結果として必要になってくるものが、例えば今で言うパーパスであり、ESGであり、人的資本だ…と福原さんは書いている。(1999年の本なので、パーパスやESGという用語ではないが。)

私の理解を説明しよう。

まず、福原さんは「文化」をさまざまな言い方で説明している。いくつか引用する。

  • 文化は、芸術芸術や学術・思想に限らない。

  • 文化は、感性や知を蓄積しながら常に生成・発展する生き方である。

  • 文化とは、「異質な相反する物事の出合い」によって生み出される。

  • 異なった文化の出合いや混合では、葛藤や対立が起きることが大事。

  • 文化への理解がないと、定義づけられた世界と現実世界の落差が起きる。

  • 文化の発信とはこちらから知っていることを伝えるのではなく、あちらの内部に眠っているものを掘り起こしていくこと

では「文化資本」とは何か。なぜ文化が「資本」になるのか。

株式会社の原型は、一人ではできないことをみんなでやろうと、仲間が集まりお金を出し合ったことだ。そこでは「より快適な生活環境をつくるためのアイデア」も出し合った。つまり、お金とアイディアはセットだった

アイディアは、その人の感性と知性の蓄積から生まれる。そして前述の通り、文化とは感性や知を蓄積しながら常に生成・発展する、ある集団の人々に共有される生き方のことだ。つまり、原初の株式会社では、お金と、お金の出し手たちが育んできた文化がセットで「資本」として事業に注入された。

「自然や社会」は具体、「商品」は抽象。

時代は下って20世紀にもなると、いつでもどこでも同じ財・サービスを受けられるような動きが経済を発展させた。本来、自然も社会も場所によって様々なのだが、そこからある部分を取り出して財・サービスを作り、拡大再生産した。そのようにして自然や社会から分離した「商品」の世界が、経済が拡大する原動力だった。場所によって異なる自然や地域社会を「具体」とするならば、「商品」の世界は「抽象」だ

例えばマクドナルドのハンバーガーは、世界中どこでも同じだ。しかしあのハンバーガーは、もはや、発祥の地のダイナーで出していたものとは異なる。そこで出していたハンバーガーを原型に、世界中で均一になるように「抽象化」したものだ。

福原さんは、そうした抽象化した「商品」が行き着くところまで行ったと指摘している。これからは、むしろ場所によって異なる自然や地域社会という「具体」を生かす財・サービスづくりが、経済の原動力になっていく。

資本=お金+文化

資本も、抽象的な「商品」を神様のように崇める「商品宗教」とでもいうべきものに陥っている。しかし資本とは本来、お金と文化のセットであり、「商品」よりもっと具体的な力を持つものだ、というのが福原さんの主張だ。

「商品の論理から離れ、原点の資本の論理へと復帰しないと、これからの企業は成り立たないのではないか」
「もはや、商品を中心に企業経営を考えていく時代は終わった」
「商品中心から資本中心へ、そして経済資本中心から文化資本中心へという転換」

『文化資本の経営』

資本は、本来はお金と文化のセットである。「商品」を崇め利益第一の経済資本から本来の資本へ、中心を転換すべきではないか。本来の資本を、経済資本から区別するために「文化資本」と呼ぶ。そういう話だ。

もう一度整理すると、ここでいう文化とは感性や知を蓄積しながら常に生成・発展する、ある集団の人々に共有される生き方だ。「常に生成する」ので、生成する場がある。「ある集団の人々に共有される」ので、固有のものだ。文化には、場と集団にひもづく性質がある

資本主義に、新しい多層的なシステムの可能性

資本=お金+文化。こう捉えると、パーパス経営、ESG、人的資本といった取り組みはバズワードではなく、「文化資本経営」という奥深い経営哲学を土台にし、歴史の流れの転換に沿って位置づけられる取り組みだということになる。

資本主義について、福原さんは次のように書いている。

「資本主義はもうだめだというのではなく、新しい多層的なシステムへの可能性が、いまようやく出てきたのです。」

『文化資本の経営』

本書を初めて読んだ時から、非常に刺激的だと直感した。多くの企業には、実は、働く人たちがまるで機械のように設定通りに動くべきという暗黙の規範がある。でも本当の人間は、場や環境の影響を受けるし、感情や思い込みも大事な原動力だ。福原さんは、そうした人間の本性を肯定する人間観・歴史観と、知性と感性を組織に蓄積する意思を本気で持っていた経営者だ。

しかし本書では、「資本」「文化」「商品」などの用語の使い方が私が日頃親しんでいる用法と異なるせいか、理解が難しかった。2度、3度と読み返し、自分なりの解釈が進んできたところだ。

私の理解は、著者の意図とズレている可能性は十分ある。お気づきの点があれば、ぜひ教えてください。

今日は、以上です。ごきげんよう。

*この投稿は、「資本主義のアップデートについて考える Advent Calendar 2023」に参加しています。

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