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日本社会には「江戸時代」の仕組みが残ってる(『中国化する日本』) | きのう、なに読んだ?

近代とは何か。日英Wikipediaを見ると、ざっくりこんな感じ。
⚫︎中世と現代(1945年〜)のあいだ
⚫︎初期近代 (early modern) と近代がある。初期近代は近世とも呼ばれる
⚫︎日本では、応仁の乱〜江戸時代を初期近代/近世、明治維新〜太平洋戦争終結を近代としている
⚫︎欧州では、東ローマ帝国滅亡〜産業革命〜フランス革命を初期近代/近世、フランス革命〜第二次世界大戦終結を近代としている
⚫︎中国では、宋〜明〜清を初期近代/近世、アヘン戦争〜国共内戦を近代としている

概念的な定義というより、欧州の社会変化を主軸に起き、それに準えて日本や中国などの時代区分をしたように見える。

定義の議論はあれど、現代の社会の形のもとは近代にある。言い換えれば、その社会の近代がどういう形を取る可能性があったか、それが歴史の分岐点のひとつになったと言える。

ここに『中国化する日本』という本がある。初めて世に出たのは2011年だそうだ。

本書は、日本の近代の政治・経済・社会の形には、江戸時代の姿のほか、もう一つの選択肢があり得たことを示している。そのもう一つの選択肢とは宋時代の中国の体制だ。「専制君主+自由市場競争」という特徴がある。江戸時代に日本で完成した「派閥談合+農村コミュニティー」とはだいぶ趣が異なる。著者は前者を「中国化」した社会、後者を「江戸時代化した社会」と名付けた。下のスライドをどうぞ。

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中国はもちろん、アジア各地は近世・近代は「中国化」した社会だった。日本の近世・近代においても、例えば足利義満、豊臣秀吉、松平定信など、「中国化」(専制君主+自由市場競争)を目指した権力者は出てきたが、都度、結果的にそれとは異なる「江戸時代化」した社会(派閥談合+農村コミュニティー)を希求する勢力が盛り返して単発で終わった。

ここで、本書で著者が定義する「中国化」「江戸時代化」の特徴を見ていこう。

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ここで留意したいのは、「中国化」「江戸時代化」のあいだは優劣はない、ということだ。それぞれにフィットする社会状況がある。もうひとつ留意したいのは、どちらもフルセットでワンパッケージであること。したがって、社会の要請とパッケージが不適合な状況では、問題が起きる。さらに、異なるパッケージのパーツをいいとこ取りしようと混合した時も、問題が起きる。ここも著者の主張のポイントだ。

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本書では、ここまでの概念説明は冒頭のごく一部で、大半は、源平の戦いあたりから現代までの日本史を、この「中国化」「江戸時代化」のフレームを使って読み解いていたものだ。著者の軽妙な文体と、常識や権力者をからかうトーンに助けられ、ぐいぐい読み進めることができた。著者の講義を下敷きにしたものだという。こんな面白い授業、うらやましい。

ここでは非常にざっくりと、著者の日本史読み解きをスライドで紹介する。

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それぞれの歴史上の出来事や人物がどうして「中国化」要素、あるいは「江戸時代化」要素なのかは、本書をぜひ読んでください。ここで確認したいのは足利義満や豊臣秀吉の構想した理念と体制が次世代以降に引き継がれたなら、日本の近世は「中国化」した(専制君主+自由市場競争)かもしれない、ということ実際、その時代のアジア諸地域では、中国の影響を受けて「中国化」していたのだから。近代でも、著者は、明治維新は「中国化」パッケージで始まったのに、内閣総理大臣の位置づけが不明瞭のまま大日本帝国憲法が制定されるなど、「江戸時代化」(派閥談合+農村コミュニティー)の動きに切り替わったという見立てをする。特にここは、「江戸時代化」の力の強さ、根深さを感じた。このとき、もっと天皇、あるいは内閣総理大臣に権限が集中する憲法になっていたら、「中国化」(専制君主+自由市場競争)はより深く明治日本社会に浸透し、現在の社会の姿も違ったものになった可能性がある。

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太平洋戦争中から戦後、そして現代までの特徴は、55体制ができてからの20年を除き、ずっと「中国化」「江戸時代化」が混合していることだ。先に触れたとおり、著者は、「異なるパッケージのパーツをいいとこ取りしようと混合した時、問題が起きる」と指摘している。2つの体制を混合してしまっていることが「失われた30年」の背景にある、という主張だ。

現在の日本では、「江戸時代化」はさすがにもたない。「中国化」に未来があるのではないか、と著者は示唆する。文庫版の巻末にある著者と宇野常寛さんとの対談では、「中国化」にリベラルの理念を組み合わせた社会が望ましいのではないか、という内容だった。私の勝手な解釈だが、リベラルとは「あらゆる人を大切にする」理念と理解している。言い換えれば、「中国化」には「人権」の概念がないので、その点をアップデートする、という意味合いに捉えた。とすると、「中国化」+リベラルな社会は、市場主導で、ネットワーク化された人間関係の社会を基本としつつ、ベーシックインカムのような個人単位の公的福祉を志向している、ということか。試しに、このような整理をしてみたが、どうだろうか。

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本書「中国化する日本」は、以前読んでnoteを書いた「1940年体制」、「日本社会の仕組み」と合わせて、現在、私が感じている課題感のルーツを探るのに、とても参考になる本だった。また、「中国化」「江戸時代化」のフレームは、藤野秀人さんが「ビジネスに役立つ『商売の日本史』講義」で「海彦」「山彦」に準えているのを彷彿とさせた。

今日は、以上です。ごきげんよう。




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