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道化師


西野 夏葉さんが企画して下さった
アドベントカレンダー2022、
Day5を担当させて頂きます。
星雫々( きらら )と申します🥂

錚々たる筆者の方々のなかで
ここに一作を置かせて頂けること、
本当に光栄に思います。
沢山の作品の中のピースになれれば嬉しいです。
お時間頂きありがとうございます🚬

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12月24日、新宿駅、23時。


ヒトの形をしたパーツの断片が通り過ぎてゆく。ここの夜は、私という個が独り歩きできる場所になる。例えば僕がボクという存在を誇張したからと言って、対岸からやってくる者もそれは同一の状態で比例する。フェアだと思う。目には目を。そういう場所だ。

蜘蛛の巣のごとく張り巡らされた路線の数々各々めざし、それらは可も不可もないまま散り散りになる。僕はずうっと分からない。この世界が逆さまになるまでこんな悠長に生きる人々が変わらず呼吸をし続けることも、ちゃちなクリスマスソングが毒ガスみたいに空気を包み、夜闇に吐き出される煙草の濁った煙の行方さえも。

散り散りになったそれらと同一に、僕はスニーカーの踵をズルズルと地面に擦らせる。誰にもなれない、何物にもなれないこと。それは呪いだと思う。自分が何者にも変え難いことは、僕という存在の証明者を失うということでは無かろうか。いつか愛した人は、いつもどこかへ視線を放り、その先は僕に理解なんてできなかったし、結局それらを掴めないまま手放した。それは彼女の口許から吐き出された煙を追いかけたところで掴めるものでは無いということ。そういうことなのだ。数少ない模倣形態の僕達は、あえなくたどり着かざるを得ない明日へとその重力を連れるしかないのである。

東南方面から出る予定だったあの夜、心が定まらず、僕は少しだけつま先を転換して東口方面へと足を進めた。雨上がりだった。無駄にコンクリートは安っぽいネオンで煌めいていて、狂った魚が得た水は思ったよりも深かったようで、虚ろな眼を辿っていくとこの画鋲の針の如く小さな穴から抉られた世界は痛いほどに冷静な祈りをあげた。僕はどうかしていた。

そんな瞬間なんて、たかが進行方向を直前で変えてしまうなどといった、140字のネタにさえ出来ないような安安しい悪さなど人間には数多存在する。それをその通りだと認めないだけで、パーツの端々に同化した瞬間に、踊り狂うそれらは道化師にも似た空虚を感じさせ、明日が今日を忘れられない馬鹿げたサーカスにさえ思えてくるだけ。

油断すれば引っ掛けてしまいそうな足下に注意しながら、階段を駆け上がり、アルタの横を走り抜け、殴り書きされた落書きの数々は瑣末な僕に瓜二つだなァなどと呑気なことを脳内で吐きながら、すっかりシャッターの下りてしまった店舗の数々に踵を返し、やはり走り抜けた。水溜りが偶に行く手を阻むのが鬱陶しい。弾ける視線の先に、君は居ない。



信号に引っかかることも無く横断歩道を渡り、ドン・キホーテ横を通過する。キャッチセールスへの注意を促す相変わらずの歌舞伎町のアナウンスは何の効果をもたらす予感も無く、不埒でフェアを投影、僅かなる広告塔と化していた。

野良猫一匹程度しか通れそうもない隙間には飲みかけのシャンパンの瓶やら枯れ果てた花束やらが棄てられており、その上には有名ブランドの紙袋等等が幾つも投げ込まれていた。

廃棄物を傍観するだけが、それが、誰かの感情を汲み取るなどといった馬鹿げた奉仕にはならないことくらい安易に理解出来ていた僕は、誰かの瑣末な愛さえ知らぬフリしてTOHOシネマズへと足早に向かい、到達した横断歩道を渡る目先、エスカレーターの下に項垂れる女と目が合った。

女の髪は胸下あたりのストレート。真っ赤なワンピースに、グロスブラックのヒール。嘘みたいで、まやかしを思わせて、そして現実だった。映える瞳、爪には潤むような艶があり、形のいい唇には深い紅が乗せられている。

すぐにそのぶつかった視線を逸らすことに成功して、出来るだけもう一度その瞳と相容れないよう十分注意しながら、僕は横の上映時刻が刻まれたスクリーンを横切ろうと静かに抜けた。だが、不運にも周りに人気【ひとけ】が無いようで、先程まであんなにもホストクラブやなにかの勧誘が漂っていたはずなのに、なぜかピンポイントにここにだけ人が居らず、当然の理で女は此方を再び仕留め、通りすがる直前で僕の足首を掴んだ。獲物を見つけた猫という表現もありきだが、哀しき熱の放出先を探しているという表現にもおもえた。


「…ちょっと、」
「…」
「離してもらえます?」
「…ゃァだ、」
「ハア?」


今時流行らない、駄々を捏ねた女児が甘えるように、間延びした声で女は応えた。そんな声で捕まる男がいるわけねえだろ。と、まあ、そんな言葉を脳内にこそ逡巡させたわけだが、物理的には掴まれており、ちょっとおねーさん、と呼びかけると「ナンパ野郎」と一蹴され、散々な目に遭って腹を立てていたら間もなく寝息が聞こえてきた。本当に信じられない。

掴まれた脚を解放するには今この瞬間でしかないと思い直し、掴まれた左脚を解かせるべく地面にはりつく右脚に力を入れたのだが、有り得ないほどの力で掴み取られているようでそれは叶わなかった。こんな細い身体で一体どんな力込めてるんだよ。敵わない力と適わない状況。僕は諦めて隣に腰をおろした。


人間、本当に困惑した時には冷静な判断を欠かずに居られる。スマホを開くと間もなく日付が変わる時刻が暗闇に表示された。どんなイルミネーションよりも、スマホに浮かび上がった0:00が美しいだなんて感じてしまうのは僕の美的感覚が麻痺してるからだろうか。チカチカと光る電飾と喘ぐ不埒が衝突を遂げるこの場所でも、僕の感情に確約はない。だが、居場所という箱はここにあるのかもしれない。

スマホを眺めたり、ゼンマイの壊れた玩具みたいに流れ続けるアナウンスに耳を傾けてみたり、なんなり、女を凝視してみたり、女が少し動くたび甘い香りがして、奥には辛く刺すような煙草混じりの、芳しい香り。そしたら綺麗に伸びる睫毛に吸い寄せられそうになった邪念を払ってみたり、そんな暇の潰し方をしていたところ、いつの間にか此方にも睡魔が移ってしまったようで、途切れた意識の最中で女は誰かの名を呼んだ。





× × ×




目を覚ました時には白んだ空、そして冷笑する空気、連なるように冷えきった視線が此方に注がれていた。25日、クリスマス当日。本番はイブに集結されたような風習は一体どこから来るのだろう。食いちぎられた七面鳥が堕落して行く姿を、僕達は傍から眺めるしかない。



「誰、キミ」
「…はァ?」



いくら意識を手放していたとはいえ、流石に数時間前の記憶くらい明確にある。特に見たい映画もないのにTOHOを目指して、そしたら酔っ払いの見知らぬ女に捕まって、それで、それから、やはりそう考えたら此方はただ被害を蒙っただけである。それなのに不審者扱いなど、とんだとばっちりではないか。





「ま、いーや」




此方が真剣に解説言葉を考えているにも関わらず、女はもう既に白んだ空のごとく場面を簡単に切りかえて煙草の先に火をつけた。隣に居る見ず知らずの男に何か疑問を与えるわけでもなく、女は淡々と言葉を続けた。唇を尖らせて吐き出した煙は、いつかの女に良く似ている。多分、彼女も僕の影を誰かに重ねた。




「あたし、どこから来たんだろ」
「…」
「ね、君はどうしたいの?」
「ハ?」
「こんな日にここにいるってことは君だってそういうことなんでしょ、どうせ。」
「……別に。そもそもそういうことならここにいないですよ、たった一人でこんな日に。」



そう答えると、女は俄に動揺して、そして掬うように僕の瞳を捕らえ、フワア、と大きな欠伸をした。女がどこから来たのか聞きたいのだが、そうやって話を広げていくことに意味なんて感じられなかったのでやめた。子供の頃よりずっと、こうやって噤むことが多い気がする。
僕は零すようにしてその視線を外し、立ち上がった。上から見下ろした女は消えそうに儚く、そして強く降り注ぐ雨を思わせた。



「……奇遇だね、私もだよ。」

「……」

「今日なんだったのかもわかんなくて、」




酔っ払いの酒は抜けていないようで、見ず知らずの男に女がこぼし始めた言葉は地面に敷きつめられたグレーのタイルに吸い込まれてゆく。



「んでね、そういう日は映画を見るんだ」
「…なに、見たんですか」


こんな時に与えるべきなのはこんな言葉なんかじゃないのだと内心は理解しているが、結局種類の問いかけくらいしか話題に乗ってみせることは出来なかった。



「結局ね、わかんなくなっちゃって、どのタイトル見てもピンと来なくて、こんなんじゃ映画も見られないんだもん、もう終わりだよね」



ふふ、と女は笑った。他人の笑った顔から特段なんの魅力も活力も感じられないはずなのだが、この瞬間だけは肯定的に感じられ、少しだけ感情が揺らいだ。揺さぶられることで僕は誰かを憎まずに済む。


白んだ空はすっかり明けて、やるせない女と鬱々たる男の形をしたパーツがそれぞれ散り散りに去ってゆく。この場所には疎らに人が集まり始め、僕達の異様な関係をパーツどもは横目で観察した。なぜか僕は、その視線を受け取るようにして穿き返すと、気味が悪いというように肩を竦め、人はまた去っていった。


そういった刹那にもこの女の感情は変遷を遂げたようで、立ち上がって、砂もついていないのに太腿辺りをはらい、財布ひとつ入っていないであろう小さなカバンからスマホを取り出した。時間を確認して届く通知をスワイプで消していく姿がどうも切なげで、この美しさのどこかに宿る痛みは誰にも消せはしないのだと悟った。


「じゃーね」
「…また会えますか」
「まさか。こんな失落早く忘れようよ」
「なら最後に、一つだけ聞いていいですか」
「なに」
「本当は酔ってなかったですよね」
「さあね、メリークリスマス。」


そして女は裾を翻し、冷たい風を吸い込んで喧騒に消えた。取り残された僕だけが映画を見損ねたピエロと化した。本当の道化師は誰だったのだろう。開けられもしないプレゼント、明日にはもう値引きシールが貼られるサンタクロースのオモチャ。どうかした僕の思考は誰の世界も変えられない。歌舞伎町、8時。


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