恋のうたのころ/江戸雪

夕方の5時頃、喉が渇いて2階のリビングでお湯を沸かしていると、3階のルーフバルコニーで物音がする。そういえば少し前から頻りに鴉が鳴いていることに気づき、嫌な予感が胸をよぎる。急いで階上にあがり磨りガラスのサッシをそうっと開けると、やはり鴉がいた。そばにはボロボロになった箒と、散乱している黒シダ…。そのシダは先ほどまで箒の柄に結えられていたものだ。ああ、そうだった!昨年も同じことを(たぶん)同じ鴉にされたのを思い出すが、あとのまつりだ。

鴉は春先から巣作りを始め夏前に卵を産む。つまり3月のちょうど今ごろは巣の材料を集めているのだ。どうやら柔らかい黒シダは巣の材料にもってこいらしい。箒が風雨に傷まないように庇の下に置いているバケツとサンダルの陰に塵取りと一緒に立てかけていたのに、かしこい鴉にちゃっかり見つかってしまった。

しっかり結えられているシダをあんなにバラバラにできるなんてすごい力だなと感心しつつ、鴉と睨み合いになる。鴉はそのまま去る気配はない。それで、わたしがサンダルを履こうとすると数メートル後ずさる。それでも黒シダに未練があるらしく、こちらの様子を伺っている。しばらく睨み合っているうちにもう一羽やってきた。二羽と一人、鴉が優勢だ。それでも箒を救わねばならぬ。意を決しサンダルを履いて鴉に近づいた。するとすぐそばの電信柱の方に退いた。バサバサとすごい羽音だ。それに怯むことなくわたしは箒を取り返した。

家のなかであらためて箒を見ると、シダが疎に食いちぎられ、まるでピアノの黒鍵と白鍵のように見える。それにしてもボロボロだ。こんなことをする鴉はなにかと嫌われやすい存在になるのもわかる気がする。だが、わたしは鴉の脅威を感じつつ、いつもなんとなく嫌いになれない。鴉には鴉の事情があるのだろうし、とおもってしまう。

鴉はずいぶん昔の平安時代からどこか嫌なもの扱いだ。『源氏物語』のなかの若紫の巻で、光源氏が十歳になる若紫(紫の上)を垣間見る有名な場面がある。おしゃれな平安貴族たちは、香炉の上に籠を被せてその上に衣服を載せて香をたきしめていたらしい。まだ幼い若紫は、その籠を鳥籠がわりにして雀を飼ってかわいがっていた。しかし悪戯好きの犬がその籠をひっくり返したので雀がにげてしまった。そして、気落ちしている紫の上のそばにいた女房がこう言った。
 
   「いづかたへかまかりぬる。いとをかしうやうやうなりつるものを。烏   
   などもこそ見つくれ」
    (雀の子はどこへ行ってしまったのでしょうね。どんどんかわいくな
    っていたのに。烏などが見つけでもしたら大変です)
 
ここでも、かわいがっていた雀の子を襲う脅威の存在として鴉があげられているのであった。

そんな鴉はときに人間を襲ったりもする。だがそれは、卵から孵った雛が無事に巣立つように守ろうとして気が荒くなるからだそう。春先から夏にかけてのことである。都会に住む鴉もいろいろ戸惑っているのだろうと、また鴉に肩入れしてしまう。なんだなんだ、わたしは鴉の生まれ変わりなのか?

そんなあれこれをおもいつつ、友人にもらった桃フレーバーのコーヒーを淹れていると、人間のわたしも子育ての時期は心身ともにひどく荒れていたなと思い出す。気持ちの揺れ幅がそれはそれは大きく、どこか攻撃的な気持ちになったり、自分を必要以上にまもろうとしていたようにおもう。

いったい自分の何をまもろうとしていたのか。それは心であったかもしれないし、身体、あるいは存在といっていいのかもしれない。仕事と家事と子育て。あっという間に終わる一日、身体も気持ちも疲れきって眠ってしまう毎日。そんななかで、自分がそこにいる、ということを確認したいといつもおもっていた。

短歌においても、子どもや社会を詠うだけではどうにもおさまらない。そこでわたしは無意識に恋愛のうたをたくさんつくった。小説やエッセイの登場人物、兄、友だち、友だちの恋人、あげくのはてには子どもの友だちまで、あらゆるひとをモチーフにして恋のうたをつくったのだ。それは現実逃避とはちがう。現実でもなく夢でもないけれど、それでいてどちらでもあるような、現実と夢の間にある何でもない空間に存在している自分だった。

そのせいで、これは笑い話だが、子育てをしているのに恋をしていると受け止められ、シングルマザーだとわたしを言うひともいた。誰からどうおもわれてもいい、どうでもいいとおもっていたので、わたしは否定することもせず笑っていた。

恋のうたはいい。つくるのも読むのも好きだ。恋のうたに触れると心の中がメレンゲみたいに柔らかくあたたかくなったり、ぎゅうっと固まってしまうこともあるけれどそれはそれでやはり林檎のような果実となって胸に匂う。子育てに忙殺されていた頃のわたしは、理屈や常識なんか役に立たない、衝動や勘をはたらかせる恋こそが生きていると感じられることだったのだろう。もっとほかにも生きている実感を得られる方法はあったはずだと、冷静になったいまはおもえるが、当時はそんな余裕さえなかった。

そして、子どもは歳を重ね、家を出て独立した。なんだか素敵なひとと住んでいるらしい。あんなに近くに息づいていた生き物が、いまはもう友だちのようにおもえる。そして、わたしには、わたしの時間と存在がすこしだけ戻ってきた。それなりに忙しい日々ではあるが、恋愛のうたをがむしゃらに作っていたころとは違う。もう恋愛のうたをつくろうとあまりおもわない。
 
  ゆるやかな坂たしかめて君とわれつめたき自由たずさえていく 
                    『駒鳥(ロビン)』
 
こどもが8歳くらいの頃、つまり17年前につくった恋のうただ。ちっとも自由なんて感じていなかったはずなのに、「自由」であるかのようにうたっている。現実味のない「自由」だったから、「つめたき」とつけたのだろう。坂を上るわたしの隣にいたのは誰なのだろう。もうひとりのわたしだったのかもしれない。そう思い出すと、うたは自分に翻って突き刺さったり、ときにはふわりと包んでくれるものらしい。もう今のわたしにはこんなうたは詠えない。それが寂しいようなうれしいような。

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