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挫折は己の成長のもと

 今日の午前8時ごろにこの世に生を受けて20年経った。この20年間は、早かったとも遅かったとも言えないようなものだなと、ふと振り返って思う。まあ私は小学校2年生くらいまでの記憶がほとんど残ってないので、実質12,13年くらいしか生きた記憶がないものだ。幼稚園の頃の記憶などは持ってほかない。
 現在、日本人女性の健康寿命は75歳ほどだ。その健康寿命の3割も生きてない私、星乃澪月という人物を大きく変化させた出来事は、この20年間で3回ほどあった。この3つの出来事は、その当時の私にとって"この世の終わり"を指しているものと言っても過言ではなかった。
 時系列に見ていくとすると、まず最初の出来事は小学校4年生のころのことになる。私は同級生に虐められたのである。何にせよ記憶から消したい出来事なので、少し曖昧な部分もあるが、思い出しながら書いていこうと思う。
 いじめと聞くと、とても壮大なものを想像するかもしれないが、私が受けたのは「無視をされる」「してもいないことをしたと決めつけられ詰められる」「悪口を言われる」くらいだ。まあいじめを"くらい"で表現するのは良くないと思うが、今私が振り返って判断する分には大丈夫だろう、と思う。なぜ虐められたのか。それは大縄の練習に参加しなかったからだ。理由がなんとも小学生らしい。
 当時の私は、気が弱すぎて自己主張が悪い意味で全くできないタイプだったので、当然苦しんだ。ある日姉のマンションを訪れている時に、この階なら死ねると思い、自死を決意した。しかし、私を苦しめた人間が何の制裁も受けないままでは、私は何年経っても成仏できないと思い、急いで遺書を書こうとした。だが、姉の家だ。どこに紙が置いてあり、ペンがどこにあるか全くわからないのだ。そうこうして、探している間に姉がお風呂から戻ってきてしまい、私の自死は残念ながら延期されることとなった。まあ、この後はドラマみたいに教師が介入し、時間とともに解決した。今は理由がわからないが、その虐めてきた子たちと"地元のいつメン"として仲良くしている。定期的に私を苦しめた悪魔なのにと思うが。
 この件で、元からなかった自己肯定感というものが、跡形もなく無くなり、性格は歪んでいった。

 次の出来事は、己の学力の低さに絶望したことをきっかけに、夢がなくなったことだ。これは中学校2年から3年生にかけての出来事になる。この時期から連想されるのは"受験"だと思われるが、全くもってその通りである。
 私は小学校のころから常に通知表はオール5であり、テストも90点以上は当たり前のような生活を送っていた。このような評価をされると、私はとても賢いのではないかと思い込まされてしまう。そう。私は思い込まされていたのだ。
 中学生となり、某大手の塾に通うことになった。そこで私は己の学力の無さを実感させられたのだ。中学校の初めてのテストである、1学期中間テストで、学年1位を取った私は、某塾では1番下のクラスに割り振られた。なんだこれはと、私は私に絶望した。なぜこのようなことが起きたのか。それは私が住んでいる地域の学力がとてつもなく低いだけだったのだ。
 絶望というのは、将来への希望を全て奪っていった。母や祖母から「澪月ちゃんは賢いから、お医者さんになれるね」などと言われ続けていた私は、ここでどう足掻いても無理に決まってると決めつけ、夢を捨てた。いや、別に自分から進んで見つけた夢ではない。9割は母たちから貼り付けられた夢だった。残りの1割は本当になりたいと思っていたのかもしれない。ここでは夢(仮)と表現するのが妥当だろうか。だから、いとも容易く夢(仮)を捨てることができたのだろう。
 貼り付けられた夢だったため、自分で夢を見つけるという行為がわからず、中2で夢を捨てた後、卒業まで夢を自分で見つけることができなかった。私は母たちが敷いたレールの上を疑いもなく歩いていただけなので、行きたい高校も見つけることができなかった。否、見つける前に母が決めたというのが正確かもしれない。
 自分に可能性などないと思い込んでいた15の私は、敷かれたレールの上を歩く方法以外わからず、無事に自称進学校の高校まで敷かれたレールの上を歩ききった。今私が、自分で決めるより他人に決められた方が、楽かもしれないとふと思うようになったのも、これが原因かもしれない。

 最後の出来事は、己の容姿に嫌気がさし、己の全てを否定し、人間不信になってしまったことだ。これは高校1年の終わりから2年にかけての出来事である。高校1年の終わりに何があったのか。そう、コロナが現れたのだ。未知の病気が現れたことで、私たち人間は恐れ慄いた。その結果、不要不急の外出は禁止され、不要不急ではない、通学もできなくなった。
 生徒から学校を奪うと何が生まれるのか。それは"暇"である。暇は人間とって大切なものである。しかし、暇がありすぎたのだ。SNSに入り浸り、加工された可愛い人の容姿と私の容姿を比べ始めた。これが、地獄の始まりだったのだ。
 「私の顔はなぜこんなにも長く、汚いのだろう。目は細いのに、鼻は主張がすぎる。頭蓋骨がデカく、脚は短い。」などと考え始めると、マイナスな思考が止まらない。己の容姿など今すぐには変えられないのに、私は"今"変わることを望む。このジレンマが私を苦しめた。
 己の容姿に嫌気がさしてから、その嫌気は内面にまで至った。「なぜこんなにも捻くれた性格なのだろう。なぜこんなにも自己肯定ができないのだろう。こんな私なんて誰も好きになるはずがない。」そう思い始めてから、今まで仲良くしてきた友人や、家族まで信用できなくなっていった。この時点で自分はおかしくなっていると、気が付けばよかったのだが、暇と希死念慮に囚われた私は気がつくことができなかった。
 6月に入り、学校が再開された。もちろん、精神状態は異常なままだ。古典の担当が以前の先生と変わり、とても厳しい方に変わった。精神状態があまりにも終わっていたので、私は耐えることができなかった。
 そう、ぎりぎりで耐えていた糸が切れたのだ。糸が切れた日は、朝からいつもよりおかしかった。高校に到着した私は、溢れてくる必死に涙を堪え、朝の小テストの勉強をしていた。必死に頭に詰め込もうとしている英単語は、私の願いに聞く耳を持たず、右から左へと流れていく。私は、真面目だ。今すぐにでも保健室に行けばいいのに、小テストを受けないなんて有り得ないと首を絞めた。小テストをぎりぎり受け終えたところで、私は担任に「精神的に限界なので保健室にいってきます。」と伝え、早足で保健室へと向かった。
 保健室に着いた途端、私は号泣し名前も伝えぬまま、ただ死にたいと呟いた。養護教諭の方たちもびっくりしただろう。今思うと申し訳ない。養護教諭の方は優しく話を聞いてくれた。その当時の私は、死にたいとしか考えられなかった。なぜ死にたいのかはわからない。ただ、この世から消えてなくなりたかった。ひたすら泣き喚いた後、スクールカウンセラーを受けることになった。もちろん涙は止まることを知らない。何を話したのかさっぱり覚えていないが、カウンセリングが終わった後は、何かすっきりしていたような記憶がある。
 その後何回かカウンセリングを受けた。家族にこの状態を話した方がいいとのアドバイスを受けた私は、母に手紙を書くことにした。直接話すなんてできない。涙が出てくるからね。要約すると、「今私は毎日死にたいと思っている。訳もなく涙が出てくる。カウンセリングを受けている。死にたいなんて思ってごめんなさい。」という手紙を書いた。私は心配されると思っていた。そう過信していた。
 手紙を渡したその夜、母にドライブに誘われた。行きたくなかった。しかし、行かざるを得ない。あのような手紙を渡したのだから。母は、私に言った。「死にたいなんて思ってるのすごく残念やわ。そんなの気持ちの問題じゃない?」と。私は耳を疑った。え?今、なんて?訳がわからなかった。味方でいてくれると勝手に思っていた。そう思っていた私が悪かったのだ。それ以降の会話は、耳に入ってこなかった。
 このドライブを機に、私から笑顔というものが消え去った。私には、気持ちの悪い容姿と気持ちの悪い性格と意味のない涙しか残らなかった。この話を聞いた父が心配をし、私にお金を渡してきた。私は絶望した。今必要なのはお金じゃないだろうと。死にたいと思っている人に、お金を渡して何が解決するのだろうか、私は絶望した。
 カウンセリングを受け続け、友人にも事情を話したことで、友人は私にとって信頼できる人となり、少し正常に近づいた。時間が経つとともに、私は自分に期待することをやめたことで、逆に精神が安定し、私は無事人間に戻ることができた。

 この3つの出来事は、最初に述べたように地獄であった。しかし、私に恩恵をもたらしてくれたものでもある。私は精神的に成長したのだ。そう。私は挫折を経験したことで良い意味でも悪い意味でも成長したのだ。
 今私の思考の根底にあるものは、私より価値ある人間が優先されるべきだというものだ。私よりも母の方が価値があり、弟の方が将来性があるので価値がある。私はこれ以上大幅に成長することはないだろう。また、家系内においてもそこまで価値のある人間ではないので、私の優先順位は低い。命に価値をつけるな。これはごもっともな意見である。しかし、こう醜く考えてしまうのも、18歳で死のうとしていた私なのだから、仕方のないことだろう。ここまで生きてるだけで可愛いものだろう。
 もちろんここまで希死念慮が高まってしまった人間なので、定期的に希死念慮に囚われることもある。でも仕方ない。これが私なのだから。ネガティブ思考になりすぎることもある。でも仕方ない。これが私なのだから。

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