「私の死体を探してください。」 第33話
神永進様
神永先輩、今どんな気持ちでしょうか? どんな感情でこのUSBを差し込んだのか想像すると、わくわくしてしまいますが、これが神永先輩の元に届いたということは、私は予定通り、三島に殺されてしまったのでしょう。
驚かれていますか?
それとも混乱していますか?
私はブログで自殺をほのめかしていましたから、殺人事件とは誰も思っていないはずです。恐らく私の行方不明では警察もさほど動かなかったでしょうね。
長い話になりますが、ゆっくり読んでいただけたら幸いです。
私は人の感情も、自分の感情も、名前をつけるのに時間がかかる人間で、問題をずっと先送りにしてきました。
覚えていないのですが、子どものころ父親から受けた虐待の後遺症のようなものかもしれません。だから、人の感情や自分の感情を見つけるために、幼いころから、本を読んできたのだと思います。
いつしか、自分でも人の感情を想像したり、物語を想像したりするようになりました。
ところが登場人物の感情を理解するのは簡単なのに、自分の感情はなかなか理解できるようになりませんでした。それは私の大きな欠点でした。
そして、一度得た感情はじっくりと噛みしめて確認するのです。
なんのことだか分からないかもしれませんね。
私にとって、人生で最初のショックは親から愛されなかったということです。親の愛情を向けられなかったので、そういうものを理解するのに苦しみました。
そして、友情。
これも、あの四人に……。いいえ、佐々木絵美さんに出会うまでは味わったことのない感情でした。
私たちは寒さに身を寄せ合う野鳥のように、つらさや空しさや諦観を共有していました。
その、なんと温かかったことか。
ずっと五人でいられると思っていました。
苦しくても、悲しくてもそれをずっと分け合い続けるのだと。得がたい友情だったと今も思います。
四人が死んでしまった時の、私の絶望は誰も理解できないと思います。あれほどの強い感情はもう抱くことがないと思っていました。
あの事件の日。集団自殺計画をたてるほど行き詰まった私たちでしたが、あの瞬間は、誰に何を言われようとも、青春の一ページとして私の心に残っています。あの日はそれくらい楽しかった。
ええ、私だけが楽しかったのです。
みんながそれぞれ別のものを飲んでいたと知ったときの驚きと悔しさは昨日のことのように思い出せます。
でも、あの幸せな空気の中で死ねた四人をどこか羨ましいと思ったものです。
あの時、誰か一人でも生き残っていてくれたら、私の人生は違ったものになったかもしれません。
四人をなくした私は空っぽのまま、大学生になりました。遠縁の大叔母が「白い鳥籠事件」で私の存在を知り、一緒に暮らすことはしてくれませんでしたが、学費を援助してくれました。親に縁のない私だけが、みんなの希望していた東京の大学に行き、一人暮らしをすることになりました。
私は嬉しさよりも罪悪感でいっぱいでした。
私だけがあの事件の当初の目的を果たしたからです。
自分たちの現状を世間に知らしめて大人たちに変わってもらい、夢をつかむ。
「白い鳥籠事件」で四人が死んでしまったせいで、連日全国ニュースで騒がれました。
その恩恵を私だけが受けている。
もし、あの事件がなかったら私は進学していなかったかもしれません。
東京の大学に来てからも私は友人を作ろうとは思いませんでした。何度も何度も、四人の日記を読んで四人の感情を想像していました。
そんな私を創作サークルに勧誘してくれたのは神永先輩でしたね。
いつも、一人でカフェテラスにいる私を、不憫に思ってくれたんだと思います。
私は目立たないサークル会員だったと思います。皆さんが話しているのを後ろで聞いているのが好きでした。
ああでもない。こうでもないと色んな話をしていましたね。
三島もその中にいました。あのサークルにいたメンバーはみな堂々としていて自分の意見を持っていました。
私はあの当時、抜け殻のような状態でしたから、自分の意見がぶれない人が素敵に見えたのです。
みんなキラキラ輝いているように見えました。その光につられて、私は小説を書くようになりました。
私が小説を書くようになって、部誌に掲載されるようになると、三島は急に距離を詰めてきました。
神永先輩、覚えていませんか? 神永先輩と私が二人で話していても割り込んできました。
特に神永先輩が私の作品を褒めたときには必ず割り込んできました。
「でも、僕ならもっとここを描写するね」
とか、
「この登場人物いるかな?」
とか、とにかく何か一言、言わずにはいられないようでした。私はこのときに大きな勘違いをしています。
私の作品に関心があるから、足らないところを教えてくれるのだと、善意なのだと信じていました。
私はもっと神永先輩の言葉を信じてよかったのです。
「三島先輩の書いたものも読んでみたい」
と言った時に三島は、
「僕は習作は見せないから」
と言ったのに納得した自分が今も許せません。そして、三島は冬休みがはじまる前のある日、酔いに任せて私のアパートにやってきました。
何度帰るように言っても、三島は帰らず、居座りました。そして、そこからなし崩しに関係をもちました。
私はこの時も自分の感情を読み間違えてしまいました。
部屋に招き入れたのは私です。それに、三島に少なからず好感はあったので、このまま三島と付き合うことは当然のことだと思いました。
三島と結婚してから数年後、取材で心理学者の近藤良子先生にお会いしたとき、雑談で私と三島のなれそめを冗談めかしてお話したところ近藤先生の表情が曇ったのでお尋ねしました。
「近藤先生、どうかされましたか?」
「とても、言いにくいことなのだけど、いいかしら?」
「どうぞ」
近藤先生の目は真剣でした。そして、何度か躊躇ってから、とうとうこうおっしゃったのです。
「森林さんと旦那さんのなれそめなんだけれど、私はそれはデートレイプだと思うの」
「デートレイプ? ですか?」
「あなたは旦那さんに性交を強要されてそれに同意していない。それはたとえ、夫婦間であっても、恋人同士であってもレイプになるのよ」
「そんな。夫はそんな人じゃあ……」
近藤先生は短くため息をつきました。
「そうね。これを指摘するとたいていの女性が、今のあなたのような反応を見せるの。でも、一度ちゃんと考えてみた方がいいかもしれないわ」
近藤先生に指摘されたことを私はすぐに忘れました。きっと、自分の愚かさに、これ以上気づきたくなかったからです。男女のことや夫婦というものがどんなものかも、私は分かりませんでした。でも、それがどういうものかを分かっている人も、実はかなりの少数派なのではないでしょうか?
私は三島がこれを作ったら喜ぶだろうなあとか、これは三島が好きだろうなあ。などと、私のそばに三島がいないときに考えるのが好きでした。自分にもこんなに純粋に、誰かのひとときの笑顔や、喜びのために、何かを考えるときのときめいた気持ちは居心地のいい感覚でした。それまで味わったことのある「友情」ほどの感情ではなかったかもしれませんが、疲れたときに口に放り込むチョコレートほどの効果はありました。
話が前後してしまいますが、私と三島はそういう風になし崩しにはじまって、創作サークルのメンバーにも公認された関係になりました。
神永先輩はいつも心配してくださいましたよね? 神永先輩には私には見えていないものが見えていました。
三島が私と付き合いたかった理由は恋愛感情ではなかったのだと思います。三島は神永先輩に褒めてもらいたかったのだと思います。
当時は気づいていませんでしたし、今こうして自分で言うのも自意識過剰みたいで、お恥ずかしいのですが、神永先輩が一番期待していた後輩は私だったと思います。
少なくとも、三島にはそう見えていたのではないかと思います。
付き合いはじめて私のアパートに当然のようにいつでも上がりこむようになった三島は、私が作品を書いているそばから、あれこれけちをつけるようになりました。そうすると、私はなかなか書き進めることができませんでした。
そのことを何度も神永先輩に相談しましたね。どうにか私が書けるように、三島に見せるものと、三島に内緒で書く作品、二つを同時に書くようにアドバイスして下さったのは神永先輩でしたね。
私が三島に隠れてようやく長編を書き上げたとき、とうとう、見せていない小説があることに気づかれました。
ノートパソコンにUSBを刺しっぱなしにしたまま家庭教師のアルバイトに行ってしまったのです。ワンルームの玄関を開けると、三島の背中が目に入って、ぎくりとしました。
第1話から最新話までまとめて読めます。
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