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「私の死体を探してください。」   第29話

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三島正隆【5】

 池上沙織が動かなくなるまでかなり時間がかかった。火掻き棒で殴ってから首を絞めるつもりだった。でも、池上沙織はなかなかしぶとく抵抗を繰り返したので、絞殺は断念して、頭を狙って殴り続けた。

 リビングの毛足の長い絨毯に池上沙織の血が点々と飛び散っている。絨毯は僕が選んだ一品だ。白だった。麻美は汚れるからと嫌がっていたが僕はどうしても白が良かった。気に入っていたんだ。でも、麻美が言った通りに汚れてしまった。これじゃあもう燃やすしかない。

「うるさい女だったな」

 もうしゃべることのない女を見下ろした。

 さっきまで生きていたとは思えない。力を失った肉は驚くほど小さかった。

 結構可愛くて好みだったんだ。あれやこれやよくしゃべり、うるさいところだけが難点だった。

 思えば麻美もうるさい女だった。さらに言うと母さんだってうるさい女だ。

 どうも僕の周りにはうるさい女しかいないようだ。僕はキッチンの奥にあるごみ置き場に向かった。捨てようと思ってゴミ袋に入れておいた寝袋を引っ張り出す。少し臭うような気もするが、ないよりはましだろう。

 まさかこれをもう一度使うことになるとは思わなかった。東京のマンションから麻美を運んだ時に使ったものだ。要するに麻美の死体が入っていた袋だ。

 これに入れてからスーツケースに入れて、地下駐車場まで下りた。だれも怪しむものはいなかった。

 麻美が入った後に入れるのだから、麻美のストーカーだった池上沙織だったら喜ぶだろう。それにしても、むかつく話だ。麻美の遺書によると池上沙織は麻美に近づくために僕と寝たということになる。

 ものすごい性悪女だったということだ。

 本当はバンドのボーカリストと付き合いたいのにとりつく島がなかったから、ベーシストと付き合ってボーカルに近づく隙をうかがう女と同じだったということだ。

 池上沙織は性悪な上馬鹿だ。
 実際にそんなことをしたら、ボーカリストもベーシストもそんな女の悪行を放っておくはずがない。なんらかの形で制裁されるか、ぼろぼろになるまで利用されるかだ。実際、池上沙織は僕ら夫婦に利用されたと言っていいだろう。

 そして、池上沙織は本当に愚かだった。

 真実が知りたいあまりにしゃべりすぎたのだ。殺人犯と言われた殺人犯が、秘密を知る人間を黙って帰すはずがないじゃないか。

 僕は寝袋を広げ、池上沙織の足下にかぶせて一気に引き上げる。途中でひっかかると、死体の下にクッションを入れて傾斜を作って何とか押し込んだ。麻美を入れるときよりずっと早く入れることができた。これで地下室まで引っ張っていけば家の中が汚れることもない。

 池上沙織は両親が事故死していて、頼ることのできる親戚もいないのだと前に麻美が言っていた。まるで麻美と同じ境遇だった。

 だから池上沙織は麻美にのめり込んだのかもしれない。残念ながら麻美の方は池上沙織にまったく共感しなかったようだ。

 とにかく、池上沙織は会社も辞めている。ここに来ることを誰かに言ったということもないはずだ。きっと誰も探しに来ないだろう。それも麻美と同じだ。

 死体が見つからなければ、死体さえ見つからなければ事件にはならないはずだ。

 寝袋を引きずって移動させた。地下室へ向かう階段の手前で勢いよく寝袋を滑らせた。僕がヒビを入れた池上沙織の頭蓋骨が階段の角にぶつかる音が小気味よく響く。

 池上沙織は死ぬ気でここに来たのだろうか? それとも麻美がここに来させたのだろうか? どちらにせよ、僕はブログを書き換えたことを今猛烈に後悔している。

 もしも池上沙織が言ったことが間違いでなかったら、他の人間もあれが麻美の書いたものではないことに気づくのではないだろうか。

 そう考えると、焦燥感でいてもたってもいられず、頭を掻きむしってしまう。

 でもそのことばかりを考えてもいられない。早く池上沙織を麻美と同じようにしなければ。 そうでなければ僕は破滅する。

 あの日、七月三十日。僕が麻美を殺した日。

 僕は書き上げた原稿を麻美に読んでもらっていた。とうとう書き上げた初めての原稿だ。そのころ、池上沙織に妊娠したと打ち明けられていたから、慌てて書き上げたんだ。とうとう書いたぞという高揚感も一杯だった。

 麻美とは子どもができなかった。そのうちできるだろうと思っていたけれど、結婚から十年、麻美が妊娠することはなかった。特に僕が避妊をすることもなかったから、麻美は子どもができないんだろうと思っていた。まさか麻美がピルを飲んでいるとは知らなかったが、どちらにせよ僕ら夫婦にはこどもがいなかった。

 まったく予定はしていなかったけれど、池上沙織に子どもができたのなら池上沙織と結婚して新しい生活に一歩踏み出せばいいと思った。

 麻美と離婚して池上沙織と結婚し、作家として生計を立てる。僕がたてたプランはシンプルだった。 

 作家として食べていくまでには時間がかかるかもしれないが、池上沙織は大手出版社勤務だし、孫が欲しいと言っていた母さんも色んな意味で手伝ってくれるだろうと考えていたのだ。

 原稿は書き出してみると意外とうまく行った。三か月くらいで、長編が書けた。 

 ほんの礼儀として、という気持ちと、自分の作品世界を見せつけたい気持ちとで麻美に読ませることにした。

「ちょっと、読んで感想をくれないかな?」

 そう言って仕事部屋でパソコンとにらみ合っている麻美に、プリントアウトした原稿を差し出すと、麻美はこちらに顔を上げて微笑んだ。

「ほんとに? 完成したの? どんな小説? テーマは?」

 麻美が矢継ぎ早に繰り出す質問に罪悪感が濃くなる。僕は結婚してから創作に専念する。と言って今まで麻美に養ってもらっていた。

 麻美が僕を養ってくれたのは僕に期待していたからだと思う。

 それなのに、この作品が世に出たら、僕は麻美の元を去り、新しい生活をはじめるつもりなのだ。

 ろくでなしがすることを普通の人間がすれば罪悪感を抱くのは普通だろう。

「読めば分かるよ」

「そう。楽しみね」

 その時の麻美は本当に嬉しそうで、楽しそうだった。だから、僕は麻美が早くそれを読んで、自分の担当編集者の誰かを紹介してくれるのを期待した。

 なぜか池上沙織に読ませることは考えていなかった。

 もしかしたら、先に池上沙織に処女作を読ませていたら、僕は今の窮地に追いやられていなかったのかもしれない。

 僕は、麻美は僕を絶対に傷つけない人間だと信じていた。麻美は何をしても許してくれた。金をせびるのが後ろめたくて、消費者金融の借金が限度額の三百万までかさんだ時も、何も責めずに支払ってくれた。

「正隆さん、消費者金融はやっぱりよくないみたい。信用情報に傷がついたりするみたいなのよ。今度からこのクレジットカードを使って? それから、現金が欲しい時はちゃんと言って? ね?」

 僕はそれからお金のことは何も考えないでよかった。車も時計も麻美が買い与えてくれた。でも、それは麻美が僕より先に作家として成功していることの、後ろめたさがそうさせているんだと思った。

 何回かした浮気だって、黙殺してくれた。

 相手が既婚者で、慰謝料を請求された時も黙って払ってくれた。麻美は僕の浮気には実に寛大だったと思う。

 いや、よく考えてみたら、結婚前にした最初の浮気は猛烈に怒っていたかもしれない。猛烈というのは少し違うか。麻美は静かに僕と別れたいと言った。

 麻美の小説が大きな賞を受賞してむしゃくしゃしていたせいだと言ったら、麻美は顔を真っ青にして、トイレにかけこんだ。

 妊娠でもしたのかと思っていたけど、違った。とにかくなだめてその場は丸くおさまり、結婚した。

 とにかく麻美は僕に寛大だった。僕のことを愛していたからだと思う。

 だから、麻美は僕を傷つけることはない人間なのだと思い込んでいた。

 それなのに、僕の原稿に対する麻美は言葉や表情と態度がちぐはぐだった。

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