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「私の死体を探してください。」   第30話

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「もう、全部読んだかな? どうだった?」

「ごめんなさい、正隆さん、ちょっと今忙しいの」

 そう言って他の小説を読んでいた。仕事で必要な本なのかと思ってこの時は我慢した。

 けれど、二週間たっても、麻美は僕の小説に感想を言おうとしなかった。

 今となってみれば想像できるのだが、僕が原稿を渡したころには麻美の病気は深刻な状態で、死ぬことを考えていたのかもしれない。 

 あれからすぐ死に支度をしていたのは間違いない。

 麻美が死のうとしていたことはあのブログに明確に書かれている。

 それでも、ようやく読んだと言って麻美は僕を自分の仕事部屋へ連れて行った。

「どうだった?」
 僕はやきもきしながらそう言った。

 麻美から大絶賛されるのを待っていたんだ。 
 離婚をすることになっても、僕の処女作を読んだということは自慢していいはずだ。

 でも、麻美は僕の期待を裏切ったんだ。

「どうだった……うーん。正隆さん、これは誰に向けて書いているの?」

「誰って読む人だよ」

「そう。もっと明確にイメージしないとダメだと思う。それから、正隆さん最近の小説って読んでる? 私の作品はいつも読んでくれているけど、私の作品だけじゃなくて、最近書かれた、そうだなあ……」

 具体的な作家の名前と書籍の題名が麻美の口からポンポンでてきた。どれも、僕と同じかずっと若い作家で、鼻持ちならないかんじのするやつらばかりだ。

「読んだことないよ。どうして、そんなやつの本を読まなきゃいけないんだ?」

「じゃあ、何を読んでいるの?」

「そりゃあ、読むべきものは沢山あるよ」

「そう……じゃあ、この話はやめて、はっきり言ってこの小説は……」

 麻美はなかなか言い出せずにいた。

 なかなか言わない麻美に僕はイライラした。

「はっきり言ってなんだっていうんだ?」

 麻美は大きくため息をついた。

「全体的に古いと思う」

「はあっ? なんだよ! その不明瞭な意見」

「そう言われると思ったから、原稿に赤字で気になるところは書き出してみたの」

 そう言って突き返された原稿を僕はめくった。原稿は真っ赤だった。

「どこが古いって言うんだ?」

「一番は感覚かな。この主人公をネットの世界に泳がせてみたら分かると思うけど」

「何を言ってるんだかさっぱり分からない」

「そうね。言っても分からないのが正隆さんなのよね。この主人公が主人公じゃなくて殺される脇役とかだったら……でも、このお話はミステリーでもサスペンスでもないし、これはこの主人公の青春小説みたいだし」

「どうして主人公を殺さなきゃいけないんだ?」

「嫌なやつだからよ」

「嫌なやつ? どこが?」

「あなたそっくりの嫌なやつじゃない」

「なんだって?」

「この主人公、正隆さんにそっくりじゃない。ここまで自分を投影させているのには驚きね。ナルシシズムのなせるわざと言っていいみたい」

「きみは僕が嫌なやつだって言いたいのか?」

「そうね。正隆さんは嫌なやつだと思う。その小説の主人公みたいに。私、ずっと正隆さんに聞きたかったのだけれど、自分で嫌なやつだと思わないの?」

「僕のどこが嫌なやつだって言うんだ」

「そうね、まずは、成果も結果も出してない上、研鑽もしないのに、なぜか自分のことを天才だと思ってるところかな」

「僕が凡人だって言いたいのか?」

「凡人だと思えたらまだ救いはあったのにね」

「凡人だとどうだって言うんだ」

「少なくとも努力はするでしょう? 私みたいにね」

「それは凡人の泣き言だろう?」

 この時、僕は初めて麻美が鼻で笑うのを見た。頭がカッと熱くなった。

「そうね。天才は泣き言を言わないものね。そうそう、正隆さんは今時子どもでも違和感を覚える家父長制度と男尊女卑万歳だし、ジェンダー何それって思っているみたいだし、本当に現代の世情を追えてない嫌なやつなのよ」

「僕がいつ家父長制度と男尊女卑万歳なんて言った?」

「夫婦別姓には反対でしょ? 役所の作業が増えてサービスが悪くなるってご意見だったでしょう? 人権がかかっていることにサービスの善し悪しを持ち出すところが意見としては最悪でしょう?」

「だって、それは……」

「あ、そうだ! 同じ理由で同性婚にも反対だった」

 むかむかしてきた。麻美は僕の話をいつも黙って聞いていたはずだった。そう言えば自分の意見は一言も言っていなかった。

「あなたの意見より、ヤフーニュースのコメント欄を見ている方がよっぽど役に立つの。あなたは嫌なやつよ。正隆さん。この主人公どうして四十代にしたの? まだ、今の実年齢の三十三歳にしておけば良かったのに」

「別にいいだろう? 不惑の男で」

「じゃあ、相手の女をどうして二十代にしたの? こっちも不惑にすればよかったのに」

「いいだろう? それは」

「よくないの! 感覚がおかしいのよ。二十代の女性は四十代の男性のことはどんな関係性であれ、好意をもつことはほとんどないの。ましてや、こんな嫌な四十代のおじさんと付き合いたいなんて絶対思わない。好意を向けられた瞬間に気持ち悪いって思うの」 

 絶対と言われて血が煮えたぎる気がした。

「絶対なんてことはない!」

「そうね、絶対なんてことはない。でも、どうして四十代にしたのかはなんとなく分かるの。この主人公は正隆さんが思い描いている理想の四十代の姿ね。十年後の自分の姿。おじさんになっても二十代の女の子にモテたいという願望を描いているってとこかなあ?」

「麻美、お前、馬鹿にしているのか」

 麻美は満面の笑みを浮かべた。

「馬鹿にしない理由の方が見つからないと思うんだけどな」

「なんだと!」

「正隆さん、こんなくだらない話を読まされた私の身にもなって欲しいの。あなたには十年、誰にも何にも邪魔されることのない時間があったはずでしょう? それなのにこのざまは何? ああ、池上さんが妊娠したから、慌てて書いたの? それならどうして今まで書かなかったのか説明がつかないんだけど」

「知っていたのか」

「あたりまえでしょ。誰がクレジットカードの明細を見て支払っていると思ってるの? あの車を買ったのも私だってことをお忘れかしら? カーナビの履歴もちゃんと残っていたしね。二人の決定的な瞬間を録音した音声だってあるし」

 この女は一体なんなのだろう。

「知っていてどうして何も言わないんだ」

「どうでもよかったから」

「僕のことを愛しているんじゃないのか?」

 僕が愛といった瞬間、麻美は腹を抱えて笑った。

「愛ね、あなたにだけは言われたくない言葉なんだけど。愛は私には分からない。分かったような気がしたときもあったけど」

「じゃあ、なんで僕と別れようと思わないんだ」

「目的のため」

「目的ってなんなんだ?」

「あなたには一生、ううん。死んでも分からないと思うから教えない」

「どうするんだ、これから」

「私はどうもしない。そうね、離婚してもいいけど、正隆さん、生活はどうするの? こんな小説しか書けないんだったら、とてもじゃないけどデビューはできない。普通の人は働いて妻子を養うところだけど、正隆さんが最後に働いたのはいつだったか思い出せないくらい昔のことだから、再就職は苦戦するかもしれないわね」

「他の編集者に読ませてみないか?」

「私、これ以上正隆さんに恥ずかしい思いをして欲しくないの。止めた方がいいわ」

「お前が酷いと思うだけで、センスが合う人間もいるはずだ」 

「ゴミを読ませるのがどういうことか分かる? 私の信頼まで失うことになる。誰か他の編集者に読んで欲しいなら、自分で持ち込みをするか、新人賞に応募すればいいのに、どうして、そういう当たり前のことをしないの?」

「ゴミだって」

「そうよ、ゴミ、あなただっていつも私の作品をゴミだっていうでしょ? ゴミにゴミと言って何が悪いっていつものあなたのお定まりのセリフ、今私が言っても構わないでしょう?」

 気づいた時には僕は麻美の首を絞めていた。 もう一言だってしゃべらせたくなかった。

 麻美はそれほど抵抗しなかった。

 自分の作品をゴミと言われて我慢できなかった。

 まさか自分が麻美を殺してしまうとは思わなかった。麻美のことを殺したいと思ったことは一度もなかった。


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