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一人で悩まずにいられた、母の言葉

 あの時、手で患部にじかに触れた感触は今でも忘れられない。

なんで、こんなことに。

そんなにも私は、身も心も、ストレスに蝕まれていたなんて。



大学卒業後、新卒で働いていた当時のことだ。

私の所属していた職場は、担当営業部署の経理。

「頼むから、この部署で、まともに休もうなんて思わないでね。」

「有給休暇の取得もお盆休みも、あり得ないから」

入社早々、先輩や上司たちから、
口々にそう言われた時も、
まさに上半期の決算期。

部内の社員みんなが血眼になって働いていたのを覚えている。

とんでもないところに来てしまったな...

忙しい中で、まだなんの戦力にもならない自分がとてつもなく粗末に思えた。

今思い返しても、
毎日毎日、とにかく忙しい職場だった。

通常業務も、3ヶ月目からは私の担当営業部を更に増やされた。

それだけでも目が回るような忙しさ。

なのに1年目の最年少ということで、
上司たち、先輩たちの細かい雑務まで丸投げされる毎日。

代わりに持っていった書類に不備があっても怒られるのは私。

理不尽だなんて思っても、理不尽だらけで
何が理不尽じゃないのかすらわからなくなりそうだった。

毎日、毎日、トイレで泣いた。

同じ社内だと誰かと鉢合わせる可能性を考えて、
わざわざ隣のビルのトイレで大声で泣いた。

残業浸けに加えて、
「これも"飲みにケーション。(コミュニケーションのモジリ)"って立派な仕事だから」
と上司や先輩の飲み会に連れていかれる日々。

そうした飲み会がない日は、
同期とひたすら飲んで愚痴る。

飲みながら皆で泣いていた。

「こんなはずじゃなかったよね...」

誰もがそう言う。

何人もの同期が、ストレスで押し潰されそうになっていた。



毎日家に帰るのが遅くなっても、
そんな私を、母は必ず起きて待ってくれていた。

「軽くお茶漬けでも食べる?」

温かいお茶と一緒に必ずお茶漬けをだしてくれた母。

母とは昔からなんでも話す関係性だった。

けれど、仕事の愚痴はなぜか言えなかった。

母や父に心配をかけたくなかったのかもしれない。

そして私には、三歳下の妹がいた。

だから 私が毎日、疲労の抜けないまま 忙しい毎日を過ごしているなんていうことを、
母や父が知ったら、きっと妹の就職活動時に、過剰に心配するかもしれないと思ったのは事実だ。

「ママも明日も仕事でしょ?
先に寝てていいよ」

「ん。ありがとう。おやすみね」

母が敢えてなにも聞かないことも、私にはありがたかった。



ある日のことだ。

お昼ご飯を食べてから、化粧室で歯を磨いていた。

すると、左脇の髪の毛が少し跳ねていることに気づく。

当時の私の髪型はベリーショート。

整髪料が手元にないため、水を付けた手で少し撫で付ける。

髪の地肌に ちょっと違和感のある感触があった。

鏡に近づいて恐る恐る見る。

信じたくなかった。

私の頭に、500円玉より少し大きな地肌丸出しの円形脱毛症があったのだ。

こんなの人に見られたくない...!

それよりも、自分にこんなことが起こったなんて信じたくない。

なんとか隠そうと思った。

そんな私が慌てて取った策は、
毛が抜け落ちた箇所に 眉ペンシルでひたすら塗りつぶすことだった。

手鏡と照らして大丈夫か確認する。

そのあと、私は何事もなかったかのように化粧室を後にした。

誰も私の円形脱毛症には気づかない。

そりゃそうだ。

みんな忙しくしていたり、
忙しくない人(部内の先輩に何人かいた)
は、忙しいふりをするのに必死なんだから。

円形脱毛症...行くとしたら皮膚科なんだろうか。

地元に、小さな頃から通っていた皮膚科はある。
だが、そこだけには行きたくなかった。

よく知ってる先生だけに

「ほしまるちゃん、これは円形脱毛症だね」

と診断されるのも、診察されるのも気が引けたからだ。

かと言って、会社近くの皮膚科にも
誰かと鉢合わせないか不安で行く気になれず。

結局、病院に行かないまましばらく過ごした。



そんな中、ある日のことだ。

遅く帰宅すると、また母が起きて待っていた。

「お帰り。今日は酢の物も残ってるよ」

いそいそと残った夕食を温め直す母。

着替えてから、改めて鏡で円形脱毛症を確認する。

気づけば、500円玉ほどの大きさから
ピンポン玉ほどに 少しずつ大きくなった気がして落ち込んだ。

これ、どうしようか...

その瞬間、はっと気づくと母が後ろに立っていた。

「やっぱりね」

母は何も言わずとも、私がストレスを抱えて
円形脱毛症にまでなっていたことに
とっくに気づいていた。

「ほーら、ちゃんとよく見せてごらん」

私は無言で恐る恐る髪の毛を持ち上げる。

母は何て言うだろう。

すると母は、こう呟いた。

「もう。眉ペンシルで塗りつぶすなんてかわいそうに。
この子だって、痛くて辛かったと思うよ」

えっ?
円形脱毛症を この子、という母に驚いた。

「ストレスためて、辛くて辛くて、
この子だって、ほしまるにわかってほしかったのよね。よしよし」

そう言うと母は、毛が抜けた部分を優しく撫でる。

「ほしまるのことだから、緒方先生(仮名:皮膚科の先生)のところに行くの、
恥ずかしかったと思うけど。
土曜日出勤しないときに、早めに行ってきなさいね」

母はそう言うとおやすみ、といって寝室へ行った。

私は母の後ろ姿を見ながら涙を流した。

私の母が、ちょっと茶目っ気のある母でよかった。

母の一言で、毛が抜け落ちてしまったことを過剰に、神経質に考えずに済んだからだ。

その後しばらくして、治療の甲斐もあり、私の頭から「あの子」は姿を消した。




時は流れ、20年近く前のことだ。

当時 私は、夫の海外転勤先から一緒に帰国して、社宅で暮らしていた。

縁あって、社宅の沿線の皮膚科で受付と診療補助のパートをしていた。

夜、仕事を終えてからも患者さんが来られるように、と配慮された時間帯、
夜遅くまで診察していた病院だ。

毎日、夕方以降は本当に満員の患者さんで待合室が埋まっていた。

「ほしまるさん、今度はこちらの処置お願い」

「はい」

同じく受付/診療補助は三人いたが
三人いても本当に目が回るほど忙しい職場だった。

中には、かつての私と同じ 円形脱毛症に悩む 患者さんも少なからずいた。

皆、初診や治療に来はじめの時は下を向いて俯いていたりする。

その気持ちはよくわかる。

だからこそ、私も、他の二人もそんな不安や緊張が取れるように
ゆっくり言葉を掛けながら治療のお手伝いをしていた。

「実は私も同じ経験したことあるんです。
だから心配しなくて大丈夫ですよ」

経験したからこそ、言える言葉だ。

患者さんの患部に治療薬を塗ったり、電気を当てたりする前にそう患者さんに話すと、
皆、一様に緊張が解けるのがわかった。

一口に脱毛症と言っても、症状の軽さ重さはまちまちだ。

けれど私は、心のなかでいつも唱えていた魔法の呪文がある。

(不安や緊張がほぐれますように)

そして、

(1日でも早く、また毛が生えてきますように)

なぜならかつて、私も同じような思いを経験した一人だからだ。

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