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定年後小説というジャンル

定年退職したら悠々自適の生活が待っているとよく言われる。毎日が日曜日だと言う。そのように外見は見える知人や仲間はぼくの周りに多いが、そんな人も悠々自適の心境かと問われれば誰一人そうだと答えないと思う。誰も心の中までは分からない。ただ自分自身のことだけは分かっている。いわば悠々自適の主観的な様相について語ってみたい。ぼくは62歳の誕生日で38年間のサラリーマン生活に終止符を打った。働かないことを選択した。贅沢さえしなければやっていけるのに、退屈や孤独感を避ける理由から定年後も仕事を選ぶ人もいるが、ぼくは別の方法で退屈や孤独感を避けたいと思った。ぼくの方法はずばり読書なのだった。サラリーマンの時から定年後は読書三昧となんとなく決まっていた感じがする。これまで読書は純文学が主流というのを暗黙のうちに決めていたのだが、退職して8年経った頃になってその掟を破ることになった。最近江波戸哲夫や城山三郎を読みだして面白くなったからだ。なぜそうなったかは、定年をテーマにした小説を継続して読むようになったからだ。中村真一郎「四季」、重松清「定年ゴジラ」、林真理子「マイストーリー私の物語」、村上龍「55歳からのハローライフ」、渡辺淳一「孤舟」、内館牧子「終わった人」、京極夏彦「オジいサン」、黒井千次「高く手を振る日」などを読んできて、江波戸哲夫の「定年待合室」、城山三郎の「毎日が日曜日」を読む流れは自然に来たと思える。一番面白かったのは城山三郎の「毎日が日曜日」であった。これからは文学畑にこだわらず読みたいものを読む、これも今が悠々自適の心境になっている大きな理由だと思う。

定年後小説という分野があるのか知らないが、最近読んだ黒井千次の「羽根と翼」と、今日読了した桐野夏生の「魂萌え!」は確実にその分野に入ると思う。一般には誰も指摘はしないだろうが、高齢者までにはとどかない揺れ動く定年後(夫婦にとっての定年後)を見事に描いていると思う。一方はサラリーマン、他方は専業主婦という平凡な主人公に、あたかも思考実験するごとく小説にする筆力は流石であり、エンターテインメントに終わらない純文学の香りがする。現在の自分と似た年代の設定がこんなにもリアルに感じさせ、作中に引き込むのか改めて小説の面白さを感じさせてくれた2冊だった。

2冊を読み終わって今思い返してみると、対比構造が共通して小説のテーマの中に隠されていることに気づいた。「羽根と翼」では青春時の学生運動で経験した現実否定と、サラリーマンとして企業内で出世競争を勝ち抜いていく現実肯定という対比。「魂萌え!」では妻の座と愛人(結婚と不倫の関係と)の対比がある。そのどちらが「ほんとう」であるかがこれ以上ないまでに厳しく問われている。その追求の仕方がぼくに、小説による「思考実験」のように感じさせたのだと思える。

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