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木曽十一宿を歩く②

平沢宿

平沢の家並

 贄川から奈良井に向かう途中にある宿場だが、正式の宿場ではなく間の宿と呼ばれる宿場だ。
 奈良井は旅籠は少なかったが漆器製造を生業とする家が多く、奈良井千軒と呼ばれたほどにぎわったと言う。その奈良井の漆器製造の下請けとして栄えたのが平沢で、主に漆を塗る作業をしていたという。時代を経て平沢でも漆器そのものを製造販売するようになり、今では木曽漆器と言えば平沢というほどに名の知れたところになっている。
 平沢は街道に対して斜めに家を構える斜交い(はすかい)屋敷と言われる家並が珍しい。これは贄川の一つ江戸寄りの本山宿も同様で、軍事的目的においてそのように作られたと言われている。

奈良井宿

 木曽十一宿の中で一番栄えたと言われる宿場で、その賑わいから前述のとおり奈良井千軒と呼ばれていた。
 本陣一軒、脇本陣一軒、旅籠は五軒と一見小さな宿場という感じだが、漆器や土産物を扱う店が相当数あったらしい。宿場は約1㎞の長さに及ぶ。
 奈良井の旅籠5軒というのは木曽十一宿の中では一番少ないし、中山道全体でも少ない数だ。漆器や土産物の店でにぎわっていたとはいえ、難所鳥居峠を控え、この数は少なすぎると思うのだが。
 峠の向こうの藪原宿でも十軒と少ない。旅の行程上、午前中に到着してしまうような場所だったのだろうか。謎。
 亰へ向かう旅人は、この奈良井で一休みして鳥居峠を越え、藪原を通り宮ノ越宿で宿を取り、江戸へ向かう旅人は藪原で一休みし、峠を越え奈良井を通り本山宿に宿を取ったのだろうか。宮ノ越や本山は旅籠が比較的多い。

 初期中山道は下諏訪からは、塩尻、洗馬、本山を通らず岡谷、小野を通って贄川へ抜けていたと前述したが、道というものは様々な理由からそのルートを変えることは度々ある。
 たいていは、自然現象によるものが多く、悪天候により、土砂崩れで通行不能になったり、川が氾濫して道が焼失したりする。そういうことの繰り返しがあれば、自然とそのルートは変えざるを得ない。
 奈良井宿の平沢側の入り口付近でも、奈良井駅前の山腹に杉並木の残る中山道の古道が残っている。

旧中山道古道の杉並木
奈良井宿の脇道
水場

 この宿に初めて訪れたのは今から30年ほど前。その江戸時代的風情に圧倒されたが、建物の多くはどこか新しい感じがして、恐らく様々な修繕や改修が行われてからさほど時を経ていなかったのかもしれない。
 奈良井も妻籠同様に1970年代に重要伝統的建造物群に指定されている。

 この江戸時代にタイムスリップしたような街並みも、通り一つ裏へまわってみれば、そこにはこの集落に住む人々の生活がある。そのことは心にとめておきたい。

 奈良井宿訪問は最初は1990年代、その後2008年、2011年と3度訪問している。三度目の訪問の時は、夕暮れ近く、観光客もほとんどいなくなるような時間帯で静かであった。だから、よりタイムスリップ感があってよかった。
 そんな静かな宿場の静寂を破るかのようにカシャカシャっと宿場に響き渡るカメラのシャッター音。どこを切り取っても絵になるから、やたらシャッターを切っている。
 それは、私が一眼レフのシャッターボタンを頻りに押しているからだった。あまりに響き渡るので申し訳ない気持ちもあったことを覚えている。(笑)

 古い街並みの良さを利用して、NHKの朝ドラ「おひさま」のロケ地にもなった。私の三度目の奈良井訪問は、たぶんこのドラマに刺激され、知らず知らずに再訪していたのだろう。(笑)

 さて、木曽十一宿を歩くと題しているけれど、街道そのものを延々とは歩いていない。宿場内を歩くと言う意味のタイトルなので、実際に宿場外の旧中山道を歩いたのは贄川ー平沢、南木曽駅ー妻籠のみ。

※掲載写真は2008年、2011年撮影