見出し画像

一人暮らしがしたい理由

現在、私は実家に暮らしています。

大学卒業後、地方に就職するのと同時に一人暮らしをスタート。
数年後、体調を崩し、仕事を辞めて実家に戻ってきました。

再就職して何年か経ちますが、今も実家に暮らさせてもらっています。

本当にありがたい。
もちろん生活費は入れていますが、生活費や家事や精神面で、どれだけ支えてもらっているかわかりません。

実家は居心地が良いけれど

私は両親と仲が良いので、実家で暮らすこと自体への抵抗は少ないです。
疎まれているという感じもなく、ほどよく助け合って暮らしています。

実の娘とはいえ、一度出て行った子どもを再び受け入れてもらえていること、当たり前ではないと思います。

慣れ親しんだ家族関係。
寒い冬、仕事を終えて帰る家が暖かい。
声をかける相手がいる。かけてくれる人がいる。
みんなで囲む食卓。

両親には本当に感謝でいっぱい。
幼少から現在まで、家族関係は常に順風満帆とはいかなかったけれど、それを差し引いても、私は幸せな生活を送らせてもらっているなぁと感じます。

でも…

私のこの心地よい環境は、あくまでも、父と母が生涯をかけて積み上げてきたもの。

あくまでも自分が作り上げたものではないのだということに、焦りを感じている今日この頃です。

少し「生き急ぎたい」という思い

すでに仕事・出産・子育て・両親との死別といった、重大なライフイベントを終えてきた両親。

「ある程度完成された大人と、私という未熟な大人が暮らしている」。
私は、ここに焦りを感じているわけです。

両親を例えるならば、「若い頃から圧倒的練習量をこなしプロになり、活躍したのち引退した野球選手」。
私を例えるならば、「プロ選手の背中を追い続けて、自主練に明け暮れる高校球児」といったところでしょうか。

私は未婚・子なしで、収入も多くありません。
非正規のため、ずっと同じ会社にいられるわけではない。
経済的にも安定しているとは言えません。

仕事、結婚、出産…
色々なパーツを能動的に付け足していかないといけない状況にあります。
生きていくために必要なこと。

つまるところ、人生のフェーズが違う。まだまだ駆け出し。
両親と同じ時間の使い方をしていては、私はいつまでも、目標とする人生に追いつけないのです。

自分を象る「一人暮らし」

実家という「両親のゾーン」で暮らしている間は、やはりどこか引け目を感じてしまうものです。

油断すると、生活習慣や時間の使い方など、色々な物事に対する考え方・価値観が「よくわからなくなっちゃった…」なんてことが起こります。
自分を見失うのです。

特に私は「周囲の気分・機嫌に引っ張られやすい」といった弱点があります。
本当に自分を見失いがちなんです。

そして自分を見失うと、一気にフットワークは重たくなります。

誰にも遠慮しないで、自分主体で「今、こうしたいな」「こうやってみよう」を行動に移せる環境が欲しい。

そのためにはやっぱり、もう一度、一人暮らしがしたいのです。

手放してでも、得たい

いま当たり前に手にしている愛情・モノが多すぎる。
一人暮らしを始めるとなったら、手放すもの・失うものはとても多いと思います。

それでも、この先も続いていく人生に備えて、今のうち「自分の人生」にひとり集中して向き合ってみたい。
自分で作った生活基盤の上で、暮らしたい。

自分軸に集中できる環境を整えることができたなら。
そこまでに何かを手放してたとしても、得るものは大きいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?