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Episode 587 主体性が無いのです。

ずっと謎だったことが、ひとつ分かった気がするのです。
それはASDの人が、何故あなたの考えていることを指定する「思考乗っ取り」をしてしまうのか、その原因と思われることが何なのか…ということです。

ASDの「自己完結/思考乗っ取り行為」については、何度となくアニメ映画『千と千尋の神隠し』に登場する「カオナシ」を題材にして、このブログで話題にしてきました。

私はそれを「必死にあなたのことを考えた結果」とお話ししたのです。
問題は「あなたの意見を聞く」ということができないコミュニケーションの弱さにあるワケです。
その裏側には「自我の折り曲げが苦手な自閉の本質」が隠されていて、あなたと私の意見の調整が私にとって非常に難しいから、あなたが求めているモノを当てに行くという行動に出るワケです。
この行動は「モノ」に対してだけではなく、その他についてもそうなのでしょう。

また、ASDの私は「教えてもらうを拒む」傾向があるともお話ししました。
それは、「対等な関係の欠如」というキーワードで説明できます。
このハナシも「あなたの意見を聞く」ということができないコミュニケーションの弱さに起因します。
「自我の折り曲げが苦手」だから、ちょっと融通してお互いの落としどころを探す…が出来ず、自我を引っ込めてあなたに従うか、自我をゴリ押しして押し通すかの二択になりがちというワケです。

でも、ちょっと待って。
「教えてもらうのを拒む」って記事と、先日話題にした「虎の威を借る」って社会的な権力に頼る傾向があるハナシの整合性ってどうなるの?
あなたの傘下に入ることを拒みながら、権力の傘下に入ることを好むって、どういうこと?

これを繋ぐ理由に「対等な関係の欠如」が浮上するワケです。

つまりね、「対等な関係」には「私の主体性」が要求されるのですよ。
あなたと私の意見の調整とは、「あなたの意見を聞く」と「私の意見を言う」が対等な立ち位置になるワケです。
それを「お互い主体的」にどうしようか考えて、落としどころを求める…ということでしょう。
ところが…ASDの私はこの「主体的に」を苦手にしているのです。
だって「自我の折り曲げが苦手」だから、主体的に動けば「自己中」に突き進む可能性が高いのですよ。
ここで躓いた経験から、自我を引っ込めて社会的価値観に置き換えるASD的受動傾向が生まれるワケですよね。
だから社会的権力の傘下に入ることで自分を正当化する思考が生まれる…これは私の経験談。
私を導いてくれる力強いものがあると、私は安心できるワケです。

ところが、家族にこの関係を持ち込むことは難しいのですよ。
パートナーであるあなたは私の上司ではないワケで、生活を共にする「対等な関係」を求められるワケですね。

思考乗っ取りは、
思考乗っ取られが不安定になった時に発生する。

改めてこの言葉を。
会社組織などの権力の傘下にいる場合、どんなに私が主体的に動いて仕事をしているように見えても、全体の中で与えられた役割をこなしているにすぎません。
仕事をするという「大義名分」のもとに作業する安心感がある…ということです。
家庭という権力構造と馴染まない環境でASD的な受動性が揺らぐと、私を守ってくれていたモノを失い自ら思考する必要が出てくるワケで、その考えの善し悪しをジャッジしてくれる安定感を感じられなくなるワケです。

ASD的な「自己完結/思考乗っ取り」は、「自己中な思考が生み出す直線的な主体性」のように見えて、実は「主体性の欠如が生み出す受動性の代替え」の可能性がないか?

これはあくまでも私の経験に基づく「私個人のハナシ」です。
ただ…良い悪いは別問題にして、私自身の「主体性だと感じていること」を紐解くと、ことごとく主体性が見当たらなくて、受動性にぶち当たるように感じるのです。

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