生の記録・七月のある日

 8時5分に目が覚めた。サークルの先輩が自殺する夢を見た。いや、正確には、これから自殺することを告げられる夢を見た。彼は不気味なほど落ち着いていて、考え直せと説得する僕らを、もう決まったことだから、と諭すような口調でいなした。僕は変に納得してしまって何も言い返せなかったが、これから死ぬ人が目の前で生きているのがつらかった。目覚めたとき、その先輩が軽々しく自死を選択するような人でないことを確認して、ほっとした。

 窓を開けていても暑すぎるのでパンツ一丁になってパソコンをいじっていたら、聞いたこともないような音がお腹から聞こえて、ハードコアな腹痛に襲われた。すぐさまトイレに駆け込み、出すものを出してひとしきり痛みに耐えた。一連の動作を経てさあ出ようとしたとき、便座の後方に赤いものがべったりとついているのに気付いた。最初は血かと思ったが、別に痛いところがあるわけでもないのでその線を捨てて何らかのorganismが分泌した液体だと思うことにした(それはそれで問題なのだが)。しかしその後パンツを確認すると赤いものがこちらもべったりついていてカッピカピになっていた。さすがにこうなると言い逃れはできない。そういえば、昨日はお尻のできものがいつになく絶好調で、座るたびに激痛に悶えていたのだった。破裂したのだ。まだ分泌液がちょちょぎれていたので、すぐさまキャンドゥにデカめの絆創膏を買いに行って患部に貼ろうとした。が、背中に湿布を張るのが難しいのとまったく同じ理由で、尻に絆創膏を貼るのは難しいことに気がついた。少し考え、スマホを内カメラにしてその上にしゃがみ、画面を覗きながら患部の位置を把握するという荒業でなんとか貼ることに成功した。痛みがないのが不幸中の幸いだった。

 10時半から文化人類学のテストがあったのだが、なんやかんやにより家を出たのは10時10分だった。自転車で大学まで15分くらいかかる微妙に遠いところに家があるので、だいぶギリギリだ。逃げ場のない熱気を自転車でかき分けながら大学までの道を無心で進んでいると、信号が青なのに動かない車の一群があった。先頭のトラックの横を通り抜けるときにちらっと運転席を見てみるとおじさんが腕を組んで居眠りしていた。一瞬起こそうかどうか迷ったが、目の前の信号は点滅しているし、ここで時間を使うとテストに間に合わないしという諸々の事情が重なり、見送らざるを得なかった。信号を渡ったあとしばらく、運ちゃんを起こしていたらもらえたかもしれない感謝の言葉はどのようなものでありえたのかをぼんやりと考えていた。

 昨日はテスト勉強を投げ出して三島由紀夫の『午後の曳航』を読んでいた。少し前に3割くらい読んでそれ以来本棚で熟成させていたのだが、ふと小説が読みたくなったので引っ張り出してきた。主人公の年齢は15歳だとばかり思っていたのだが実際は13歳で、記憶力の減退を痛感した。布団の上で寝転がってだいたい40分くらい読んでいたのに、10ページしか進まなかった。眠かったのと、一文一文が味わい深いのと、そもそも読むのが遅いのとで、絶望的なペースになるのも無理はない。結局そのまま寝落ちし、起きたのが夜中の1時だった。夜中の1時に起きたことしか覚えていないので、これ以上書くことはない。

 勉強はほぼしなかったものの、手ごたえはあった。7つあるトピックのうち3つを選んで300字程度で説明せよ、という問題で、1.歴史における受動的犠牲者と行為主体、2.オーラルヒストリーと虚偽、7.カーゴカルトについて解答用紙みちみちに書いた。テストは40分で終わったので休み時間が伸びた。朝ご飯を食べておらずお腹がすいていたから、まだ混んでない学食で昼食を済ませた。ピロティで本を読んでいたら、いつの間にか13時になっていた。今日は13時半から高校時代の同級生と会う約束をしていたことをその時思い出した。なんせひと月前くらいに会うことが決まったので、日常の雑事にかまけてすっかり記憶から抜け落ちていた。自分がひと月前に提案した店の名前をなんとか思い出し、急いでその店へ向かった。

 「喫茶ガーシュイン」と書かれたドアを開け、チリンチリンと鳴るベルを後目に彼女の姿を探した。いた。一番奥から二番目の席で本を読んでいる。向かいの席に座り、遅れてごめん、と詫びると
「この店日替わりのケーキがおいしいらしいよ」
と本から目を離さずにつぶやいた。J・ラヒリの『停電の夜に』を読んでいた。
 将来会社員をやりながら小説家もやりたいという彼女は、ペンネームを何にすべきか悩んでいて、その席はもっぱらその話題で持ち切りだった。その時僕は三島由紀夫の本名が平岡公威であることを思い出したが、それについて特に何も言わなかった。彼女はいくつかの案を提示し、「どれがいいと思う?」ではなく「どれが私が一番気に入ってるやつだと思う?」というよくわからない質問をした。一番右の「片川鏡子」を指さすと彼女は笑って
「それ、一番ないやつ」
と言った。高校からの付き合いにもかかわらず僕はまだ彼女のことを全然理解できていないことが白日のもとに晒されたように感じ、少し凹んだ。本当のお気に入りはどれなのか聞くと、
「全部ピンと来ない」
という元も子もない返事が返ってきた。それで何かアドバイスはないかと聞かれたので、
「〇〇(彼女の名字)の小説のファンが友達に薦めてるシーンを思い浮かべて、『✕✕っていう作家の△△、めっちゃ面白いんだよね』の✕✕に来ても違和感がないやつにすればいいんじゃない?」
という思いつきのアドバイスをした。彼女は妙に納得してくれたようで、しきりにうなずいて何かを考えているようだった。そして急に
「今月は余裕あるから奢るわ」
と言った。さっき食堂に行っていなければここでハンバーグ定食でもなんでも食べてやったのだが、あいにく腹八分なので、そんな、申し訳ないよ、と紳士を装って断った。心の中で、食費を浮かすチャンスをみすみす逃したことを悔やんだ。

 現地解散後、特に急ぐ理由もないのでのんびり自転車を漕いでいたら突然雨が降り出した。屋根のあるところに自転車を止めて雨雲レーダ―を確認してみると雨の勢いは増す一方とのことなので、急いで家に帰ることにした。が、間に合わず、土砂降りの中を無防備な状態で突っ走る羽目になってしまった。唯一の敗因は、喫茶ガーシュインが家から見て大学の向こう側にあったことだ。もっと家か大学の近くの喫茶にするんだった、と後悔している間にも雨は体をくまなく濡らしていく。しかし、ある閾値を超えると、それ以上濡れようが濡れまいが関係なくなる。むしろ濡れることを気にしなくてよくなるので、雨に打たれることに気持ちよささえ感じられるようになる。家に着いたとき、どうしようもないほど濡れそぼった服を着た僕は、そこまで嫌な顔をしていなかったと思う。

 中に入るやいなやすぐさま服を脱いでハンガーにかけてサーキュレーターの風が当たるようにした。パジャマに着替えて、それからはひたすらパソコンで音楽を聴いていた。曲名を入れるとそれに似た曲をAIが探して持ってきてくれるというサイトがあって、ガチャを引いているようで楽しい。大体は見当はずれな曲が引っかかってくるが、ごくまれにこれは!という曲が混ざっている。この「当たり」の感覚を忘れられずに何回も「ガチャ」を回していたら、18時になっていた。夏になると18時になっても外がめっぽう明るいので、時間感覚が機能しなくなる。ちょうどお腹もすいてきたので、ご飯を炊き、昨日の残り物をチンして0汁1菜の貧相な食事を摂った。

 夏は基本的に窓は開けっぱなしで網戸をしているが、夜になると光に誘われてカナブンがひっそりとそこにくっついている。カナブンには申し訳ないが、デコピンの要領で網戸に人差し指で衝撃を与え、彼らをぶっ飛ばすのにハマっている。ぶっ飛ばすことそれ自体もおもしろいのだが、ぶっ飛ばしたカナブンが地面の草むらに落ちてカサカサと音を立てるのが、なんともいえない哀愁をさそう。何かしらばちが当たりそうな気もするが、命を奪っているわけではないのだから、おふざけということでどうか見逃してもらいたい。もちろん、セミが同じことをやってきたら、同じようにぶっ飛ばすつもりだ。

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