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ぶらり久里浜散歩

こんにちは。近所の徘徊が止まらないアラ還不審者のホタテマンです。

さて、今回もご近所散策です。前回は浦賀だったので今度は久里浜。丘の上にある我が家から浦賀とは逆側の坂を降りると久里浜方面です。

坂を下って行くと京急の鉄道橋があります。この辺りの地名は舟倉。これは最近の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場した三浦一族の水軍舟が保管されていた蔵が存在していたからだそうです。その舟を蔵まで引き込む為の運河が作られ、その名残がいまでも存在します。


京急の鉄道橋
運河。京急の鉄道橋の下を潜った先で平作川と合流。


平作川を跨ぐ京急の鉄道橋。この先で運河と平作川が合流する。

京急とJRの駅の間を抜けると県道27号(横須賀葉山線)にぶつかるのでそこを右折するとJRの引込線があります。

引込線の踏切

JR久里浜駅は横須賀線の終着駅。終電近くになると駅の隣にある車庫に編成車両(通常11両編成)が停まるのですが、その際、敷地面積の関係で線路を切り替えるには駅の先のここまで進める必要があり、遮断機が降ります。始発も同じなので、毎日早朝と深夜にはこの踏切が活躍します。日中は余程のことがない限り遮断機が動いている所を見たことがありません。


JR久里浜駅方面。毎日使っているが、頻度が少ないので草ぼうぼう!
反対側。11両編成だと先頭3~4両が踏切を超えてしまう。

線路の直ぐ隣にはスーパー銭湯の「万葉」があります。とても人気のある銭湯でいつも大勢利用されてますが、午後1時オープンなのでこの時はまだ準備中。

やすらぎの湯「万葉」

万葉から衣笠方面に徒歩2~3分の所にあるのが久里浜八幡神社。ここは妻の実家に近いこともあり娘の氏神様。七五三もこちらでお世話になりました。

久里浜八幡神社


境内


本殿。七五三の神事進行中。

八幡宮は全国に約4万4千社ある大勢力。(多分最大?)総本社は大分県宇佐市にある宇佐神宮。この辺りでは鎌倉の鶴岡八幡宮が有名。

直ぐ近くには浄土宗の長安寺もある。隣接する久里浜幼稚園はマンモス幼稚園で有名。

中門


奥には講堂


お地蔵様

長安寺の次は京急線の反対側にある天神社へ。狭い裏道を通り抜けて行きます。

ここにも引込線。しかしここまでは電車が来ないので遮断機などはない。
草ぼうぼうの引込線。線路に光沢がある箇所までが電車が入ってくる場所。奥に見える車が先程の踏切。


久里浜で一番交通量が多い久里浜交差点にあるのがイオン久里浜店。ここはもともと自動車教習場だった所にイオンを建て、屋上に教習場を移動させた珍しい建物。因みに写真を失念しましたが、この写真を撮影している私の足元にはペリー上陸記念碑道標がある。

イオン久里浜店

イオンの向いにあるのが久里浜天神社。

こちらも絶賛七五三神事実施中(指が写ってしまった!!)
全国の天神社(天満宮)に多分あると思われる菅原道真と牛の石像
八幡神社とは対照的にこちらは大盛況
絵馬も沢山


天神社の裏から「くりはま花の国」までの間には小規模ながら久里浜の工業団地があります。

最近進出してきたニコン。前は日清オイリオだったような。。。

ニコンの向いには新明公園跡地があり、現在横須賀市立うわまち病院の移転先を建設中。現在のうわまち病院は横須賀の中心地である京急の横須賀中央駅から県道26号線三崎街道の坂を上った所の横須賀市上町にあるのだか、敷地が狭く、入口の道路も狭いかとからこれ以上の拡張は不可能なので久里浜に移転することとなった。令和7年の3月1日に開院予定。1年半後が楽しみ。名称が継承されるかは不明。浦賀警察署も数年前に久里浜に移転した際、名称が南横須賀署になったので、もしかしたら横須賀市立南横須賀病院になるかも。

建設中の病院


工業団地の奥の方にある釣り具メーカーのヤマリアの工場もチラッと見えました。

ヤマリアの工場

未使用の敷地もまだ残ってます。回りは工場ですが、煙もくもく系ではないし、駅からも近く病院も出来て直ぐ後ろは花の国なので、住宅地としてもそれなりの魅力があると思うのですが土地利用の規制等があるのでしょうか。

大きな更地

花の国の入り口手前には国交省の立派な庁舎がありますが、人の存在を確認したことはありませんので稼働しているかは不明です。多分、国の箱物行政の典型ではないでしょうか。

国土交通省国土技術政策総合研究所横須賀第二庁舎


いよいよ花の国です。


正門

正門を入ると目の前に広大なポピー・コスモス園があります。今の時期はコスモス。ディアボロやセンセーションが開花しています。コスモスもそろそろ終盤なのでこの日は午後から無料花摘みイベントがありました。

ディアボロ
センセーション

コスモスの横の坂道を一気に登ります。展望台からは久里浜の街が良く見えます。手前に見えるクレーンは先程の病院建設現場。奥の方には辛うじて湾岸高速のベイブリッジや翼橋が見えます。

久里浜の街並み
案内図

頂上に到着!頂上には遊具がある冒険ランドがあり、ここの目玉はゴジラの滑り台。

股間から入って尻尾に沿って滑り降りる


冒険ランドは頂上なので、ここから先は下り坂。

下り坂スタート


木々の先には東京湾と房総半島


右に進むと県木の広場


知らなかったのですが、東京都・大阪府・神奈川県の県木はイチョウ。

案内図

県木の広場には色んな場所で良く見かける鐘がありました。

愛の鐘


自撮り用スマホスタンドまである

こちらはフラワートレイン。有料ですが、坂を登らずに移動できます。

フラワートレイン


綺麗なディアボロ


開けてきました。

左がフェリー乗り場、奥が火力発電所


暗い話を少々。久里浜港の北側には横浜刑務所横須賀刑務支所と久里浜少年院があります。3方を海に囲まれており、警備はしやすいのでしょう。

左奥が刑務所、真ん中が少年院、右奥が防衛整備庁艦艇装備研究所。東京湾を挟んで房総半島の山の上に見える白いものは東京湾観音。


花の国の大看板

第二駐車場側の門に着きました。

裏門


第二駐車場には隣接するようにゴミ焼却場と温水プールがあります。

ゴミ焼却炉
プール

フェリー乗り場方面に向かいます。昔からある民家の間の狭い道を抜けると、途中に浄土宗の傳福寺(でんぷくじ)がありました。とても立派なお寺です。

傳福寺


更に海に向かって進むと現れるのが住吉神社です。住吉神社と言うと漁業との関連が強い印象なので、元々漁村だった久里浜8丁目に住吉神社があるのはとても自然なことのように思います。境内は小ぶりですが創建千年以上の古い神社で、1185年(元歴2年)に源頼朝が北条政子と参拝したことなどが吾妻鏡に書かれているそうです。

鳥居
ご由緒
本殿
石碑


住吉神社は元々海沿いにあったので、直ぐ横は既にフェリー乗り場の敷地内。手前に見えるのが古いフェリーターミナル。まだ私がサーフィンをやっていたころはこちらのターミナルでした。そして奥に見えるのが新しいターミナル。東海汽船のジェット船受付もこの建物内です。

新旧両フェリーターミナル
いつもお世話になっている新しいターミナル
しらはま丸出港直後
フェリーターミナルから見た先程の大看板


ターミナルの直ぐ裏には洋菓子メーカー「ファミール製菓」の工場があり、直売所もあります。

手前左に見えるトレーラーが工場直売所


ファミールから道を挟んだ反対側には揚げ物専門店の三富屋の直売所があります。ここでは色んな種類のコロッケやメンチカツ、エビフライなどの揚げたてが購入できます。

三富屋直売所

三富屋さんの隣が天然温泉「海辺の湯」。今日はここでお風呂にします。1階がお土産、2階が食堂、3階がお風呂です。露店風呂もあり、気持ちいいです。泉質は海沿いと言うこともあり、少し茶色く濁った塩っぱい感じでヌルヌルしていて保温・保湿力があります。

大きく立派な施設

さあ、とうとう本日最後の訪問先。ペリー公園です。ペリー公園は先程のフェリーターミナルから徒歩5分程度。途中に元ニチロの缶詰工場跡地に建つカインズホームがあり、その先になります。

久里浜海岸。ペリーはここから上陸
公園正面入り口
伊東博文直筆の石碑
裏は英語

航海図を見ると、ペリーの黒船艦隊はアメリカ東海岸バージニア州にあるノーフォークの海軍基地から先ずはアフリカに向かって大西洋を渡り、モロッコの沖にあるマデイラ諸島に寄港、今度は南に転進してセント・ヘレナ島に到着。次に南アフリカのケープタウンに寄港しつつ、アフリカ大陸南端の喜望峰を回り込んでインド洋のモーリシャス島に寄港。北東のセイロン(現スリランカ)を経由してマラッカ海峡を通り抜け、シンガポール・香港と経由し、先に琉球(沖縄)に寄ってから東京湾に来たようです。因みに、帰りは太平洋を横断してアメリカ西海岸(多分サンフランシスコ)に行ったと思われます。

航海図


最後にぺリー公園の片隅にある記念館を訪問。こちらは無料です。

旗艦サスケハナは3,800トン以上あったようなので、現在運航している東京湾フェリーと同じ大きさ。当時としては巨大な船だったので、これを見た日本人はド肝を抜かれたことでしょう。

ぺリーの黒船艦隊
当時の日本人が描写した黒船とアメリア人
久里浜海岸上陸
これも絵ですが、多分西洋画


この写真は個人的にとても気になったもの。上の2枚はアシカ島にある灯台。位置は久里浜港の直ぐ沖で、灯台自体は建て直されていますが、今でも現役。ここには渡船で渡れ、有名な磯釣りポイント。私も何回か乗ったことがあります。

真ん中は久里浜海岸での地引網の風景。今は海苔の養殖網が入ることはあっても、地引網は見たことがない。

下の二つは当時の平作川河口。左が開国橋、右がその先。基本的に今とあまり変わらないのがびっくり!

当時の写真

最後にふたつの銅像を紹介します。こちらは戸田伊豆守氏栄。徳川幕府の旗本。知行は500石。浦賀奉行でペリー来航時の折衝役。享年60歳。幕末のごたごたに巻き込まれる形で一説には毒殺されたとの話もある。下手人は多分尊王攘夷派。

戸田伊豆守氏栄


そして大取はペリー提督。

マシュー・カルブレイス・ペリー北米合衆国水師提督


以上にて、今回のぶらり久里浜散歩は終了です。この後は久里浜駅前の黒船仲通商店街にある焼き鳥屋さんで焼き鳥を買って帰り、家でおつまみにしました。

今回も改めて地元をじっくり見て回ることが出来ました。色々変化があって楽しかったです。まだまだ見どころが沢山あるので続編も検討中です。

では、次回にまたお会いしましょう。


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