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ホロライブのママ味について(妄言)

【CAUTION!】
この文章は狂文です。作者の正気は保証しません。


ホロライブのママといえばミオママ、ラミィママ、ういママと相場が決まっているけれども、有識者がひそかに注目する第四のママのことを君は知っているだろうか?

胸のでかい女、マリン船長か? ギャングシティの動かざる者、獅白ぼたんか? USDA流子育て術の炸裂、桐生ココか?
いずれも劣らぬ逸材ぞろい、けれども今回紹介するのはこのメンバーだ。

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そう、猫又おかゆだ。いいよね。おかゆ。

なるほど、君はこう言いたいのかもしれない。おかゆと言えば、プレイボーイのいたずら猫。ママ味を期待するのはナノブマイビジネス(夜に影を探すようなもの)だと。

しかし、こんな証言もある。


このおかん味を見ても、君は猫又おかゆのママ性を否定するだろうか?
いや、この動画だけではない。全肯定モードのおかゆは、かなりの母親力を持つということは君でも否定できないだろう。
泣いて帰ってきたあの日、話を聞いて「あはは」と笑って頭を撫でてくれる、そんな母親は理想ではないかい?

あるいはこんな映像もある。


さあ、この動画を見たら君もおかゆのママ味を認めざるをえないだろう。なるほどその母性はてまにゃんに向けられるものであって、君ではないとそういうかもしれない。しかし、おかゆが本来は猫であることを忘れてはならない。おかゆの子になるということは子猫になることだということは疑いようがない。そうだろう?

さて、この完璧な理論に納得できないというのならば、もう一つ見てほしい動画がある。これだ。


少し珍しい組み合わせだ。あまねこ良いよね。しかし、この組み合わせでおかゆに新しい面が見えているのに気がつくだろうか?
あるいはこれは天音かなた側の圧倒的妹力の成せる業かもしれないが、おかゆの世話焼きな部分がよく見えている。

……私は最初の説を撤回するべきかもしれない。おかゆはママではないのかもしれない。
ではなにか? それはお姉さんだ。しかも、自分のお姉さんではない。

近所のお姉さんだ。君が小学生中学年ならば小学年高学年くらいの。そのくらいの関係におかゆがいたら素敵ではないか?

いや、いたのだ。思い出しても見たまえ。いたのではないか? 君の家の向かいのおにぎり屋さん。その看板娘はどこか猫めいた姿をしていなかっただろうか。

君が上級生と喧嘩して泣いて帰った日、それとも先生に叱られた日、「どうしたの?」と声をかけて部屋に上げてくれたのはそのお姉さんではなかっただろうか。話を聞いて「あはは」と笑って、ゲームに誘ってくれはしなかったか? 一緒にゲームをするうちに一緒にいたお姉さんの同級生はコップにしこたまお茶を注ぎはしなかったか?

いた。そう、確かにいたのだ。中学に上がって違う学校に行ってからはあっていないけれども、たしかにそんなお姉さんがいた。そう記憶している。

はい、していません。これはただのもうそうです。つくられた記憶です。ラミィ(狂)の狂気が少しうつったのかもしれない。

あ、でもいろいろなホロライブのメンバーの新しい面を見るのはとても心躍ることですね?

ころさんもたいがいお姉さん味があったりする。


今日の22時からそんなおかころのライブがあるそうなので見ねば。見よう。見ろ。(すてま)

























久しぶりに訪れるこの町はずいぶん様子が変わっていた。
夏に風に揺れていた水田は埋め立てられ、ピカピカと真新しい建売住宅が並んでいる。幼いころに引っ越すまで住んでいた家はもちろん跡形もない。
すこしだけ、寂しい気持ちになる。この町の変容に口を出す資格なんてちっともありはしないのだけれども。
そういえば、と思い出す。昔、遊んでもらったお姉さんがいたな。いつも穏やかで、ゲームが得意で。泣いて帰った日は慰めてくれた。あのお姉さんは今もこの町に住んでいるのだろうか。
ぼんやりとそんなことを考える。
ふわり、と香ばしいお米の匂いが香った。
匂いにつられて角を曲がる。そこには記憶と違わないおにぎり屋があった。思わず駆け寄る。
「いらっしゃい」
お店に座っているおばあちゃんが顔を上げる。お姉さんではない。それも当然のこと。もうずいぶん昔のことなのだから。誤魔化すようにガラス棚に並んだおにぎりを眺める。鮭、梅、昆布、卵焼き。
「あれ? ひさしぶりー」
後ろから突然声がかかった。
振り返ると、あの日と変わらないお姉さんが微笑みを浮かべながら立っていた。




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