ジョイマンと踏み出す一歩は二歩、三歩、チ・・
またミスをした。
人生の回転軸は一度狂うと、なかなか正常な状況に戻すには時間とパワーがいるらしい。それでも一歩前へと声高に叫ぶ人もいるだろう。しかし、それができたら、私はネガティブではない。
とあるお笑い芸人がかつての震災を振り返って「こんなときにお笑いって必要なのかな?」と自問自答する日々があったと語っていた。
たしかに人間はお笑いなどが存在せずとも生きていける。つまり、衣食住が満ちれば人は死なないというわけだ。
同様にミスをしようが、誰かに叱られようが私たちは生きていける。なぜなら、それ自体が衣食住そのものを脅かすことはないからだ。
しかし、人間は社会性なる何かを身に付けた。だから、こんな話は机上の空論に過ぎない。たとえもし本当にそのような生き方ができるという奴がいれば、そいつは馬鹿か天才のどちらかだろう。無論私は天才でも、そして馬でも鹿でもないので、ミスをして思い悩む。
画面の向こうの彼は私を励まそうとでもしたのか、
「でも、不必要かもしれない笑いがないと、人生って乗り越えれはないじゃないですか」
と熱っぽく話している。ただ彼に倣ってミスが人間を人間たらしめていると仮定してみても、ミスは私を人間社会から追い出そうとしている気がしてならない。
私は他人からは筋道立てて話す人だと言われている。また大阪生まれということもあってか、昔から漫才や落語が好きだ。フリがあってオチがある。そこには一種の美さえをも覚えてしまう。
ただここ数年ミスをして辛いときに手に取る笑いはそんな漫才や落語ではなく、ジョイマンというお笑いコンビのネタを見ることが多い。
彼らはかねてより、ラップと評されたダジャレのような韻踏みを用いて歌い踊るというネタを披露している。たとえば「健康は大事、坂東は英二」「ありがとう、オリゴ糖」といった具合だ。
といってもそんな彼らのネタの中で、辛いときに結局思い出すのは、正直聞くにも見るにも耐えない下品なものばかりだ。
「一歩踏み出そう。二歩、三歩、チン○」
お察しのとおりある。しかし、フリもオチも考えずに、脳味噌を空にしてくれるこのフレーズを愛してやまない。
それはきっとこのフレーズを聞くたびに、なぜか頑張れる気がしていたからだ。このフレーズが社会に存在していいように、ミスもするし、あげく何者でもない私も存在していい。そんな気分になる。
そういえば、今日も昨日もこのネタが脳裏をよぎった。
これはもしかすると、「辛くても新たな一歩踏み出してみようよ」というジョイマンからのメッセージなのかもしれない。
だったら、私も一歩、二歩、三歩と進んでみよう。
ただ私は残念ながら社会的な生き物なので、まずはズボンのチャックをきつく閉め上げることにした。
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