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大学は学び場から、目的を見つけ備える場に変わる?立命館のイベントで感じた、これからの大学がめざす姿。

大学広報というのは、言ってしまえば大学が何をめざしていて、何をやっているのかを伝える活動なわけで、私立大学の場合その根っこにあるのは教育活動になります。そのため、大学関係者とあれこれ話していると、教育は今後どうなっていくのか、という話になることがよくあります。つい最近、縁があって立命館のイベントに参加したのですが、教育の今後を考えるいいきっかけになりました。今回はこれについて取り上げたいと思います。

社会と学校教育のズレをどう捉えるか

イベント名は「IMPACT MAKERS DAY」。社会にインパクトや価値を生み出す人のことをIMPACT MAKERと定義し、これらIMPACT MAKERが集い交流するのがこのイベントの趣旨です。具体的には、社会起業家のセッションや事業化をめざす研究シーズの紹介、IMPACT MAKERをめざす小学生、高校生、大学生、院生たちのピッチ(短いプレゼン)等が、いくつかのステージに分かれて開催されていました。ピッチをする高校生や大学生、院生のなかには、すでに起業をしている人たちもいて、どの生徒・学生もプレゼンがすごく上手いんですね。びっくりしました。詳細については、立命館の公式サイトにイベントレポートが載っていたので、こちらをどうぞ。

ピッチをした若者たちが起業家ないしその予備軍となりえていてるのは、社会課題への敏感さであったり、チャレンジ精神であったり、人を巻き込む力であったり、そういった力があったからこそです。あと、プログラミングの知識も事業によっては重要なように感じました。で、これら意識やスキルって、あらためて考えてみると、高校までに学ぶ教科・科目とは直接関係しないんですよね。社会がイノベーションを重視しているのに、それを起こすために必要な素養を、子どもたちは最も大切な時期に受ける教育で、少なくとも直接的かつメインとしては教わっていない。これってよく指摘されていることかもしれないのですが、目の当たりにするとけっこうなインパクトがありました。

さらにいうと、大学入試もAO入試や推薦入試の比率が高まっているものの、メインとなる一般入試は教科・科目の出来不出来で選抜されます。大学は社会で活躍する人材を育成したいのに、社会が評価する優秀と、学校教育が評価する優秀にズレがあり、結局、今のところほとんどの大学は学校教育が考える優秀の尺度で人を選抜しています。これを歪み、ではなく、チャンスとして捉えられるなら、その大学は大きく伸びていくのかなと感じました。

これからの学びは目的を見つけるところからはじまる

もう一つ思ったのは、今回ピッチした若者たちから感じた資質・能力を育成しようとするなら、それは刺激のある場に身を置くことからはじめないといけない、ということです。というのも、学びのスタンスが、学びのための学びではなく、目的に向かうための学びなんですね。つまり、学びは手段でしかない。

この学び方をするには、まず目的を見つけないといけません。でも、従来型の知識を教授するスタイルの学びは、知識を身につけさせることが目的で、目的を見つけてもらうことを目的にはしていません(うーん、字面にするとややこしい)。さらにいうと、目的というのは、人に言われて、はいそうですかと納得できるものではないですよね。こればかりは、自分で見つけるしかないわけです。

そう考えると、大学は知識を単に身につけるのではなく、その動機付けからプロデュースしていかないといけない。そして、この動機は“人”が授けるのではなく、さまざまな刺激が混沌と集まる“場”をつくり、そこに身を置くことで、学生一人ひとりが自分で見つけなくてはいけない。ここらへんの考えは、少し前にnoteで書いた、武蔵大学の記事に通じるところがあります。

大学がそんなことまでやらないといけないのか……と思う大学人もいるかもしれません。けど、考えてみてください。大学って、こういう刺激的な場をすごくつくりやすいところだと思うのです。広大なスペースがあり、研究者、学生、職員という毛色の違う人がいて、地域や企業、他の研究機関も出入りしやすく、そして何よりとてもニュートラルな場です。企業がやる場合、否が応でも利害関係が出てしまって、多様な人がフラットに交流するというのは、実際問題けっこう難しいと思います。それに今回、立命館のイベントを生で見てみて、こういった場を大学ならつくれるのでは、という期待を実感として持ちました。

目的探しから関わると、より社会に開かれた場になれる

また、別角度から深掘りして考えていくと、目的を見つけるのって、簡単そうでいて難しいんですよね。やらなきゃいけないことは、けっこうすぐにわかるけど、自分自身にとっての目的を見つけるのは、社会人でもできていない人の方が多いように思います。

じゃあ、そんな大変なことができるようになれる場をつくるのか……と悲観するのは間違いで、ここに大きなチャンスがあるように感じます。つまり、目的を見つけられて、なおかつ目的達成のためのチカラが身につけられる場をつくることができれば、学生だけでなく迷える社会人も取り込められる、かもしれないわけです。若者たちに学術知識を教授する場というこれまでの大学のあり方とはけっこう違うけど、これはこれで大学だからこそできることのように思います。

社会は急速に変わってきていますが、その変化のスピードに比べると高校までの学校教育の変化は遅いというのが現実です。大学が教育機関だからといって、学校教育に歩調を合わせる必要はなく、そもそも教育機関という自己認識を打ち破って、次の姿をめざして歩き出すときが来ているのではないでしょうか。今回の立命館の取り組みは、その足音が聞こえてくれるようなイベントでした。やっぱりリリースを読むだけじゃなく、たまには足を運ばないといけないですね。個人的には、そんな反省にもなったイベントでした。


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