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時をかけるおじさん 6/ アクティブご隠居さん時代

62歳。退職、帰国を経て家にいるようになって、外出する機会も多くなく、家でものを食べたりお酒を飲んだりテレビを観たりして過ごす父。私はといえばこの頃家を出て一人暮らしを始めていたので、両親とは同居していなかった。

父との会話は、短時間の間に同じ内容がループするようになってきた。数分前に話して一度目の前から離れて再度現れると、「あれ、来てたの」と驚かれたりもした。短期的な記憶がスポッと抜け落ちるようになった。外での待ち合わせや約束は、もうすっかり一人ではできなくなってしまった。出がけに何時にどこ、とリマインドしたとしても、家を出てからどこに向かうのか誰に会うのかがわからなくなってしまうなど。手に書いてもその手を見なければ意味がないので、相手を問わずいくつもの約束をすっぽかし、家族をはじめ待ち合わせ相手は何度も振り回された。

この頃父はアクティブだったのだ。時間だけが有り余る感覚は、本人にとっては楽しみであり恐怖でもあったのかもしれない。

「もう散々働いたんだから、これからは好きなことをしなよ」といったことを言うと、そうだね、俺、働かなくていいんだなあ!嬉しいな!なんていいながら、隙を見れば働きたい様子の父。その後もなぜかかかるヘッドハンティングの声も、家族の反対を押し切り乗りかかろうとするが、結局自分で待ち合わせができずに実現することはなくなった。一人で何かを予定して遂行することがずいぶん難しくなっている父が、仕事をできる状態にあるとは家族の誰もが思えなかった。とはいえ本人は、遂行できなかった約束すら忘れているわけなので、自分ができないとは到底思っていないというわけだ。

学ぶ意欲はあるようで、突然手話の勉強を始めると言って高い入学金をポンっと払ってきたり、しばらく続けたあとはフランス語を英語で学ぶというクラスに通い始めた。突然フランスに留学したいと言い出してはエージェントと連絡を取り始めたりするが、あとは先ほどと同様に話が立ち消えていくのである。話をしていても、相手の話が理解できなかったりして食い違ってしまい、怒りにつながってしまうというパターンもあるようだった。

アメリカ生活が長かったせいか、少し態度がなっていない店員などに文句をつけたり喧嘩腰になるところは昔からあった。とはいえ、携帯ショップなどで会話が成り立たず怒鳴り散らして帰って来るようなことがあったのはこのあたりの時期だったか。新しもの好きの父がらくらくフォンなど使うはずもなく、欲しいのは最新のスマホだ。とはいえ複雑化しているはずの現代の料金体系、操作方法など、そんなことをわーっと店員に語られてもあっという間に混乱してしまうわけだ。店員さんも、父が90代のおじいちゃんだったら話し方も変わったであろう。見た目も若くハッキリと喋る父だったので、余計にやりとりが入り組んでしまうわけである。

口ではそう言わないけれど、父はたぶん、まだご隠居さんにはなりたくなかった。本当は、働きたいという希望に歯止めをかける権利なんて誰にもなかったはず。とはいえ、父は病気に、ご隠居させられてしまったのだ。

一応フォローすると、家族は一応、阻害したわけではない。協力しなかった。一人で遂行することは、もうずいぶん難しくなっていたのだった。

文・絵 / ほうこ

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