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時をかけるおじさん 7 / 認知症ではありません?

ずっと担当していた医師は、この頃の父の症状を「てんかんからくる記憶障害」としていた。
とはいえ、足元がやや不自由なことや、あまりにも短期的な記憶が抜け落ちること、これは認知症なのではないか?というのは家族がずっと抱いていた疑いだった。父自身は、自分の記憶の弱さや体の不自由さを頑なに認めず、なんでもできるというような態度だった。病院に行くと元気に振る舞う父は、付き添った母にも口をなかなか挟ませない。

父にはとても仲のいい姉(私からすれば伯母)がいて、母はよく父の変な様子について伯母に相談していた。
しかし自分の弱みを見せるような気になるのか、父は母が伯母に父の様子を伝えるのも嫌がったし、病院への同行など断固拒否した。
伯母は職業柄医師との会話に慣れていた。また母から細かく父の様子も聞いていたので、伯母はここ数年の父の変化や違和感を感じるようなエピソードを具体的に時系列にまとめたWord文書を作成した。

外来で母がこの文書を医師に渡すと、今まで心配していなかったようすの医師も少し顔つきが変わったという。これ以後、今まで父と医師が中心だった外来での会話だったが、医師はしばしば母に意見を求めるようになった。

そこで改めて高次脳機能検査を受けるも、認知症ではないという診断が下りた。

父は、医師にも家族にも、自分は変わったことなどない、元気だ、正常だ、そう繰り返し主張した。
ただ、自分がいろいろなことができなくなってきていることに気づいていないわけではなく、「僕は本当に大丈夫かな」というような後ろ向きなメールを叔母に送るなどもしていた。とはいえそのメールを受信した伯母が返信をすると数時間後には当人はすっかり忘れ、素っ頓狂なメールが返ってくるような始末だった。

文・絵 / ほうこ

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