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科学技術と万博と科博クラファン〜金を惜しむポイントがズレているのでは

万博の建設費が2350億円にもなる見通しで、万博開催への批判コメントをX(旧twitter)上でよく見かけます。

実現しそうにない無茶振りの空飛ぶ車とか、工事遅れのための無茶苦茶な労働時間制限解除を模索など、色々と粗がある話が散見されるので、万博について個別の批判はされるのは仕方ないとは思うのですが、万博そのものの開催を止めるべき、というコメントがアカデミアに近い方面から出るのがちょっとよくわからないのです。

科博が(国の予算が不十分なので)クラウドファンディングでお金を集めていることにあわせて、万博費用よりも科博などの施設への投資や維持費に回すべきだ、というコメントが散見されます。科博に限らず、博物館や大学など、学術に関係する施設がどこも資金難な中、目につく万博に批判の矛先を向けているのでしょう。これ、本当に矛先はあっていますか?

さて、国の予算で湯水のように増えている支出があります。社会保障費です。令和5年は36.9兆円で前年度より6,200億円の増加です。万博の建設費用(民間拠出もありますが)を削減したところで、毎年増え続ける社会保障費に削減分はあっさりと吸収されてしまいます(2000億円削減しても、1年の増額分すら賄えません)

令和5年度の社会保障関係費は前年度と比べて+6,200億円増加

https://www.mof.go.jp/public_relations/finance/202304/202304c.pdf

 社会保障費に圧迫されている中で、規模も小さく一時的な費用の万博費用を批判していても、学術予算は削られていく方向性に変化はないでしょう。社会保障費は"健康や生活を守るため"の予算で(特に増え続ける高齢者の)生活や命を支えている費用です。
 学術予算を増やす/減らさないためには、極端な話、「博物館のために人が死んでもいいのか」という問いかけに反論していく必要があるのです。目先の生活や命を削ってでも、学術的研究や自然史の資料収集、科学技術への投資には価値がある、と訴え続ける必要があるのです。そのためには科学技術の有用性をアピールする、自然史の面白さを伝えていく、学術研究の価値を訴えかけるなどが考えられます。

 科博のクラウドファンディングは5万人もの人が寄付に応えました。しかし、5万人です。今後同じような取り組みを学術施設で行ったとしても、大きな成果が得られるかは不透明です。施設によっては手間が増えるだけで得られる資金がほとんどないところも出てくるでしょう。やはり一定程度の公的支出を求め続けないといけませんし、現在の公的支出の水準を維持・もしくは拡大を訴えかけるべきです。

 しかし、学術の価値を広く訴えかける機会はそうそうありません。科学博物館に来るような人々は元々学術の価値をわかっている人です。さて、地方の人が東京に来てわざわざ国立科学博物館へ行くでしょうか。大多数は浦安の某テーマパークだったり、某ドームでのライブや試合観戦だったりと、他の場所へ行くでしょう。科学博物館へ行くような人は多くないのです。ちなみに科博の年間入場者数は270万人程度(2019年)で、読売巨人軍の主催試合の入場者数が270万人(2023年、内東京ドームが259万人)です。

なんと2025年には、2000万人近い入場者が見込まれ、自然科学への理解を"普段興味を抱かない層"にまでアプローチできるイベントが予定されています。それが万博です。愛・地球博では2200万人もの来場者を記録しました。5%弱が外国人来訪者だったので、2000万人もの日本人来場者が様々なパビリオンを見たことになります。学校教育以外で、これ以上に国民に広く科学技術・自然科学への理解を深め、興味を持ってもらう機会はありません。さらに、費用は公的支出だけでなく民間からも拠出してもらえるのです。



2017年のアスタナ万博(カザフスタン)


アクアポニックスに関する展示
環境について学ぶ展示も


 万博の内容について、「◯◯を展示すべきだ」「〇〇の理解を深めるパビリオンが必要だ」といった声があがるのは当然とは思いますが、学術への理解に対する後押しイベントである万博の中止を求めるのは理解に苦しみます。

 昔の大阪万博より魅力の訴求度が落ちているのはわかります。それでも多くの人に科学技術のことを知ってもらい、アピールするまたとないチャンスなのです。

 万博が中止になったとしても、学術や博物館施設への資金拠出が増える保障はないですし、それどころか、万博の中止は未来の協力者・資金協力者・公的支出への賛同者を得る機会を捨てることになるのです。

 それにも関わらず、万博の費用増加を嫌って批判をする人が絶えないのは、「学術へ予算を配分するのは国民の常識だ」とでも思い込んでいる人が増えているからなのでしょうか。日本もやや社会階層が固定化してきて、学術の重要性への認識が階層でバラバラなまま、人々が交わらないようになってきているのでしょうか。
 学問の価値や人材の供給源としてアカデミア、自然史の大切さへの理解は雨のように勝手に降ってくるわけではなく、常に訴えかけつづけないと根付かないです。
 

 社会保障費による他予算の圧迫圧力に負けず、学術に関する取り組みへの予算増加に向けて、万博でのアピールの機会を有効活用していく、そんな社会であってほしいと思います。



 個人的に、万博が魅力的かという点に関しては、1970年の万博と比べて、2025年の万博の魅力が落ちるのは仕方がないと思っています。生活を変えるような科学技術の変化も今後数年ではそうそう起きないだろうとも思っていますし、今では開発途上国も含めて研究開発で各国がしのぎを削る中、日本をアピールする機会としては訴求力は落ちているでしょう。オンラインで各国の様々な技術や製品を見ることもできます。訴求度が落ちているので、「空を飛ぶ車」とかの名物を作りたいと躍起になっているのでしょう。

 それでも、数千万人の国民が参加するイベントとしては代えがたく、活用すべきイベントとは思っています。

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