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都会から田舎へ…引越し。

引越し(移住)といっても「ワーケーション」ではありませんよ。。。
 ※「ワーケーション」とは、「ワーク」と「バケーション」を合わせた造語です。

新宿で生まれ約50年以上一人で自由気ままに仕事をして人生過ごしてきましたが、去年地方で暮らす軽い認知症の母から電話があり新宿で自分と一緒に暮らすことになりました。
そして二人で行った健康診断で2回目の乳がんが発見され、2度目の全摘出の手術を行うことになりました。

幸い結果は転移もなく無事手術は終わりましたが、以前少し症状があった認知症が術後なぜか急激に進み、都会での仕事と介護の両立が厳しくなりましたというか、仕事が今までのようにできなくなってしまいました。。。😢
そして知り合いの社長さんの好意で現在営業はしていない旅館に母と二人で引越しして一緒の部屋で生活しながら仕事と介護をすることにしました。

人はだれしも病気になることがあります。
自分もおととし乾癬という謎の病気になり原因であった扁桃腺の摘出手術を行い病気は完治はしました。

乾癬の症状

しかし母の認知症という病気はこんなに医療が進化した現在でもいまだに完治できる薬や対処方法がありません。
人はどうして認知症になってしまうのでしょうか?
不思議です、人は長生きをしてはいけないという神様のお告げか何かなのでしょうか?
認知症になる人もいれば生涯ならない人もいます、本当に不思議です。
最近のドラマや映画でも認知症の親を題材にしたものが多くありますが、自分がまさか認知症の母の面倒を見るなんて人生の中で考えもしなかったので、実際当事者になってみると、、、正直認知症の母を介護していくことの大変さを今は痛感しています。
世の中には認知症の親を介護する立場になった方は一体どうやって介護しながら仕事をして生活しているのか不思議で仕方ありません。

母と一緒に暮らし始めた最初の頃は軽度の認知症だったため、IoTの便利なツールを使い見守りカメラやスマートフォンでカギを操作できるスマートロックアップルのエアタグなどを駆使してなるべく効率よく介護ができるようにしていました。

しかし、IoTの便利なツールがあっても母は1人で元気にタクシーに乗り出かけて迷子になってしまうし、勝手に出かけて外食すれば周りに座っていた学生さんたちにごちそうして1回の食事代が2万円近いことも頻繁にありました。
そして手術後認知症が進み『 デジタルのカレンダーを見ても今日が何日なのか分からない状態 』になってしまうと、いくら便利なツールがあっても仕事と介護の両立は簡単にはいかなくなってしまいました。

新宿ではデイサービスにも行っていましたが、認知症が進むとデイサービスでもトラブルを起こすようになり仕事中に自分にも直接電話がかかってくることが度々起こりました。
そんなことから仕事場と自宅が別々で暮らすことは難しいという結論になり、母とは一緒の部屋で生活して仕事をしていく環境以外は認知症の介護はできないと判断したのです。
介護施設に入居することも考え都内で数件見学にもいきましたが、月々のコストがかかりすぎるのと母が嫌がったため移住を決めました。

そして、今まで住んできたコンビニまで1分、24時間開いているお店もたくさんある便利な都会を離れ、歩いていくならコンビニまでは20分以上、近隣24時間開いているお店は一切なくUber Eatsも出前もない田舎へ引越しし母と一緒に暮らす生活がはじまりました。

もちろんこの場所は車がないと生活できないので軽自動車を買い、引越代は会社と自宅の両方を一緒に行ったので40万円近くかかるところを何社も見積もりを取ってサカイ引越センターで半額で引越しができました。
サカイさん、ありがとうございます!

引越しした場所は知り合いの社長さんの旅館だったので家賃も安くしてもらい、月々の経費が新宿で住んでいたころの1/3以下になりました。
そしてこの旅館には温泉の源泉があり、温泉が毎日何回でも入り放題なのです!
新宿では湯船につかることがなかったので10年ぶりの足を伸ばせるお風呂に毎日入ることができています。
かりた部屋は20畳あるので仕事場と母の住むスペースも十分確保できています。
本当に感謝感謝です!
しかし旅館には、、、都会にある当たり前のものがいくつかありませんでした。。。

まず、
・エアコン
・テレビのアンテナ
・洗濯機置き場
・洗面台
・出前館やUberEatsの出前 などです

そして引越し早々まずは畳の部屋を全面防虫シートとカーペットをひき、母は都会育ちのテレビっ子なのでテレビがないと「 生きていけません 」と言われてしまい屋上に自分でアンテナを付けて部屋まで配線しテレビが見れるようしました。
しかし、テレビは風が強かったりすると日によって映らないチャンネルがあったりするのです😢

テレビ写りません・・・

ちょっとビックリです!

それとエアコンがないので社長さんからかりた灯油ストーブをつけると1日灯油が18Lも消費し1ヵ月灯油ストーブをつけ続けると6万円ちかくかかってしまうので燃費のいい小さな石油ファンヒーターを2台買い1ヵ月の灯油代を1/3の2万円ぐらいにしました。

次に遠くにあるホームセンターとamazonで買った材料で洗濯機と洗面台の給水管と排水管の配管をYouTubeのDIYの動画を見まくって人生で初めて行い現在は洗濯機と洗面台が使えるようにもなりました!
ちょっと感動です(笑)

大変なこともありますが、良い事もたくさんあります。
ここでは食材によりますが都会の半額以下で買うことができます。
例をあげると大きな白菜が一玉150円、いちごが4パックで1000円などとにかく食材がやすくおいしいのです。
水道水は売っているおいしいお水にも負けないぐらいおいしいです。
旅館の横に流れている川は温泉に入りながらみても透明度が高く川底まで見ることができます。

自分は一度も結婚をしたことない昔っからの独り身なので食事は基本自炊で、食材さえあればごはんには困りません。
ところが、母は新宿で40年も飲食店を経営してきて舌が肥えているので少しでもおいしくないものは「 No thank you 」といって食べてくれません。。。
なのでごはんづくりは大変です。
ただ、おいしいっといったものは1週間で2回位作っても食べたことを忘れてしまうので「 おいしいねぇ~」っていって食べてくれます(笑)
あとは栄養のバランスを考えて献立を立てればいいのでここはちょっと認知症の病気に感謝しなくてなりませんね。

そんなこんなで50年近く住みなれた都会をはなれ、認知症の母と二人で田舎の旅館で一緒に生活する人生が始まりした。
仕事はIT関係とコンサルティングの仕事ですのでネット回線があれば都会とほぼ同じ仕事ができます。

ここは窓を閉めていると本当に何も音がしません。
防音の静けさとは違い、心底しずかだなぁ~っ感じる静けさです。
窓を開ければ川の音がして新宿のようなパトカーや救急車のサイレン、若者が酔っ払って大きな声で叫んでいる声など一生聞くことはないと思います。
少し心が落ち着くような気がします。

正直田舎へ引越しすることは自分は何があってもありえないとずっーと考えていました。
しかし、母の認知症が進んでしまった状況ではそうも言ってられず気持ちと考え方を切り替え移住することを決断しました。
移住してそろそろ1ヵ月が経とうとしています。
東京では日々の時間の流れが早く、月々の経費もかかるのでたくさんの仕事を効率よくこなし稼がなくなてはなりませんでした。
しかし、今は正反対の環境になったのでnoteを始めてみようと考えつきました。
仕事の一環でnoteの存在は知っていてみなさんの記事は読んでいましたが、自分が書く立場になるなんて本当にビックリです。
環境が変わり落ち着いて深く物事の本質を考え過ごせるようになったので、今まで人生で経験したことを文章にしてみようと思います。

正直自分の人生はアップダウンの激しい人生でした。
良いときもあれば、どん底に落ちた時期を何度も経験し人の何倍もいろんな経験はさせてもらったと思います。

noteは下記の内容でこれから記事を書いていく予定です。
・仕事(経営)のマニュアル
・50年失敗を繰り返し感じた人生についての人生本
・男子がつくる20分以内にできる簡単料理のレシピ
・昔アマチュアドライバーとしてレースを主催し筑波サーキットで1分を切れたときの経験から感じた素人でもサーキットで速くなるドライビングマニュアル
・ホームページを1日で製作できるシステムを作ったのでホームページの作り方マニュアル
・仕事をしてきて便利で効率よく運用できるアイテムやガジェットなどの紹介
・今まで1000冊以上本を読んできたのでおすすめ本の紹介
・日々のつぶやきなどなど
自分の人生で経験してみなさんも役に立ちそうな記事を書いていきたいと思います。

今後ともぜひ読んでみてください、そして記事がよかったらフォローを
お願いします。

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