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なぜ小説を書くのか?

【2024年2月】時点(^^)

たとえ1本だけでも、それが私が書きそうなレベルの駄作でも、小説を書いた人には理由があるはずですよね。
だから私にも。
最初に書いたきっかけについては、一番最初の記事「自己紹介です」に書きましたので、よかったら見てみてください。

さて、そういうわけでこのテーマ、一度は触れておかなければならないと思いました。
Note投稿している方々は、みな様々な理由で小説を書いていらっしゃると思いました。
いくつかの記事を読ませていただきました。少し引用させていただきながら、自分について振り返ってみたいと思います。

もしnote投稿が続けられていたら、また同じテーマを振り返ることもあるかと思いまして、自分のために【2024年2月】と現在を標すことにしました。
ー*ー*ー

まず最初に、私はプロの作家ではありません。そして深く趣味の領域を極めたベテランの方々とも違います。小説でも書いてみようかな、と始めようとしている初心者の域をまだ脱してはいないでしょう。
時間は10年ほど経過しまして、長編から短編、ショートショートまで含めて合計20数作品しかありません。ですが、すごく細々と続いているちょっとした趣味です。

書き始めたきっかけの出来事はプロフィールに書いたのですが、
「なぜ書くんだ?」
と聞かれると、自分はどう答えるでしょう?
それを改めて考えてみるのが、今日の本題です。

プロの作家の方々でも、そういう質問をされる事があるとは思いますが、
「仕事だから」
という理由がどこかに織り交ぜられている可能性がありますね。
それは私が自分に問い、求めている答えではないですね。
はい、私は仕事ではないのです。――①

「でも、書かねばならないという固定観念がどこかに少しでもありませんか?」
・小説を趣味だと言っているのだから……。
・誰かに読んでもらえる作品を生み出すまでは! と考えていない?
・書いている途中の作品があるから完成させなきゃ……。
・noteを続けるんでしょ? それなら書かないわけにいかないのでは……。
なーんて、「書かなければいけない」と考えている自分が少しいるのは否めないです。

ひとつ、私にもこの側面があるなと思わされたのは、ふゆはらさんの記事です。

『未来に成る果実のための種まきなのだ』

私はふゆはらさん程の素晴らしい果実を得られるとは思っていませんが、このまま書き続ければもう何作かを含めて自分が生み出したものが作品として残る。自分が作って形にしたものって、小学校の工作のような体験であって、なにか嬉しいじゃないですか。
だからだと思います。
残せた小説作品そのものが果実といえるかもしれないと思ったんです。――②

そして自分にはこれもあるんじゃないかと考えさせられたのは、如月伊澄さんの記事です。

『自分が生んだ「キャラクター」って可愛いものじゃないですか。』

『創作とは自己表現です。「私の世界はこれだけ素晴らしいんだぞ!」というのを思い切りぶちまけられる素晴らしいものです。』
という如月伊澄さんの思いには、「そうだ!」と勇ましく同感だと声を上げたいですが、実はそれよりも私が刺さった部分は、上に引用して記した箇所です。
自分が生んだ「キャラクター」たちは私の小説の中の世界で人生を送り、作品のテーマの中に身を置いています。小説書いているときに、登場人物たちの魂が自分が入り、知らずに筆が走るっていう体験ないですか?
そうなった時に彼らの活躍を、
☆せめて世に出してあげたい!
☆文字にして残してあげて、いつか来る読者に見せてあげたい!
そんな風に、主人公たちを助けたいという思いになります。――③

あとは、たぶん、薄っすらと頭のどこかで考えていることとしては、
自分がいた証になるかもしれない。――④
って事です。
だけど、これは
(そうなのかもしれないな……)
という感じで、曖昧です。

自分へのメモか日記のような記事になってしまいました。
きっと後々、振り返ることもあるでしょう。

★こんな内容ですが、最後まで読んでくださった方々、ありがとうございます。

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