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サブスク主義は市場を破壊する!?【ゲーム編・後編】

ゲームのサブスクについてのお話、前編からの続きです。

サブスクによる市場破壊

ところでサブスクというとなんだか新しい概念のようですが、Subscriptionは予約購読・定期購読を示す言葉でしかありません。新聞、雑誌(の定期購読)もサブスクです。

ところが、『dマガジン』のように雑誌のサブスクもあります。サブスクのサブスクですね。いわば「サブスク先輩」である雑誌の世界は、連載と単行本の差別化に関するノウハウもあるため、サブスクにおいても、他の分野とちょっと違った振る舞いを見ることができます。

サブスクに加盟している出版社のなかには、コンテンツとして雑誌を提供しているにも関わらずその一部、特に「目玉」となる記事をサブスクには掲載しないケースが目立つのです(週刊誌のスクープ記事や連載マンガが掲載されない等)。プラットフォーマーへのデータ納入のタイミングの都合もあるかもしれませんが、サブスクに依存せず、紙媒体の市場を守る効果があることは間違いありません。

もっとも、そういった"欠け"のある雑誌を「読み放題!」としているのはプラットフォーマーによる「詐欺」に等しいので、雑誌読み放題の利用には注意が必要です。あらかじめ「電子版」とか「サブスク版」と銘打ち、それを強調してあれば話は違うんですけどね。

ただ、プラットフォーマーは利益を最大化しようとするので、そういう姿勢、「誠意」を見せることはほとんどありません。「ゆくゆくは既存の市場を破壊して、丸ごと全部をサブスクに載せざるをえない」ようにすることがプラットフォーマーにとって都合がいいので、なおさらです。

出版社は一応の「誠意」を見せる意志があり「これはデジタル版だから」と注意書きを示しています。ただし、その雑誌を開いてから見ることになり、大した意味はありません。表紙画像は紙の雑誌のままなので、表紙にデカデカと書かれているコンテンツを読めないこともあり、これはいただけません。

共同体として考える

紙の雑誌でもROMのゲームでも、その市場はこれまで出版社やゲームメーカーが相互に気遣って作り上げてきました。そういう意味で、市場もコミュニティであり、共同体の一種と言えます。

ゲーム、特に家庭用ゲームの場合はもともと各メーカーが任天堂やソニーなどのプラットフォームに加盟してきた歴史があるので、同じプラットフォーマーである任天堂やソニーのサブスクが市場を(意図的に)破壊することは考えにくいです。

特に「おもちゃ屋さん」にゲーム機を売ってもらわなければ困る、ネットで充分に売れるような時代が来るときはハードの必要性も終わりかねない(=上前を撥ねる機会がなくなる)というジレンマを抱えているので、他の分野と比べればサブスクに対する危機感はずいぶんマシな方と言えます。

問題点を前向きに解決する

とはいえ、市場が破壊されていきかねない、あるいはもう壊れた他の分野に学ぶことは必要です。

例えば、前述のサブスク雑誌に「欠け」がある問題。お客さんへの最低限の誠意として「あくまでサブスク版」ということをあらかじめ銘打っておくことが必要です。プラットフォーマーは目先の利益重視でそういうことを考えない傾向がありますが、当事者が問題から目を背けないことが大切です。なお、雑誌でもまれに「電子版だけのオマケ」を加えているところもあります。これは大きなヒントになるでしょう。

ゲームの場合は特に、いわゆる「ポケモン商法」と呼ばれた「ちょっとだけ違う別バージョン」をユーザーが喜んで受け入れる傾向があるので、パッケージ版と、ダウンロード版と、サブスク版の内容が少し違ってもいいでしょう。ゲームはもともとがデジタルだけに「全部揃えるとさらに!」も容易に実現可能で、他の分野に比べて大きなアドバンテージがあります。

ただ、ポケモンほど強くないタイトルにとって別バージョン商法はハードルが高いでしょう。強いタイトルにも、価格の問題が立ち塞がります。もともとダウンロード版のゲームがパッケージ版と同額なのはかなり理不尽で、これも解決しなければならない問題です。

なお、ゲームが他のエンタメに比べて非常に定価が高いのは、ファミコン時代以前から物理的に「ROMの原価が高い」ことに起因します。そして「なけなしのお小遣いをためて買ってくれた子どものために、そのぶんたくさん遊べるようにしよう」という考えもあってボリュームが増加してきた経緯があります。もちろん、すぐに遊び終わったら中古市場に流れてしまうことを防ぐ効果もありますが。

しかし、ゲームのボリュームアップは大きなデメリットも生みました。冗長になりすぎて大人など忙しいひとは手を出しにくくなったのです。

このデメリットは、中古販売に流れる心配のないダウンロード版とサブスク版は「冗長なのをやめて、内容をショートにし、価格も下げる」という選択肢によって解決できます。これまでは「遊びきれないので敬遠していた大人」を中心に販売数が増加すると思われます(「程度」を計るのが難しいなど困難はありますが)。

そもそもサブスクは「月に何本も楽しめる」というのがウリですから、「ひと月かけても1タイトルすら遊びきれるかわからない!」というのでは話になりません。単純に「長いか」「短いか」の問題だけでなく、「費やす時間の見通しがまったくたたない」という大問題が、この際見直されるといいのですが。

「ゲームのサブスクなんて、成立しなければいい」と考えることもありですが、他のエンタメが「リーズナブル」になっていくことによる総合的な競争からは逃れられません。だからといってゲームが「さらにボリュームを増そう!」というのでは困ります。

ゲームがサブスク化するのを肯定するか否かとは別に、長年向き合わずにきた諸問題に目を向ける時期がきています。うまく解決されて、今後もゲームを楽しんでいけることを願います。そのためにはユーザーもこの共同体の一員として、どうしたらいいか、どうしてほしいかを表現していくべきでしょう。

さて、長くなってきたのでゲームのサブスクについてはそろそろ終わります。映像作品などの分野のサブスクについてはさらに記事にして考えていこうと思いますが、今回、雑誌のサブスクの話が出たように、他の分野の話のなかでゲームについて触れることもあるかもしれません。もしこのnoteをまだフォローしていただいていない方がこれを読んでいたら、ぜひフォローしていただいて、続きを読んでいただけたらと思います!

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