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底辺、高専留年を語る

もう一回遊べるドン!
皆さんは学校を留年したことはありますか?自分はあります。
自分は通っていたにもかかわらず高専生が持つ謎の選民意識とか意識の高さが苦手なんだけどオタク気質な高専生や卒業生はnoteとか好きそうだからいいね♡が貰えそうという安直な理由で高専について語ります。あと留年から10年経って今一度向き合おうと。

前の記事にもちょっと書いたとおり自分は高校→大学or専門ではなく高専に行ったんだけどそこで見事に留年しました。大体の高専は5年で卒業となるところを6年かけて卒業をしたのでした。

ざっくりと書くと

  1. 入学と同時にやる気を無くす

  2. やる気を無くしてギリギリで進級する

  3. 完全にやる気を無くして留年する

という流れ。まぁ、高専ではよくある話だと思います。


なんで入学したねん

そもそもなんで入学したのだと言われると今になると全く謎。
ただ、覚えているのは幼稚園くらいのときから母親に「高専行け、行け」と言われていたのがデカいかもしれない。今思うと小学校にも行っていない子供に十何年後のことを言い続けるの正気じゃないね。あとは実家は明らかに自分と姉という2人の子供を作る余裕がないのに作っちまったもんだからめっちゃ金がなかったんだろうね、だからどうしても大学に行かせたくなかったんだろうね。家族計画は大切だね。

とは言うものの自分も自分で子供のときはロボットとか機械的なものに興味はあったし小学生くらいまでは高専を目指すことにそこまでネガティブな感じではなかったのね。ところが2003年、そいつは突然現れた。

デアゴスティーニ「週刊リアルロボット」

490円

現在2022年だと個人で容易にこれよりも高性能なロボットを作ることができるし今見るとすごくショボいけどCMでこれを見たときの衝撃は半端じゃなかった。なんせ専門の学校や機関でないと作製できないと思われていたロボットが本屋さんに行けばで作れてしまうのだ。その途端に自分はロボットの興味が減ってしまった。それと同時に幼稚園くらいのときから母親に「高専行け、行け」と言われていたことが正気じゃないということにやっと気がついた。一度大学になんで行けないのと聞いたがなぜか奨学金をまず使わせないという返事をもらってから未来が内容に感じてしまい将来のキャリアについては絶望的な考えしか持たなくなってしまったのよね。(手遅れだけど今思えばなんとかできただろうな)
とは言うもの高校に行って就職という頭でもなかった(当時は、今はただのバカ)のでそれで終わるには勿体が無かったので不本意ながら行くことに。つまり入学してからやる気が無くなるどころか入学前からやる気がなかったのだ。どの世界でも中途半端が一番弱いね……

入学してから

とういうわけで、入学前からやる気がなかった自分は入学して1ヶ月で「もう俺のやることは終わった……」と見る見る間に適当になってしまったのだ。年度末になると進級しようと必死になる典型的な落ちこぼれとなっていたのよね。
流石は国が作った学校、入るのは容易でも自分で勉強をしないと卒業は容易ではないネ。

脱落の傾向

自分は3年生を2回やった人間だけど1→2→3と進級するにつれて脱落者が出てくる。そこである傾向に気がつく
「消えていったの、寮生が多くないか?」
そう、この学校は寮生という遠く離れた市外から通うのは辛いので敷地内の寮から通学している存在がいる。独断と偏見だが自分のように実家が貧乏極まりなく、学費をスポンサードされるまでもない頭のやつが渋々通っている一方で15歳から市外の学校に寮住まいさせることができるような家庭の子が通っていることもあるということね。
そのため寮生は学力やその他の理由で学校生活が危うくなっても早々と進路変更をするのが容易なのだ。
だが自分は貧乏通学生、生まれたときから家の車は4ナンバー軽自動車一台(税金が死ぬほど安いから)、白ナンバーの車の乗り心地を知らない男。そんな進路変更はできない、退学したらこの21世紀では確実にハードな人生。

※誤解されないように言うけど別にそれが悪いとは思っていません。家が裕福ならそれを階段にしてステップアップすればいいし、そうじゃないなら悔しさをバネに飛べばいいと思っている人です。


その時来る

ついにその時が来る、来た理由が今考えるとすげーショボい理由なのね

  1. 親父、浮気疑惑発生

  2. 母親も姉も何にも触れない

  3. お前らのためにここまで行ったのに(今思うとここがおかしい)誰も誠実じゃない(事なかれ主義に嫌気がする)

  4. 俺も本当に何もしないという反抗

今思うと何もしないよりも家破壊するとかしたほうがインパクトあったと思うしもう少しなにかいい解決があったと思うが当時は本当に
「俺がお前らが昔から言っていた”高専”に行ってやったのにこの家族に対する冒涜的行為は何だ」とキレてしまったのね。ギブに対してのテイクがうんこだったって話ね。
親父とは留年が確定する1年近く全く口を利かなかった。とは言うもの身も心も不完全な10代、日に日にメンタルがおかしくなってくる。末期には公私ともども終末感があって「もうだめだー!」と大声でベソをかいたりもしたのね。そうこうしているうちに留年の覚悟のようなものが浮かんだり親父からの謝罪的な施しを受けたりしたのでなんとか落ち着いたのね。

今思うと担任は優しかった

先にも書いたとおり3年生で留年をしたんだけど、当時の担任はめちゃくちゃ厳しくて担当している教科も教科でとてもむずかしい科目だったのね。まさに鬼に金棒みたいな感じでクラスの優秀者も苦しむレベルね。そんな鬼にも情があった。進級のためになんとかしようと単位を落とした先生のところへ行き交渉をするのね。なんとかなりそうなら電話をして「こうしたら仮で単位をくれてやるって言ってる」とか逐一報告してくれるのね。無論自分には電話がかかってくるのだけど話し声の後ろで早足で歩いている足音が入ってきたりと最後の最後まで動いてくれていたのね。でも自分の場合はやっぱり駄目で「やっぱり駄目だった」って連絡が来たけどここまで動いてくれたので、やる気がもうない状態とはいえ素直に「ここまでしてくれてありがとうございます」って言ったよね。ほんとに。

3年生再び

2回目の3年生となったけど、旧3年と新3年の部活とかのつながりで誰が留年したとかの情報がもう始まる前からある程度伝わっていたり、自分も春休みにこれから同級生になるであろう人たちにあったら「俺留年するからよろしくね」と挨拶をしたりしていたおかげで孤立することはなかったのよね。留年生は年令によるプライドは絶対に持たないほうがいい。いいじゃなくて持つな。あと自身も軽音部にいたのでそのつながりも救われたね。趣味は自分を助けるね。


卒業

留年して心機一転まじめになる。

とは行かなく、留年した先もなかなかにフリーダムなクラスでもともとやる気もなかったためについつい遊んだりしちゃって結局最後の最後まで綱渡りみたいな学校生活だったのね。でも5年生、最後の学年になれたときに
「留年生は君だけになっちゃたね」
って担任(めちゃ優しかった)が言っていたのが今でも残っているんだよね。どんな気持ちで言ったのかはわからないけど……

当時留年したのは自分含めて4人いたけど3人学校を辞めてしまったのね。
馬鹿なのに学校サボりまくっててプライドがクソ高くて嫌われていたヤツ、人柄はとても良くてみんなからも慕われていたけどメンタルを崩してしまったヤツ、なにかの病気で勉強できないくらいに寝ていたヤツ、そしてやる気を全く無くしてしまった自分(自分以外みんな寮生だった)。今思うと留年する人にはやっぱり留年する要素がはっきりとあるな。と。

正直にいうと自分の場合は留年してからのほうが学校が楽しくなったのよね。いや、正確に言うと軽音部。留年前は先輩のバンドにいたんだけど目的がそのバンドにいた女の子に惚れていたので加入するという下心でやっていて(後に盛大に振られる)さらに自分とメンバーの一人が意見の違いでぶつかって爆散したりと面白くなかったし先輩とやっているということで同級生からも浮いた感じになっていたのね。でもそのしがらみがなくなってからというもの新たな同級生と以前よりも楽しませていただいたり。と。そこはとてもありがたいものだったのね。

最後にやる気がなかったのに辞めず(辞めれず)に卒業まで行ったことがいいことか悪いことか今でもわからないし(良し悪しで判断できないかもしれない)卒業後は順調かなと言われるとはっきりとイエスとは言えないね。けどね。一つだけ守り抜いた物はあるね。中学・高専と一緒だった同級生は俺と同じくらい馬鹿だったけどそいつは最後の救済テストでカンニングして進級していったね。でも俺はしなかったね。やる気もプライドも無いけど誠実さは守った。バカ正直に生きても損するだけだと言われたら全くそのとおりだと思うけど自分はしなかった。最後くらいカッコつけさせて(笑)

とりあえず高専留年したら変なプライドは絶対に捨てろ!
最初の一週間が勝負だからチャンスがあったら周りと話せ!!
あと過去問を用意しろ(留年生唯一のメリットなので)!!!

以上、高専留年生の思い出でした。最後まで見ていただきありがとうございます。