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穂村弘『短歌ください』に自分の短歌が掲載されました。これまでの投稿の道のりと落選作たち。

うまくいった部分だけを何度も声高に叫び、うまくいかなかった部分には一切触れない、というのはいかにもSNS的で個人的にはあまりやりたくないので、他にはどういうところへ投稿していてどういう歌が落選したのかという話も、あわせて書いていこうと思います。


僕は今年(2021年)の1月ごろから、プロの歌人が選者をしている雑誌やラジオなどへの短歌の投稿を始めました。こういう場所に自分の歌が掲載されるのは今回が初めてなので、素直にうれしいです。
とくに『短歌ください』の単行本は全巻読んでいて思い入れもあるし、穂村弘先生のほかの著作も好きだし。


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二十四年ずっと鳴ってたサイレンが鎮まりそこでサイレンと知る/Haruki-UC


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あまりきれいな写真ではないですが、掲載された『ダ・ヴィンチ』2021年4月号(3月5日発売)。

掲載されたのはこの中の『短歌ください』第156回なのですが、その回のテーマは「尻尾」。または自由詠とのことでした。

僕は「尻尾」のほうに1首、自由詠のほうに6首を投稿しました。そして自由詠のほうで1首掲載されました。


今回の『短歌ください』に掲載されなかったほうの歌

テーマ詠「尻尾」の1首がこちらになります。

とうめいな尾がちぎれると天国へ行ってしまうとあなたは言った

自由詠は激戦区だと単行本のどこかで読んだのでテーマ詠のほうにもっと送りたかったのですが、締め切りまでに結局1首しか作れませんでした。この時点(一月)での僕にはテーマ詠や題詠の経験がほとんどなかったのです。


自由詠のほうに投稿した歌は推敲し直して再チャレンジしたいと思っているので、掲載されなかった5首のうちの1首だけにしておきます。

おれとおまえどっちの主観が強いかの勝負だ日経平均見るな

今回投稿した7首の中で、いちばん出来が良くないと思っている歌です。いかにも頭で考えたというような感じで。
主観と主観がぶつかり合っている具体的な場面をしっかり描写しないと駄目そうですね。

掲載されなかったほかの歌に関してはいま振り返ると、発想としては悪くないけど言葉選びに甘さがある。まだまだ改善点があると感じます。
作った日から二か月ほどしか経っていないけど、その二か月の間にも自分は成長しているし、これからもまだまだ成長していけそうな感覚があります。


『短歌ください』への投稿は、今回で二回目となります。


『短歌ください』への一回目の投稿で落選した歌

一回目はたしか一年くらい前に、ちょっとだけ試しに2首を投稿した覚えがあります。
その間にパソコンが故障してデータが消えてしまったので歌は残っていないのですが、記憶を頼りに再現してみます。

完璧という鉄壁を巡らせてあなたはだれとなに話そうと

うーん。言葉選びが甘くて何が言いたいのか伝わらない。初心者だなぁという印象。
実際この時点で短歌を始めて一年ほどなので初心者だけど。


これとほぼ同じテーマで、自分では気に入っている歌は以下になります。

完全なマネキンとなり削られた白いいのちを愛してました

こちらの歌はひとつ上の歌を作ってから約一年後に作りました。つまりはこういうことが言いたかったのです。
と、書いていて思ったけど、さらに一年後(2021年の年末くらい)に振り返ると、こっちの歌もまだまだ改善点の多い歌に見えてくるのかもしれない。


『短歌ください』への一回目の投稿のもう1首のほうは、忘れてしまいました。忘れてしまう程度の歌だったと思います。

内容はたしか、カラオケボックスという閉ざされたせまい空間の中で、自分よりRADWIMPSを上手く歌う人がいて、そのせまい空間の中においては自分はRADWIMPSが下手なほうの人になってしまう、みたいなものだったはず。


『短歌ください』のほかには、『うたらば』というフリーペーパー、『階段歌壇』というWebマガジンTANKANESSの投稿欄、『文芸選評』というNHKのラジオ番組にも投稿しました。


『うたらば』『階段歌壇』『文芸選評』へ投稿して落選した歌たち

月刊『うたらば』一月号のお題は「始」でした。僕は3首投稿しました。

振り返ると、僕は題詠がほぼ初めてで(歌会サイト『うたの日』での数回程度しかない)、お題に沿った歌を作るということ自体に苦戦していて、良い歌を作れるかどうかというところまで行っていない印象を受けます。

クリスマスツリーのように飾られた笑みから狂い始めた指は

咲けぬまま沙羅双樹ただ揺れている やがて始まるほろびを想う

教室のゆかにワックスがけをするはじまりのごとはるかぜが吹く

3首ともどこかぼやけているというか、写真でいえばピントがうまく合っていないような感じがします。


一月の『階段歌壇』は自由詠でした。回によっては題詠やテーマ詠もあるようです。投稿した歌からの1首。

丹念な時間を生きたご婦人の怒りとしての麻婆豆腐

過去のバックナンバーなどを読み、選歌基準を理解しようという試みを始めた頃でしたね。


NHKのラジオ番組『文芸選評』へも何度か投稿しました。二月のテーマ「どきどき」の回の分から2首。

見つめあう黒猫たちのあいだから宇宙が生まれそして弾けた

なんてこと バレンタインにくれたのはシチューのルーでおいしく煮込む


まとめと振り返り

ほかにもちょくちょく投稿していましたが、雰囲気としてはだいたいこんな感じです。
自分のアカウントの外の場所へ投稿したり、題詠やテーマ詠をしていると、いつもとは違うタイプの歌が詠めて楽しいです。


ただその一方で、それは「支流」だと感じてもいる。僕のこころの河には本流と支流がある。題詠やテーマ詠に慣れていないのもあるけど、いつもと歌の雰囲気が大きく違う。
自分にとってはいつものこのアカウントに投稿しているような歌がど真ん中で、最重要だと捉えている。つまり「本流」だ。

その場所で求められていること・その場所での選歌基準と、自分の作りたい歌・自分の大事にしたいことのバランスをうまく取れたらいいのだろうけど、現状はまだまだだ。
そういうギャップは人によって大きさが違うのだと思う。そして自分はそのギャップが大きいほうだと考えている。

ただこれでも今の僕はずいぶん丸くなったほうだと思う。昔は(といってもそこまで昔じゃないけど)もっと激しく拒絶的で、過激で攻撃的で、触る者みな傷つけるスタイルだった。
天才的なロック・アーティストなら事情は違えど、僕はそのスタイルでどこへも行き着けなかった。

今も自分のアカウントでは自由にやってるけど、それでも未消化の部分が多く詩として不格好すぎて、表に出したことを後悔している作品もある。

でもそういう危うい部分をはじめからカットしてしまうと、大事なところも同時に消えるんじゃないかとも思っている。0点の歌を排除しようとする試みによって、120点の歌も生まれなくなってしまうというか。


さて、ここまでの題詠やテーマ詠の歌を振り返ると、まだまだ良い歌は少ないなという感想になります。今回掲載された歌も自由詠でしたしね。

さらに、他の場所へ投稿した歌よりこの自分のアカウントへ投稿してきた歌のほうが、気に入っている歌が多いです。

とくに「2020年下半期のベスト4首」は、時間が経ったいま見ても好きな歌だなと思えました。僕は自分の歌を後から見ると悪く見えることが多いのですが。

なので、それを最後に並べておこうと思います。


西暦も終盤となり世界地図を描く夢を追うことは出来ない

うつくしいひとから消える病んだ街 廃油の海を笑顔で泳げ

蝋燭は等しく壕を照らすのに影を見つめて描く肖像

完全なマネキンとなり削られた白いいのちを愛してました



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