市役所小説『お客さま、そんな部署はございません』【第5回】気になる2人組
市役所にも「常連さん」つまり、よく来る人というのがいる。
かつて住んでいた市町村の役所で証明書を出しまくっていた頃は、常連さんといえば「業者」だった。相続を請け負う行政書士、車検のための仮ナンバーを取りに来る小さな中古車販売業の事務員、葬儀社の人。たまに弁護士や、捜査のために公用で証明書を請求しに来る刑事もいる。
コンシシェルジュのカウンターにも、そうした人はいる。
例えば、ほぼ毎日やってくる、丸い頭のギョロ目のおじちゃんがそうだ。
その1「市バスおじさん(大)」
30分に一度、正面玄関から発着する市のコミュニティバス。玄関前にバスが着いて、ジャラジャラと人が降りてくる中に、おじちゃんはいる。
ジャージのズボンのポケットに両手を突っ込んだまま、わき目もふらず市役所内にまさに頭から「突っ込んで」くる。そして声がかろうじて届く距離まで近づいてきたタイミングで、
「市バスこんど何時」
と、一度も速度をゆるめずに聞いてくる。
「あ、2時です!」
間髪入れずに答えると、おじちゃんはポケットから片手を出して挨拶し、そのまま中にぐんぐん入っていく。
1時55分。
おじちゃんが私たちの脇を後ろから通りすぎて行く。
「お疲れさまでしたー」
いつものことだが、帰りは声をかけても応えてくれない。
すたすたすたすたすた・・・
グレーのクロックスの擦れる音ともにおじちゃんは出ていく。まるまった上半身は一切動さかず、足だけがおじさんを運んでゆく。
これが最低1日1回。
多い時には2、3回行われる。
最初は、おじちゃんの質問と素早さに若干戸惑った。時刻表を調べ、今度おじちゃんが近づいてきたら違うことを聞かれるかもしれないと、別の可能性を思い・・・しかし、もはや私もエンヤマさんも、おじちゃんがバスから降りる姿を確認するやいなや、脳内で次のバス時刻表を確認するようになってしまった。
餅つきの合いの手のような好ましいリズム。
だから私とエンヤマさんは、そのおじちゃんが好きだ。
「市バスおじさん(大)、今日来たっけ?」
「さっき福祉サポート課に向かっていったよ」
ちょっと気になる存在だ。
福祉サポート課というのは、生活保護の担当課である。
その2「市バスおじさん(小)」
もちろん、大がいれば小もいる。
小さい方の、市バスおじさんの登場ペースは2日に1回ほど。
市バスおじさん(大)よりもひと回り小さい。まるで大おじさんをドラッグで縮小したようだ。小さくて細身。似たような上下のスウェットに、しまむらの入口で売っていそうな「ツッカケ」をカランコロン鳴らしながら、やはり市バスから人並みに混じって降りてくる。違うのは(小)の方は大きな眼鏡をかけていることだ。
「こんにちはー」
やはりポケットに両手を突っ込んだまま、早足で向かってはくるが、こちらは会釈だけだ。そのまま、何も聞かず聞かれず。しばらくするとまたもや無言で、市バスに乗って帰ってゆく。
市バスおじさん(小)の目当ても、福祉サポート課である。
一度も話したこともなく、絡んだこともない。
こちらの存在をまるで気にしていない様子でありながら、私たちは、このおじさんのリズムと距離感を気に入っていた。
「市バスおじさん(小)今日見かけた?」
「うん、さっき帰られた」
「来てたんだ。見てなかった」
「ネコミズさんが休憩に入ってた時に来たから」
一人はリズムに。
一人は距離感に。
同じ「市バス」「福祉サポート課」というキーワードであるがために、私たちは彼らを何となく「セット的」に見ている。見させてもらっている、という方が近いか。
もちろん、彼らはお互い面識はない。
絶対に2人に気づかれていないし、想像もできないだろう。知り合いでもない誰かとセットにされていること。しかもそれなりに好感を持たれている、なんて。
それにしても、いったい何をしに、彼らは家と役所を激しく往復しているのやら。
その3「ムーミン谷の冒険」
その逆のパターンもいる。
2人なのに「1人」とカウントしたくなる2人組がいる。だいたい月に1度、それほど頻繁なペースでもないのに、こちらも気になる2人組だ。
背の高い中年女性と、その肩にも届かないサイズの中年女性。背の高い方は帽子を目深にかぶりズボン姿。小さな方は白髪ボブで鷲鼻、色が白く、だいたいダボっとしたチュニックを着ている。
そして2人とも大きなリュックをかついでいる。
旅するみたいに。
「彼女たち」は、決まって2人でやってくる。
腕を組んでぴったり寄り添い、それこそ片時も離れない。
決まって背の高い女性の方が向かって左、ボブの女性の方が右側にいる。
そして意外とサクサク歩き、曲がり角は二人三脚のように美しい弧を描いて曲がるのだ。
そしていつも何かに迷っている。
「市バスの時刻表は、どうやって見ればいいですか?」
尋ねてくるのは決まって白髪ボブのチュニックの女性だ。それもそのはず、帽子の女性は、右手に白杖を握っているからだ。
「市バスは、循環バスなんですよ。なので、ここを発車する時刻はこちら、それからこれらのバス停に停車にして、市役所に戻ってくる時刻が、この表の一番下の、この時刻ですね」
配布用のバス時刻表を広げ、指を指して説明する。
「ああ、なるほどー」
「こちらの時刻表は配布していますので、どうぞお持ちください」
「あ、ありがとう・・・で、何時に乗ればいいんだっけ?」
「今からお帰りですか」
「そうなんですよ」
「でしたら、12時半ですね」
「わかりました。遅れると悪いし、そこのベンチに座らせてもらいます」「どうぞ」
私とエンヤマさんは、案内をし終わってデスクの椅子に座った。
「印象的、っていう言葉がぴったりね」
エンヤマさんが、彼女たちを見て行った。
「わかりますー」
「なんていうか、童話の中に出てくる感じっていうのかな」
「ムーミン谷にいそうですね」
「そう。存在がこう・・・文学的なのよね」
私たちは絵画でも見るように、しみじみと所感を言い合った。エンヤマさんも、同じイメージを描いているようだ。こういうところが、一緒に仕事するのがエンヤマさんで良かった、と思わせてくれる。
12時21分。
ガラス張りの正面玄関に、市バスが到着した。
降車口から人が次々に降りてくる。同時に後ろのドアが開き、バス停に並んでいた人たちが順に乗車し始めた。
12時25分。
全員が着席した。
しかし玄関に面しているベンチに、2人はまだ座っている。
12時28分。
まだ動かない。
どうした?
12時29分。
ちょっと!
いくら何でもヤバいでしょ?!
「すみませんお客さま!バス乗るんですよね?」
たまらず、2人のところに駆け寄ってしまった。
チュニックが驚いて飛びあがった。腕を預けていた帽子の方も、つられて身体が持ち上げられた。
「私、運転手さんに話して待ってもらいます!」
そのまま外に走り出た。
「なに?何なの?」
帽子の女性がブツブツ言い始めた。
「ごめん、ぼーっとしてたのよ」
「あなたって、いつもそうなんだから」
わちゃわちゃと、言い合っている。
バスに乗り込む2人組。
「運転手さん大丈夫です、ありがとうございました!」
私が大声を張り上げた。
「はいよー」
運転手さんは前方を向いたまま、片手を上げて応えた。
12時31分。
市バスは予定より1分遅れで発車した。
「危なっかしくて見てらんないね」
私たちはため息をついた。
その後も、もう毎回バスの時刻表の見方を尋ねて来ただろうか。
「・・・で?どういうこと?」
そのたびに、挫折している。
「大丈夫ですよ。お声かけますから」
「あら、そう」
それにしても。
この2人、どういう関係なんだろう。
市バスおじさん(小)のバッグ
ある朝。
朝イチのバスで降りてきたのは「市バスおじさん(小)」だ。いつもはお昼過ぎから何となくやってくるのだが。見回りの警備員さんが、コンシェルジュデスクまでやってきて、面白そうに言った。
「お?今日はブランドのバッグ持ってるぞ」
警備員さんも市バスおじさん(小)は、知っていると見えた。あれだけヘビーに来庁していれば、誰もが覚えるものか・・・
「ブランドの?バッグ?」
見ると、丸い形状の手提げのようなものを持った市バスおじさん(小)が、こちらに向かって歩いている。少し荒い空気を醸し出している様子だ。
「象印、と見た」
警備員さんがつぶやくように言った。
そう。
それはバッグじゃなくて炊飯器だった。
市バスおじさん(小)は、一目散に福祉サポート課に向かっていった。
しばらくすると、おじさんと職員らしき人の大声が聞こえてきた。
エンヤマさんに断って、少し近くまでこっそり様子を見に行ってみた。
「だから壊れたんだよう!」
「こないだ買い換えたたばかりでしょ。知ってますよ」
「修理代くれ・・・」
「じゃここで炊いてみます?ゴハン」
「いいじゃん!金なくなっちゃってさあ」
「いやいやいや・・・」
「頼むよー!パチンコで負けたんだよう」
「強くいわれても無理ですよ。3日前もお貸ししましたよね?」
市バスおじさん(小)の声、はじめて聞いた。あんなに小さいのに、意外にも大きい声だった。
一足先にデスクに戻った私に遅れて、おじさんが荒い歩調で出て行った。
「お金くれって、言いにきてるんだね」
「うん」
エンヤマさんと二人で、目で見送った。
おじちゃんと炊飯器は、そそくさと市バスに乗り込んでいった。
市バスおじさん(大)のビール
市バスおじさん(大)がやって来た。
今日は珍しく午後からのお出ましだ。
加えて、珍しくスーパーの袋を下げている。
おじさんが近づいてくる。
私たちは構えた。
今度の市バスは・・・3時半だ。
「おい」
「はい、3時半でござ、」
「これ持ってろ」
「は・・・?」
ものすごいスピードで、おじさん(大)がエンヤマさんにスーパーの袋を預けて、そのまま前進していった。
「なにこれ・・・」
エンヤマさんが呆気にとられている。「どういうこと?」
2人でスーパーの袋の底を覗きこんだ。
「生泡」発泡酒 500ml 6缶セット
「重っ・・・もーなんでよ?!」
エンヤマさんが叫んだ。
「返してこなくちゃ、何なのよ・・・」
憤慨したエンヤマさんは立ち上がると、つかつかと福祉サポート課へ向かった。私もちょっと遅れて追っかけた。単なる好奇心だ。
こないだの、市バスおじさん(小)と同じような光景が繰り広げられていた。カウンターをはさんで立つ、おじさんと男性職員の攻防だ。
「頼むから、貸してくれよう」
「ダメです」
「勝つつもりだったんだよ」
「あーもう、またパチンコ!」
「米買う余裕もねえんだよー」
「食費も?」
「ああそうだよ。食費もねえんだよ」
「うーん・・・」
その2メートル手前にエンヤマさんがスーパーの袋を持って立っていた。
全てを察したような顔で。
「あの、お忘れものですが・・・」
エンヤマさんがおじさんと職員の間に割って入った。
「タカハシさぁん!ビールなんか隠して!」
職員がため息をつく。
市バスおじさん(大)は、タカハシさんというらしい。名前があることに、今更ながら気づいた。
「バカっ!持ってろって言ったのに!!」
おじさんは袋をエンヤマさんから奪い取った。
3人、何か気まずい空気になっている。
私はエンヤマさんより先に、こっそりデスクへ戻った。
その後、エンヤマさんが戻ってきて、一部始終を延々と語ってくれた・・・もう知ってるんだけどね。
そういえば。
私たちも「2人組」だった。
そうだった。
まだ2人で1人にもならない程の「新米、迷走、コンシェルジュ」だ。
彼らと同じだ。
2人組は本日も通常運転です。
今日も市バスおじさん(大)は朝イチでやってくる。
「おはようございます」
「市バス何時」
「9時45分です」
「あそ」
いつもの朝だ。
1回だけ、違う朝が来たことがあった。
「おい」
すでにデスクに肘をついてタカハシさんがギョロ目をこっちに向けていた。
とにかく動きが素早いのだ。
「はいっ」
「そこの角の、八百屋のリンゴ食ったことあるか?」
「え・・・」
「あそこんちのリンゴ、美味いんだよ~」
「そ、そうなんですか?」
「知らねえだろ」
「はい」
「食ってみ。あ、そうだ1個やろうか。ウチにあるぞ」
「私たちはもらえませんよ」
私たちは笑った。
「そうなのか?」
「お客さまが美味しく頂いてください!」
「そっか」
市バスおじさん(大)が笑った。
歯が半分くらい、無い。
「ほしかったよね」
「うん」
「そんなに美味しいのかしらね?」
「スーパーでしか、買ったことない」
「ちょっと行ってみるか、八百屋」
「私も」
ムーミン谷の、2人で1人の2人組もやって来た。
「3階の図書館行ってみたいんだけど、どうやって行くの?」
「では、この通路奥の左側にエスカレーターがございますので・・・」
しばらくして、戻ってきた。
2つの身体をぴったり貼りつかせたまま。
「どこが、どうでしたっけ・・・」
「はい、ではもう一度・・・」
方向オンチでもあるらしい。
「もう、あなたっていつもそう!」
「しょうがないじゃない」
ムーミン谷の凸凹コンビは、やはり美しいフォーメションで旋回すると、私たちのところから去っていった。
そういえば一度だけ、チュニックじゃなくて別の中高年女性が一緒に来たことがあったが、すぐにチュニックに戻ったっけ。
これでいいのだ。
2人組は本日も通常運転です。
毎日の労働から早く解放されて専業ライターでやっていけますように、是非サポートをお願いします。