無理が通れば道理が引っ込む=無理な批判をすれば道理に合わない結果がもたらされる?

野党・反安倍勢力の人達は、安倍首相を時には独裁者と批判し、また時には官僚の言いなりとも批判します。またポピュリストだと批判する一方で、身内への利益誘導を行う古いタイプの政治家とも批判しています。

私にはそれらがどうも全く逆の概念であり、なんで一人の人物の批判として混在できるのか分からないのですが、批判する側の人達はどのように自分の心の中で折り合いを付けているのでしょうか?

身内にだけ利益を誘導するけれど大衆迎合的にばら撒く、官僚の言いなりになる独裁者とかいう新生物なのでしょうか。

揚げ足を取るようなことを書いてしまいましたが、野党側の批判がどうも一貫性がないように思えます。だからこそこんなに長く安倍政権が続いたのだと思います。そうではない、野党の批判は正しい、野党は頑張っている、というのであれば、それでも憲政史上最長の在職日数の首相となったのはなぜなのでしょうか? 野党側に問題が無ければ、選挙に勝ち続けている与党側にその原因があるはずです。もしかすると、安倍晋三という政治家は日本憲政史上最高の政治家なのでしょうか? 佐藤栄作も、桂太郎も、伊藤博文、吉田茂も安倍晋三には及ばない程度の政治家だったのでしょうか?

長ければ良い、ということにはならないかも知れませんが、短いよりはマシでしょう。安倍政権批判が的を射てないからこそ、かえって手助けすることになり、過去最長の首相在任日数となったことを認めないと、また次の選挙で負けるのではないかと思います。

個人的には自民党総裁の4期目は無理じゃないかと思っていましたが、結局野党が失策を重ね続けたら安倍四選を実現させることになります。

とにかく批判すればいい、という状態が、逆に一般人からみると批判のピントがボケているように思えてしまい、結果的に選挙で安倍政権が勝ち続けてしまう、といったところでしょうか。

こういうところは、ポリコレが行き過ぎているような西洋社会で極右勢力の躍進するのと同じ理屈ではないかと思います。ポリコレの内容に異議を唱えると、「人種差別主義者」「ナチス」「ファシスト」といった非難が浴びせられて社会的地位を失う社会になってしまったことで、一般人が疑問に思っていることを表に出せず、秘密投票で行われる選挙の時にポリコレ批判を行う極右政党に票が集まってしまうのと同じ構図ではないでしょうか。

これはアメリカでも4年前にトランプが大統領選挙に当選したのと似ている問題でもあります。そして今、アメリカでの黒人差別に端を発する大混乱において、やはりトランプ批判はメディア上に存在していますが、暴動に関して否定的な見解を述べただけで人種差別主義者扱いされる状況を見るに、やっぱり今年の大統領選挙もトランプが勝ってしまうのではないかと思わざるを得ません。

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