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【酔筆素読#10】みんな不祥事が大好き

みなさん、スキャンダルや不祥事って好きですか?

おそらく、好きと堂々と言える人はなかなかいないのではないでしょうか(さらば青春の光の森田や東野幸治くらい?)。

また、noteを読んでいる人には人や企業の不祥事を見て気持ち良くなる人は、あまりいないのではないでしょうか。
というか、そもそもそんな人いるのでしょうか?

(これより先、不祥事とスキャンダルは同じ意味として書いています)


お金欲しい!見て見て


LINEニュースでまとめられているネットニュースには、芸能人の不倫や内紛、企業のしくじりや政治家の不祥事、政治の失敗が日々数多更新されています。ネットニュースをまとめているサイトには大体広告が貼られているので、その目的は閲覧数でしょう。閲覧数、すなわちその記事を見てもらった回数が重要になってくるので、その記事はとにかく見てもらうことが大切です。
中には、中身は一切なく、タイトルにいろんな芸能人の名前と結婚歴だか離婚歴だかを組み合わせて目を引くようにしていたサイトもあったようです(そして、結婚歴がないから離婚してない、みたいなオチにする)。

ということは、スキャンダルや不祥事に関する記事というのは人々の興味を引く=スキャンダルや不祥事はみんな大好き、と言えるのではないでしょうか。
もちろん政治に関心がある人や、その芸能人のファンであれば、不祥事を起こされたら気が気でなくなってしまうかもしれませんが、そのような若干コアな層だけを狙っていては、閲覧数を稼ぐには不十分な気もします。

私は数年前、WordPressでブログを書いて、アフィリエイト収入を得ようとしていた時期があり、そのコツを調べていた時、トレンドブログなるものを目にしたことがあります。日々の芸能ネタに瞬時に飛びつき、頻繁に更新していかなければならないというもので、大変そうだなぁと感じたことを覚えています。
少々乱暴な言い方かもしれませんが、質より量、その場の注目度にあやかることで“お金”を得るという仕組みだったようです。
人はトレンドの、より目を引く記事に飛びつき、スキャンダルや不祥事はいっそう注目を浴びるのでしょう。


どうでもいい?


冒頭でも述べたとおり、人は不祥事が好きと堂々と言うことは難しい、要するに不祥事が好きであると言うことに対して、後ろめたい気持ちを抱いているということです。

そういえば先日、アンジャッシュの渡部建が豊洲市場でアルバイトを始めたことに対して、「どうでもいい」とわざわざ反応する人がいるというネットニュースについて、Twitterで発言させていただきました。

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その時はこのように書いたんですけど、むしろこの不祥事大好き論で考えると、

「私はスキャンダルが好きだから、渡部が豊洲で働き始めたということについてめっちゃ気になるけど、そんなことに反応する下世話な人間だと思われたくないから、「どうでもいい」って書いておけば、こういうニュースに反応する私じゃないんですよっていう風に見せられるわ」

という気持ちがあって、わざわざ「どうでもいい」と言ってしまうのではないかなと思います。


ざまあみろ!


名の知れた芸能人や企業、政治家の不祥事は、メディアによってけちょんけちょんに叩きのめされます(マスメディアよりも、前述のネットニュースでより叩かれている印象です)。
権威や人気のある人たちが、途端にどん底まで落とされる。これにより、自分より高い位の存在が、一気に低くなる。その“ざまあみろ”感を味わいたくて、人は不祥事を好むような気もします。

この点については、武蔵小杉のタワーマンションが台風によって浸水・水害に見舞われたときに、「ざまあ」と言われたことにも言える気がします。タワマン=社会の成功者=高い位と仮定した場合です。
ちなみに、これはタワマン浸水=被災なので、「被災者ざまあ」と言っていることになります。その発言の是非は問いませんが、地震や豪雨災害に遭った人に対して「ざまあ」と言っている人を見たことがないので、なかなか特異な事例のような気もします。


他人を攻撃したい!


また、人は他人に対して攻撃したいものなのかなとも思います。その原因はわかりませんが、別の誰かから自分が攻撃されたり、何かイライラすることがあったり、あるいは単にサディスティックな(というよりも、自称ドS人間のような)気持ちがあるだけかもしれません。
しかし、他人を意味もなく攻撃することは理不尽であり、ともすれば自分が悪人になってしまいます。そこで、誰か不祥事を起こした人がいれば、その人が絶対的な悪であるので、自分はいくら攻撃しても悪人にはなりません。

ましてや周りにも叩いている人がいるので、自分はマジョリティー、勧善懲悪を遂行する正義の一味になることができます。その結果何が起きたかというと、交通事故を起こした高齢者に対して堂々と「老害」「免許返納しろ」と言いまくったり、いじめ加害者の実名や住所を割り出し、拡散するという事態になったりしています。


結局不祥事とは


不祥事とは、隙です。自分より高い位にいる人を逆転する手段、他人に対する攻撃願望を叶える手段になる隙です。
私は、このような人間の性(サガ)をどうこう言う気はありません。私のやりたいことは、こうした人間の行動の可能性を探ることです。これについて是非を考えていくのは、この記事を読んでくれた読者の皆さまだと思います。コメントや拡散など大歓迎ですのでお待ちしております!


ちなみに


この記事のタイトルもやや煽り気味に設定しているのは言うまでもありません。

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