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頑張って苦手を克服することが好きな日本人は、脳の負担を減らすことが大事

上記の「「脳を休ませれば人生が変わる」。パフォーマンスUPのための積極的休養のすすめ」という記事を読んで思ったことを書いてみる。

日本人は、頑張って苦手を克服するのが好き。「あなたを応援してます、頑張れ!」、「私は頑張る」というのが世の中の当たり前になっているのが、頑張るっていうのは人間の力が「100」としたら、無理やり「120」にしているイメージがある。

無理やり「120」にして苦手なことを毎日のようにやっていると、これが「負」の感情を伴う行為に該当すると思われ、記事に書かれているように負の感情を処理しなければならないために脳の負担が増してしまう。負担が増してしまうと、インプットされた情報を整理して記憶に定着させるといった処理に脳を集中させることができなくなってしまう(脳が休めなくなってしまう)。

脳が休めなく疲労が限界に達してしまうと、うつ病になってしまう。

うつ病になってしまうと、治療に時間がかかったり、寛解しても再発する可能性があるので、大変だ。

そうならないためには、記事に書かれているが、「ぼーっとする」ことや、「やりたい!」「楽しい!」と思える行為をして、脳の負担を軽減する。

でも、日本人は頑張るのが好きで、「ぼーっとする」ことに対して罪悪感がある。

それであれば、貪欲に「やりたい!」「楽しい!」と思えることを探す。探し見つけたものに対して、思いっきり集中して遊ぶことが大事なのではないかと考える。子供だと、目についたものはなんでも興味関心があり、そういうのが得意だが、大人になるとそういうのが出来なくなってしまう。

なぜなんだろうか。今の貴方(大人)は「貪欲に楽しいと思えること探せてますか?」、「やりたいと思ったことに対して、思いっきり集中して遊んでますか?」。

遊ぶことに対して、「子供っぽい」とか「馬鹿らしい」と思う方もいますが、他人が何と言おう、自分が面白ければ、楽しければそれでいい。

また、上記の「「ストレスの配管がすっきり」僧侶が勧めるモーニングルーティンの作り方」という記事も書かれていたのですが、面白いことや楽しいことを見つけることが知的な遊びのようなものと書かれていました。

確かに面白いことや楽しいことって意外とそんなにない。身の回りにもそんなにない。自分から貪欲に探さないと、面白いことや楽しいことはやってこない。探すこと自体、頭を使うし、探す行為も面白かったり楽しかったりする。

頑張って苦手を克服することが好きな日本人だけど、苦手なことが「1つだけ」とは限らないし、その頑張りを10年、20年、30年続けられるのか?

苦手を克服できなかった場合はどうするの?

それよりかは、貪欲に「やりたい!」「楽しい!」と思えることを探し、思いっきりやってみる方が良いじゃないかと思った。







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