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ドーナッツの穴を探し求める日々⑧妊活

最初書こうと思っていた内容とは逸れるのですが、妊活の記録です。
⑦と⑧は読み飛ばしても内容が分かるように続きを書こうと思っています。
※表現には気を付けていますが、センシティブな内容を含むので、ご注意ください。

仕事は6年目、やってみたかった病棟の担当を次々と経験させてもらえました。業務は調製してもらいましたが、6年目もいつかやってみたいとずっと思っていた病棟の担当でした。そこまでやり抜けば、ひとまずこの職場でやってみたいと思っていた業務は概ね経験させてもらえたと自分の中で思っていました。

30歳を目前として、同じ年の友達は、結婚ラッシュから出産ラッシュを迎えていました。2人目を出産している子も多くいました。
独身ばかりだった部内の先輩方もご結婚され、部内でも出産ラッシュとなっていました。

結婚して3年くらいして、仕事が落ち着いたら、子どもを考えよう。結婚できた頃からなんとなく決めていました。
結婚3年目、そろそろ考えようかと思っていた矢先に体調を崩してしまったので、結婚4年目になっていました。
付き合ってからは6年、二人の時間は多くはなかったけど、二人きりでやってみたかったことは、だいたいやっていました。
一人で過ごすのも好きでしたが、一人でなくてはできない思いつく限りのこと、調べた限りのことはやり尽くしていました。
海外旅行にもたくさん行きました。他にも行ってみたい国はたくさんあることはあるけど、絶対に行ってみたいと思っていた現実的に行けそうな場所にはだいたい行きました。

私は果たして子どもが欲しいのだろうか。来る日も来る日も毎日自問自答していました。結婚した夫婦はそのうち自然と授かるものなのだろうか…夫婦で話し合って決めているのだろうか…。どこからどこまでを話すのだろう…。そんなことを悩んでいました。

私は流れで自然に授かるということはありませんでした。
子宮内膜症で超低用量ピルを内服していたので、その内服を続けている限りは妊娠することはないはずのものでした。

職場の同期が入籍予定は決まっていたけれど入籍よりも先に妊娠し、授かり婚の形になり、古い考えの人からは何となく嫌味のようなものを言われていたように見えたことや、産婦人科病棟に関わる中で色々な周産期の問題も目の当たりにして、ますます計画妊娠しかできないと思うようになっていました。

妊活のブログをたくさん読んでいました。結婚する時と同様にメリット・デメリットを徹底的に考えました。
健康な子どもが生まれるとも限らないリスクも重々分かっていたので、産んだ子どもに病気や障害があったとしても育てられる覚悟はあるのか、一人でひたすら考えていました。

夫に聞いてみたこともあったと思いますが、夫は「そんなの考えても仕方ない」というタイプなので、二人の子どもについての悩みだけれど、一緒に悩んでくれることはありませんでした。

一番悩んでいたのは、私は私が嫌いだったので、私みたいな人間をもう一人この世に生み出してしまったらどうしようという恐怖でした。自分の子どもを本当に愛せるのだろうかという不安でした。

でも子どもを産んでみたい、子どもを育ててみたいという気持ちは強くありました。「授かれるかは分からないけど、授かれるのであれば、授かってみたい」他のどんなにやってみたいことよりも、それがその時に一番やってみたいと思えることだったので、妊活を始めることを決意しました。

ピルを処方されていた病院で相談してピルの内服を終了しました。
その後、卵管造影検査を行いました。検査後にすぐにでも人工授精を勧められましたが、何日も連続で通院できるような状況ではなかったので、しばらくは自然に期待していました。
私たちは、すれ違う結婚生活の中で、いわゆる「レス」になっていました。
なので、ピルの内服をやめても、すぐに妊娠することはありませんでした。
それでも何ヶ月かタイミング法を頑張りました。
卵胞チェックに通院した時もありましたが、産婦人科で言われることがあまりにも人工的過ぎて、そこまでして子どもを授かりたいのだろうかと、また考えてしまう日々でした。
妊活をしているとどうしても毎月今月も授からなかったということに落ち込んでしまいました。
卵管造影検査から3ヶ月ほどは授かりやすいと言われているのですが、その時期も終わってしまいました。
私は毎月の落ち込みにまた少し疲れてしまい、諦めかけていました。
子どもに関わる全ての情報に触れるのさえも嫌だと思う時がありました。
次々と聞かされる友達の妊娠・出産のニュースは、素直に喜べなくなっていました。子育て中の友達とは関われなくなっていました。

そんな時の私はどうなるかというと…また投資に熱を注いでいました。
今度は絶対に失敗しないように誓いながら。
ずっと興味のあった不動産投資を勉強していました。
ファイナンシャルプランナーの資格をとろうかと考えるくらい、投資の勉強をしていました。
そして中古で自宅を購入し、引っ越しをしました。
その後、他にも中古のワンルームマンションを購入しました。
仕事をしながら、物件を見て、契約して、こういう時にはまた不思議とフットワーク軽く動けてしまっていました。

同時期に短期大学の非常勤講師の採用の話もいただきました。
そういう仕事があればやってみたいと以前から思っていた仕事だったので、すぐにお返事して受けました。

引っ越しや面接など忙しくしていました。
それでも妊活のチャンスは毎月一度しかないので、気にし過ぎな程度に、タイミングが合えばトライはするようにしていました。
そうして妊活を始めて9ヶ月が過ぎ、諦めかけていた時に妊娠が分かりました。
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最近は子育てや夫の愚痴ばかりツイートしていますが、こんな感じで子どもを授かりたいのかは真剣に考えた上で妊活を経て子どもを授かりました。
授かれない可能性も毎月考えたし、妊活はやめる選択も考えました。
産もうと決めた人も、産まないと決めた人も、産めなかった人も、産まなかった人もみんなそれぞれに苦悩があると思っています。
誰も傷つけたくないと思っていても、私のツイートが誰かにとっては見たくない触れたくない情報になっていることも多々あるだろうなと私はいつも悩んでしまいます。
でもこんな私の悩みがほんの少しでも同じように悩む誰かのためになることがあれば良いなと思いつつ、自分の子どもが本当に欲しかった当時を振り返りました。

読んでくださり、ありがとうございます。

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