「キモい」という言葉に拒絶反応のあった僕が「キモい」と言われるのを受容できた理由
嫌いな言葉、苦手な言葉がある。
僕は「キモい」と言われると、全てを否定された存在になり深く傷ついていた。
しかし結婚してから、妻が「そんなん言うのキモいで」「それはキモい考えやわ」など、「キモい」を日常的に使うのでさすがに慣れた。
妻の口にする「キモい」は、僕の発言や考えに関してであって、ベースには愛情がある。だから苦手な言葉も受け止めることができた。
信頼している人から率直に言ってもらった方が「人を不愉快にしているところは改善しよう」と思える。
こちらへ敵意や悪意しかない人からの「キモい」は、やはり傷つくものだし、受け入れるのも難しい。
前に紹介させていただいた二村ヒトシさんの本。
世の非モテの男性へ「あなたがモテないのは全てあなたのキモさが原因です」と、女性側が例え思っていても直接言いづらいことをズバリ指摘し話題になった書籍。
「キモい」と言われるのは傷つくものだ。しかし「キモい
と言われて逆ギレするともっとキモくなる。
そういえば小学校の頃に担任の先生から「きしょいとか気持ち悪いという言葉を使ってはいけません!」と厳しく叱られたことがある。
確かクラスでイジメが問題になっていて、そのときに出た発言だったのではないか。
「キモい」はパワーワードなので、使っていい関係性が限られる。
受け止める相手の気持ちを考えずに、一方的な使い方をするとハラスメントにもなるだろう。
言われた側のプライドは傷つくし、それゆに感情的にもなる。
しかし人を不快にさせる部分は、時間をかけてもいいいので受容して改善した方が絶対にいい。
最も酷なのは「この人は何を言っても無駄から」と放置されること。
いい年して逆ギレする人間など、誰も相手にしない。
放っておかれ、どんどんズレた考えに陥り孤立していった人間を何人も知っている。
やはり愛の反対は無関心なのだ。
「ここキモイから変えた方がいいよ」というのは全体批判ではなく、部分改善の示唆に過ぎない。
どの言葉へ過剰反応するかで、その人の生きてきた背景や劣等感が浮き彫りになる。
いっそのこと人間の感情を喜怒哀楽キモいにしてはどうかと思ったが、これでは喜怒哀楽がキモいと誤解されそうだ。
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