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「人を見下す思考」の人が悲惨な末路をたどる理由&マインド・ドラッグの正体

劣等感が強くてプライドが高く他責的な人ほど、はまりやすい罠がある。

それは人を見下すこと。

見下すことで、心理的優位を無理やり作り出してしまう人は決して少なくない。

これはもう20年以上前の話。

専門学校時代、定期的にサブカル好きの同級生の集まりに顔を出していた。

まだ二十歳前後と若かったこともあり、そこでは日夜、知識マウントが繰り広げられるのだ。

強い劣等感を抱えていたある同級生が「お前らこんなことも知らないのか?」「なんでこんなことすら知らないの? 恥ずかしいと思わないのか!?」と度々口走るので、彼はその集まりでついに浮いてやがて孤立する事態に。

「彼は強がって自分を大きく見せようとしている」と感じていた僕は、よく彼の話を聴いていたのだが、ある日、耳を疑う発言が…。

「俺はずっとみんなから見下されバカにされてきたんや。だからあるときから決めた。先に俺から見下してやろうって!」

この言葉を吐いた際の、彼の表情は苦渋に満ちていた。

専門学校を卒業してからこれまでに、人を見下す人間を目の当たりにする機会が何度もあった。

最初は腹が立っていたのだが、あるとき得心することに。

「人を見下さなければ生きていけない人は、他者を見下すというマインド・ドラッグの常習者だ」と悟ったのだ。

とても悲しいことだと思う。

大きな傷つきや劣等感があって、そうせざるをえなったのだろう。

多くの依存症がそうであるように、行為や物質へ過度に依存してしまう人のベースには生きづらさがある。

ドラッグは絶え間なく続く生きづらさを一瞬、和らげるための選択肢にすぎない。

そう、あくまで楽になるのは一瞬だ。

しかし他者を見下すマインド・ドラッグを使った副作用は大きい。

その末路は孤立と孤独。

孤高といえるほど、格好いいものではない。当人は「他者と関わりたい」と痛切に感じているにもかかわらず関われないというのは、無間地獄みたいなものだろう。

人間の行いは、高い確率でブーメランのように返ってくる。

人を見下す前に、自分の弱みと向き合い、過度な自責に陥ることなく自己受容するという選択肢もあるのだが、これは勇気がいるし苦痛を伴う。

一瞬の快楽を求めた結果、孤立の末路をたどるのは、皮肉というほかない。

人付き合いとは自分付き合いだ。

自分も他者も見下すことなく、関心と敬意を持って接することで、きっと光は差し込む。そうなればおのずと道は開けるだろう。

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