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感情の蓋を外したら「嫌い」「苦手」という本音にたどり着いた

感情に蓋をし続けて生きてきました。

その結果、まだ傷の癒えていない、幼い自分の存在に気づき「まずこの子を癒してやらないと」という思いを抱きました。

感情に蓋をしている状態の方が、安全で楽なのですが、大きなデメリットがあります。

それは自分の本心が、わからなくなること。

「感じてはいけない」「嫌われるようなことをしてはいけない」という禁止令が、無意識レベルでしみついていますので、感じ方自体を抑圧しているのでしょう。

しかし、自分の抑圧癖に気づいた以上、放置はできません。

僕は根っこが生真面目なので、気づいたら無視できないのです。

ここ数日は、自分の内側に意識を向けて「本当はどう感じているのか?」を自身に問いかけながら暮らしていました。

すると、意外なことが起こったのです。

もう十年以上付き合いがある男性がいらっしゃいます。

Cさんとしましょうか。

Cさんとは、月に一度くらいは顔を合わす間柄で、僕はその方のことを尊敬しています。

この尊敬している思い自体は噓ではありません。

「自分に正直になろう」「どんな感情も否定せずまず受け止めよう」と心がけた結果、「自分はCさんのこういうところが苦手で嫌い」というところに気づきました。

Cさんは僕より年長で、上の立場に立たれているので、僕よりも権力がある人。

Cさんへ逆らうことで見捨てられるという不安が起こるのを回避するために、好かれる行動をとっていたのかもしれません。

子供が親に見捨てられないよう、感情を抑圧して好かれようとする行為によく似ています。

彼と一緒にいると楽しいのですが、別れてから毎回どっと疲れが出ます。

でも苦手なものは苦手、嫌いなものは嫌い。

まず最初に感じ方を、まず受けれなければならなかったのです。

元来、僕はとんでもなく好き嫌いの激しい人間でして、好きなものは徹底して愛しますし、嫌いなものへの拒絶感は半端なくあります。

Cさんへの感情に気づけた途端、すごく楽になりました。

僕は苦手や嫌いを尊敬に置き換えることで、自分の本心を見つめないようにしていたのです。

「十年以上も我慢し続けて、気づけなかったんだ」と気づきました。

Cさんには感謝しておりますし、「すごいな」と尊敬しているのも本当です。

今後、特に関係が変わることもないでしょう。

僕が彼に対して「ここが苦手で、こういうところが嫌い」とはっきり気づけた方が、今後の接し方は自然になっていくかもしれないですね。

感情を抑圧し続けることで、心身の不調が出ることは珍しくありません。

厄介なのは、今回の僕のように抑圧している自覚のないケースが多いことです。

正直に感情を感じきるというのは、正直に生きるための第一歩のような気がしました。


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