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正論は心を切り裂くナイフ「論理的な正しさを追求する危険性」とは?

ひろゆき氏が脚光を浴びたことで、論破という言葉がよく使われるようになった。

僕は高IQで低EQの人が不得手だ。
(IQは知能指数、EQは心の知能指数)

かつて高IQで低EQな人が人を指導するポジションになり、どんどん人を潰していった場面を目の当たりにしたことがある。

その人は頭の良い方だったが、徹底して論理を追求する論理至上主義だった。

よく誰かを論破している光景を目の当たりにした。

論理的なことは決して悪ではない。論理を突き詰めることが必要なことはたくさんある。

僕の目に彼は、ロボットのように映った。

「論理的に、これが唯一の正解」が口癖で、人の話を傾聴する能力が弱く、物の言い方も淡々としており直截だった。

つっけんどんに正論を述べるので、この人から離れていった人は少なくない。

感想を聞くと「言い方がきつすぎる」「冷淡すぎる」「話を聴いてくれない」というのが主なものだった。

これらの所感は全て感情や心、気持ちにまつわるものだ。

正論を延々と言われる側はきつい。

なぜなら論理的に正しく、反論の余地がないからだ。

しかし正論ほど人を追い詰めるのも事実だ。

正論で部下を潰す上司を、ロジハラ上司と呼ぶらしい。

相手に逃げ場を与えない、正しい意見を述べるときほど、受け止める側の気持ちを想像することが重要である。

心が納得していない状態で「これは論理的に正しい」と無理やり自分を抑え込むのは心に負担が大きい。

正しいことこそ、寄りそうように伝えるのが大事だ。

「正しさは人を傷つけかねない」これをいつでも常に肝に銘じておきたい。

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