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自己肯定感は増減する!?土台になるのは外からの声掛け?

乙武洋匡さんのYouTube動画を見ていると

親が「自分を育てるにあたって常にプラス評価をしてくれた」ということを語っておられました。

さらっとおっしゃっていますが「常にプラス評価」というのは、なかなか難しく、多くの日本人はこれが苦手かもしれません。

親が子供に掛ける言葉は後々への影響が大きく、それによって自信を得たり失ったりするもの。

僕はよくnoteでプラスのストローク、マイナスのストロークについて触れております。

交流分析の考えでは、マイナスのストロークを含む「○○するな」「〇〇してはいけない」という禁止の意味合いを持つ禁止令は鎖のように、その人を長期に渡って縛り続けることがあります。

禁止令は全部で25種類あるので、禁止令に関する説明は下記のサイトに譲りますが、

例えば「成長するな!」「離れるな(親から)」という禁止令を埋め込まれた人間は、そのあと成長することを無意識に拒むような生き方をするケースが少なくありません。

「12の禁止令」と「5つのドライバー」によって形成された人生脚本は、その人の生き方に大きな影響を及ぼします。

「どのような人生を歩むか?」が決まる人生脚本には、下記の3種が存在します。

・勝者の脚本→遺憾なくポテンシャルを発揮し充実した生き方ができる脚本

・平凡な脚本→
勝ったり負けたりを繰り返す、平均的な脚本

・敗者の脚本→
自分に自信がないゆえ回避的な行動をとり続ける非建設的な脚本

人生脚本の書き換えは可能ですが、6歳までに固定化されることも多いそうです。

冬彦さんみたいな知人にドン引き…

20代の頃に交流のあった男性で、親から猫可愛がりされてた人がいました。

彼の家に遊びに行った途端、母親との距離感の近さに「なんや、これは!?」と違和感を覚えたのですが、まあ言っちゃえば冬彦さんとお母さんみたいな関係でした(笑)

何年かに一度、彼と会っていたのですが、色々「これしたい、あれしたい」と言うものの、仕事もせず家にお金も入れない姿を見て、たまらなくなり「そろそろ実家を出たら?」と伝えました。

しかし、すごい勢いでブンブン首を横に振られ「それだけはできん!」と断固拒否。

お母さんが依存的な人で、息子が成人したにもかかわらず、完全に彼を小さな子供のように扱っているため、三十路を超えても彼は大人になることを拒否し続けていたのです。

お母さん自身も寂しさを、ただならぬ寂しさを抱えているように映りました。

やがて僕は彼と会うのがしんどくなり、今では疎遠に。

自立、自活していれば嬉しいのですが、四十路を超えてリアル冬彦さんみたいになっていたら、かなりのホラーです。

自己肯定感は笑点の座布団枚数のように変動しやすい!?

さて今年から『笑点』の新メンバーに春風亭一之輔さんが入られました。

『笑点』といえば、上手い回答をすれば座布団が増えていき、反対に品のない回答や司会者をディするようなことを言うと座布団が減ります。

自己肯定感は、『笑点』の座布団のようなもののようなものなのかもと思います。

誰でも「心の山田くん」が存在しており、自分を肯定できるような経験ができれば「おっ、いいね!」と、自己肯定感座布団が増加。

しかし何かやらかしたり人からネガティブなことを言われたり、「自分はダメなヤツだ」と自己否定感が生まれでもすれば「心の山田くん」が、自己肯定感座布団を没収。

下手したら山田君が「この座布団、全部持っていくよ」と全没収になることさえります。

つまり、自己肯定感なんてものはあくまで主観的なものであり「日々、結構、変動するのでは?」ということ。

その日のコンディションによって「今日は何かやれそうだ!」と意欲的になれるときもあれば、「めっちゃ眠い。今日は無理~」となることも。

コンディションも自己肯定感に深く関与しています。

そして出来事や経験をどのように解釈するのかは、その人の自由で主観的。

ただし主観に偏りすぎると、自己肯定感はやたら高いが客観性の欠如したひとりよがりの困ったヤツになりかねません。

成果を出したときに、すぐマウントをとったり人を見下そうとする人間は、自己肯定感が不自然に高すぎる傾向があり、誇大自己と呼ばれるタイプですね。

誇大性は、非現実的な優越感(他者よりも優れたポジション)を指しており、ファンタジーを多分に含んでいます。

誇大性は「劣等感が強く、歪んだ自己愛を持つ者が軽蔑、劣等感、独自性を用いて他人を見る時に発生する」と言われています。

これは自分の精神の均衡を保つための、自己防衛本能によるものですね。

自己評価と他者からのその人の評価がある程度、一致していた方が、コミュニケーションはスムーズですし、社会との折り合いもつけやすくなります。

自己を肯定する作業は、確かに主観的ですが、その根底にある自己肯定感や自分を大切に思う自尊感情は、どのようにして育まれるのでしょうか?

きっと幼少期の家族の声掛け、周囲の人の声掛けによるものだと思われます。

この肯定感のベースが築かれていないと、なかなか自己肯定感座布団は溜まっていかないものなのです。


家族ではなく他人が肯定してくれることも

もし身近に「お前なんかに価値がない」と、交流分析でいうマイナスに働く禁止令を刷り込んでくる人がいると、人生はなかなかハードモード。

毒親と称される人達の洗脳メッセージのひとつに「Please me(私を喜ばせよ)」というものがあります。

これは歪な自己愛を持つ人が発する、メッセージ。

この「Please me(私を喜ばせよ)」のメッセージを発してくる人が近くにいる場合は、早急にその場を離れた方がいいですね。

心根の優しい人、人に尽くしたいと考える人ほど、「Please me(私を喜ばせよ)」の発信者の餌食になりやすいので。

しかし、土台の自己肯定感、自尊感情が低ければ、行動力自体が生まれないので、前記した僕の知人男性のように「ずっと、実家にい続ける」という選択をとりがち。

もちろん実家にいること自体が悪いのではありません。

親の取り込み行為に気づかず、経験を重ねようとしないことへの危機感のなさこそが問題なのです。

外の世界に踏み出せば、仲間はできますし、自分の長所を伝えてくれる人ともたくさん出会えます。

行動を起こすことで外の世界を知り「世の中には自分の味方がこんなにいるんだ!」と心から実感できれば、人生は加速度的に充実したものになっていくでしょう。

全く流れに関係ないですが、なんだかシリアスになりすぎたので最後に、犬の二人羽織動画を貼り付けて終わります(笑)


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