「芥川賞作家になって人生を逆転させる!」と叫ぶ彼女の葛藤!凡庸な自分を受容すれば道は開ける
「芥川賞作家になるのは、私にとって唯一の救いであり希望です。私たちの界隈では文学で人生の一発逆転を狙う人は多いのです。だからあきらめず書き続けます。ただし、まだ一作も完成させられてませんが…」
詳細は伏せるが、これは知人に誘われ「生きづらい人たちの集い」のような催しに参加した際、登壇者の女性が口にした言葉だ。
彼女の最後の自虐台詞「まだ一作も完成させられてませんが…」のところで、失笑が起こったが発言者の女性の言葉に「わかる、わかる」とうなずき共感を示す者も少なからずいた。
人生の一発逆転のために、世間が認めるステイタスを手にして「どうだ、見たか!?」と自分を証明したいと願う人は結構多いのではないか。
気になるのは「人生の一発逆転」というキーワードだ。
今の自分の価値を認められている人は、一発逆転という発想は出てこない。
逆転というのは、窮地に追い込まれている人から出る言葉である。
野球で例えると、最終回の9回裏に3対0で負けており2アウトであとアウトひとつで試合終了だが、ランナーが3人出ているので、ホームランさえ出れば逆転勝利…みたいな感じ、ホームランさえ出れば…。
10代、20代の頃、僕は天才になりたかった。特別でありたかった。ちやほやされたかったし、賞賛を浴びたかった。
こじれた承認欲求を持っており、自分よりセンスがあったり行動できている人間の存在が疎ましくてしかたなかったのだ。
40代に入り、自分が力を発揮できることとできないことが浮き彫りになる。
これまでは、能力を発揮できないところで勝負を挑み「なんて自分はダメなやつだ」と、そこで自己嫌悪に陥ることが多かった。負のループである。
「大谷翔平、藤井聡太のような不世出の人物になりたい」と切望する若者は多いだろう。
憧れや強い思い自体は行動につながるし、チャレンジした数だけ学びがある。
つらいのは強迫的に「何者かにならなければ!」と自分を追い詰めることだ。
こじれる人ほど、自己理解と自己受容が苦手という実感を抱いている。
自分も過去に、散々こじれてねじれてきたからよくわかるが、まず「自分は何ができるのか?」そして「何ができないのか?」を知ることが重要。
そして、できることもできないことも含めてそれが自分だと受け入れられると楽になる。
誰かに賞賛されるためだけにとっている行動は、空々しい。
なぜなら他人軸ゆえに、いつまで経っても満たされることがないからだ。
世間的には成功していて有名な芸能人が、悲しい結末を迎える人も少なくない。
「なんであんなキラキラした成功者が、そんなことになるの!?」と驚きを隠せない人も多いはずだ。
イメージを切り売りするタレントは、自己受容する暇もなく資本主義のシステムの一環を担わされる。それゆえ「本当の自分って何なんだ?」と悩みやすいだろう。
「本当の自分とは?」という問いに対する答えを、自身で見出せなければ生きていて年々苦しくなるかもしれない。
今の世の中は誰かが誰かを洗脳しようという意図で発信される情報であふれている。
自己理解と自己受容をする際は、一旦一切の情報をシャットアウトすること。そしてこれまで生きてきた自分を見つめ直し、ひとつひとつ棚卸しすることだ。
西川きよしのモットーではないが「小さなことからコツコツと」って、めちゃくちゃ大切なのだ。
時間をかけて丁寧な棚卸しができれば「ポンコツなところがあるけど、こんな自分も悪くない」と受け入れられるだろう。
自己受容できたあなたは、自分を大事にできるようになっているし、以前よりも自信を持って行動できるようになっているはずだ。
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