HSC・過敏だった小学生時代の回顧「男らしさの呪い&臆病な自分を隠さねば…」
僕は、昆虫採集などのひとり遊びに没頭するのが好きな少年だった。
しかし、同級生との遊びも嫌ではなかったので一緒に球技をしたり、数人で遊びに行くことも珍しくなかった。
ギャングエイジという言葉がある。
小学校の高学年になると、同性だけの集団を作り始め親や学校の先生よりも友人をを大切にし始める時期をギャングエイジと呼ぶ。
男子のギャングエイジの延長に、ホモソーシャル文化があるような気もしている。
同世代の女子はゴム跳びなど、男子よりも平和な遊びをしていた記憶がある。
一方、男子はやんちゃだ。
自然豊かな環境だったので山の中を探検したり、自転車に乗って遠出をしたりアクティブな遊びに目覚める。仲間たちと木を切ったり、段ボールを独自で調達して、よく秘密基地を作ったものだ。
僕はその頃、京都の田舎に住んでいたのだが、国道一号線沿いにゲームセンターやボーリング場などの遊技場があったため、男友だちとの移動は自転車に乗り国道一号線を移動することが多かった。
大きな車がビュンビュン行き交う中、路肩の狭いスペースを自転車で走る。
これが毎回、怖くてしかたなかった。しかし口が裂けても「怖い」とは言えなかった。
しかしギャングエイジの頃に「怖い」は禁句なのだ。
弱みをさらけ出すことは、バカにされることと同じだ。
プライドが傷つくのを恐れて、できるだけ怖くないフリをし続けた。
今振り返ると、こういう強がりが「男らしさの呪い」の種になるのだろう。
当時はジェンダーの概念がまだなく、同級生の母親はほとんど専業主婦だったように思う。
「男は一歩外に出たら強くあれ」「男は勝ってこそ価値がある」という風潮がまだまだ強かった。
僕の生来の性質は臆病だし、抜けたところが多いポンコツっぽい人間だ。
こういう部分をさらけ出せるようになったのは、中年以降かもしれない。
人一倍、臆病だったが「それを悟られちゃいけない」と強がり続けた。
いつからか睡眠中に歯ぎしりをするようになり、どんどん歯が磨り減っていったがそれだけ無理をしていた証拠なのだろう。
子ども時代の自分に声を掛けるなら「臆病でもいい」「そのままのあなたで全然、問題ないよ」と言ってあげたい。
昆虫採集に没頭している時間が尊かったのは、「男らしくあれ」という呪いから解放される、束の間の瞬間だったのもあるだろう。
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