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横柄、尊大に振る舞い続けた人の「コミュニケーション負債」に関する考察

かつての僕は、尊大に振る舞う人に囲まれていた。

自分が呼び寄せていたのだろうが、自己愛ホイホイ体質であることが人生の苦しみの要因だった。

2023年3月13日に、体内に宿るルサンチマンを吐き出しながら執筆したのが『自己愛者7名の末路』だった。

20代、30代と多くのナルシストからターゲットにされてきた経験を記したのだが、奇妙なことにkindle書籍を1冊書き上げとカタルシスが生まれ、積年の恨みがすっと晴れた。

書き切ることより、昇華できたのだ。

最近、興味深いことを耳にした

「モラハラ、パワハラを続けた自己愛者が晩年どんどん孤立し生き地獄を味わっている」という噂が結構な数、聞こえてくるのだ。

横柄に振る舞った人ほど「コミュニケーション負債」で苦労する。

負債には「返済の義務を負うこと。また、その借りたもの」という意味がある。平たくいえば借金のことだ。

以前、NHKスペシャルで『睡眠負債が危ない~“ちょっと寝不足”が命を縮める~ 』が放送されて話題になった。

睡眠負債だけでなく、コミュニケーション負債もあなどれないものである。

若くして夭逝するのなら別だが、多くの人は何十年も生きる。

その期間、長期に渡って勝ち続けることなど誰にもできないのだ。

どんな大天才でも必ずいつか衰えるし、負けるときがくるものだ。

勢いがあるとき、勝ち続けているときほど謙虚に振る舞った方がいい。

結果を出せているときに我が物顔でマウントを続けてきた人間ほど、必ずあとでしっぺ返しを食らう。

横柄に振る舞うこと、偉そうな言動を続けることは敵を作り続けることでもある。

年齢を重ねるごとに敵が増える人もいるようだが、自分に置き換えるとぞっとする。

毎年毎年、敵が増え続けていくのは地獄という他ない。

むやみに恨みは買わない方がいい。

尊大な行いをした人が「昔の自分はあなたに申し訳ないことをした。どうか許してほしい」と平身低頭したところで、許してもらえるかどうかは相手の気持ち次第だ。

老いた毒親が、子どもに許しを乞うても許されるとは限らない。

しかし散々、人を傷つけた人が許されるかどうかは運次第だろう。

よほど器の大きいなら「過ぎたことを気にしてもしかたがない」と慈しんでくれるかもしれない。

しかし多くの人間は、やられたことを鮮明に覚えている。

いじめっこはいじめたことをすぐに忘れていても、いじめられた方はずっとその傷の痛みに苦しむように、傷つけられた側はいつまでも覚えていることが少なくない。

いじめを受けた側は、いじめられたことをきっと一生涯覚えている。

「情けは人の為ならず」という言葉があるが、人にしたことはやがて自分に返ってくる。

それは良い行いだけではなく、悪い行いも同じなのだろう。

「コミュニケーション負債」を抱えた人の晩年が孤独になりがちなのは、それだけ恨みを買う行為を重ねたからかもしれない。

繰り返しになるが、人生でずっと勝ち続けることは不可能だ。

どんな成功も誰かの手助けやサポートが関与している。

応援してくれる、ありがたい存在があるからこそ輝けるのだ。

それを忘れたとき、人間は醜悪になる。

「自分ひとりの力で成功を手にした」と心底、思い込める人は、往々にして自己陶酔を起こしやすく、晩節を汚しやすい。

感謝の念が薄いのだろう。

「コミュニケーション負債」に関しては、今後さらに深堀できそうな予感もあるので、さらに取材を続けてみたい。

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