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自己愛者の暴言「Wikipediaに名前がないヤツに価値なし!」に傷ついていた頃の話

度々、僕のnoteにはライターになる前に通っていたふたつのスクールの話が出てくる。

最初に通ったライタースクールは、ミスターモラハラ、ミスターパワハラ、「ハラスメントの総合商社」といっても過言ではない男性ライターに師事していた。

死屍累々の環境で、ものの見事に将来有望な若者が潰れていった。

モラハラ先生は、過激な言葉を好む。

今ならわかる。

乱暴な物言いで相手が大切にしている価値観を壊して、洗脳したかったのだろう。

彼の発言で印象的な言葉、それは「Wikipediaに名前がないヤツは人間的価値がない」というもの。

繰り返しこの言葉を言われると、みんなこの暴言がその通りだと思い込むようになるので怖い。

彼は「ライターは作品さえよければ、殺人犯になっても問題がない。人間性など磨くな。手段は選ばなくていい。人を傷つけてもいいから、とにかく文章で人に衝撃を与えよ」と度々、言い放っていた。

今こうして列挙してみると「人間的価値がない」という言葉と「人間性など磨くな」という言葉に矛盾を感じるが、こうしたダブルバインドは、洗脳者が意図的に用いる常套的な手法である。

彼の論理では、地道にこつこつ丁寧に日々を積み上げている目立たない人よりも、人を殺め自身の承認欲求を満たすために「絶歌」を出版した元少年Aのような人間に価値があるということだ。

「悪名は無名に勝る」それがパワハラ先生の主張だった。

一時期、パワハラ先生にどっぷりと洗脳されてしまった僕だが、そもそも誰に対してもマウントをとり「俺だけが偉い」という主張が僕には全くもってフィットしなかったことに、数年経ってから気づいた。

近年、自分の心が望むような生き方をしたいと考えるようになり、水のように流れるような力の抜けた暮らしを心がけている。

その結果、自分の心に響くものを自然と受け入れられるようになった。

重い話が続いたので、心温まる話を書こう。

アルコール依存症で苦しんでいたある男性が、周囲のサポートにより5年間一滴もお酒を飲まない暮らしを続けることができた。

彼は温かい声掛けをしてくれる周りの人に、感謝を抱くようになり、5年間断酒できた記念に高級なお菓子を購入して、支えてくれた人に「いつも本当にありがとう」と伝えながら手渡した。

そのときの写真を見せてもらったが、男性の表情から感謝の念が自然と伝わる温かい場面が収められていた。

こちらの男性は、世間でいうところの名の知られていないひとりだろう。

決して裕福な状態ではないのに「何かお礼をしたい」という一心で、お菓子の購入を決めたという。

僕はこの断酒に成功した男性のことをずっと忘れないだろう。しっかり心に刻んだからだ。

パワハラ先生は「例え刃物を振り回して人を傷つけても、強いインパクトで他者の興味を引いて、有名になったヤツが偉い」と口にしていた。
しかし僕の中では地道な暮らしを積み重ねて、周囲の人に感謝を伝えられる断酒した男性の方に価値を感じる。何より彼の方が人間的に好きだ。

「どんなやり方であろうと、多くの人にインパクトを与えてほんの一瞬でも有名になればいい」。

こういう生き方を他人軸と呼ぶ。

人からの評価に依存せず、自分本来の道を歩むことを自分軸と呼ぶ。

SNSは、他人軸の人間を量産する装置かもしれない。

派手がよくて地味が悪いなんていうのは、誰かが広めた価値観に過ぎない。

時間は有限だ。最も大事にすべきリソースは寿命である。

歪な自己愛者の妄言を真に受けて、傷ついている時間がもったいない。

最初から取り合わなくていいのだ。

「自分が本当に何を求めているか?」を自身に問い続けることで、あなたの答えは必ず見つかる。

何も心配はいらない。

全ては諸行無常。有名、無名に限らず生きとし生ける者すべてがいずれ命を失うし、みんな平等に忘れさられるのだから。

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