ストレス0が逆にストレス⁉「高校時代の夏休み、全てから解放されたのに病みかけた話」
先日、つらかった高校時代の記事を投稿した。
HSP気質の自分にとって、体の大きいスポーツ推薦の荒くれものたちが集う高校生活はストレスしかなかった。
しかし夏休みや冬休みは、長期間その暮らしから解放される。
僕は帰宅部だったので、自分だけのためにたっぷり時間を使うことができた。
夏休みの最初の数日は、すごい解放感があったのを覚えている。
「ひゃっほー!」と叫びたいたいほど気分が高揚して「しばらく学校に行かなくていいんだ」と嬉しい気持ちに包まれた。
漫画を読んだりゲームをしたりと、やりたいことをやりたいだけやった。
誰もそれを咎める者はいない。
しかし、そういった暮らし自体が今度、ストレスになっていったのだ。
当時はわからなかったが、ストレスがないことがストレスになっていたのだろう。
人間は負荷をかかることで緊張感が生まれ凛とできる。
しかし、全く負荷のない状態だとゆるみっぱなしでやる気も起きない。
当時は特にやりたいことも、目標もなかったのでひたすら自堕落な日々を過ぎしていたと思う。
noteを始める前の数年間、僕はワーカホリック(仕事中毒)のようになり、休みを設けず興奮と高揚の日々を送っていた。
こういった生活の根っこには「無目的でだらけた暮らしに戻りたくない」という不安があったのかもしれない。
結果、休みを設けることなく働き続け、あやうくバーンアウトしかけた。
どうやら負荷がかかり過ぎてもいけないし、全く負荷がなくてもつらいのが人間という生き物らしい。
よくFIREをして一切に労働から解放された人が「何のストレスもない暮らしが逆に辛い」となって、また仕事に復帰する話をYouTubeなどで耳にする。
わかる気がする。
課題や目標がありそれをクリアしたり「どうすれば解決できるのか?」など思案するというのは、人間にとっての生きがいなのだ。
高校時代の僕はそれを全く理解せずに、時間を溶かしてしまった。
しかし「ストレス0は逆にストレスになる」とわかったのは、体験を通しての大きな学びになっている。
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