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日本は未だ軍隊式教育が根強い!?行進の練習を見て、ぞっとした話

以前あるボランティアに参加したときの話。

そこのボスはバリバリの体育会系の男性だった。彼はボランティア集団への忠誠を求めてきた。

ボスは僕を指導したがった。「この集団に属する以上、ここへの愛を誓ってもらわないと困る」というスタンスだった。

僕は彼のことを尊敬していなかったし、好きでもなかった。

彼の自慢話が延々と垂れ流される会議が苦痛だった。

なにより「忠誠心など、人から押し付けられるものではない」と考えていた僕は、「ああ、なるほどですねえ」とボスの指導をのらりくらりと交わし続けていた。

今まで従順な人間ばかりが入ってきたので、僕のように納得したことしかやらないマイペースな人間を、彼は許せなかったのだろう。

ボスはついに激高し「お前のような異分子は許せん!」と僕を詰め出した。

バトルをしても、しかたがない。彼も僕も「自分の価値観を大事にしたい」という思いは同じだ。

色々と言われたが「鬱陶しい熱血漢やなあ。知らんがな」としか感じず、「短い期間でしたが、お世話になりました」と、頭を下げてその集団から抜けた。

話が変わるが、この前、平日の日中、公園でぼうっとひとりベンチに座って缶コーヒーを飲んでいた。

公園の隣に学校があり、生徒たちはグラウンドで行進の練習をしていた。

炎天下、子供達が一糸乱れず行進を続けている。

僕は学校という場から離れて、20年以上が経過しているおっさんなので「うわっ、これ完全に軍隊やん!」と心の中でツッコミを入れていた。

そういえばランドセルは、軍隊で用いられた「背嚢(はいのう)」が起源らしい。

朝礼、組体操なども、軍隊教育の影響を感じる。

「集団を動かす際に、規律が必要」、これは間違いない。

仕切る側からすると、個々の意見や主張などは邪魔でしかないだろう。

指令どおりに動いてくれる駒、部品になってもらわないと統率がとりづらい。

僕は軍隊式のやり方を、全否定しているのではない。

命の危険が伴う場なので連携をとるためには、必要になることも多いだろう。

しかし、令和の現代に全てを軍隊式で遂行するのはさすがに時代遅れ。

僕は学生時代、全体の部品になりモブ的に生きるのが癖づいていたが、フリーランスになってからは、「主張すべきところは主張しないと生き残れない」と気づいた。

なんでも言いなりになっていたら、疲弊し精神が削られていくので、とても持たない。

尊い自分を守りたいという思いが芽生え、自尊感情も高くなっていった。

自分の気持ちに正直に生きるようになったことで、納得できないことを強いられた際、強い抵抗を覚えるようになった。

「考えるな感じろ」は良い言葉だと思うが、「考えるな。この俺が言ってるんだから、とりあえずやれ」には今でも激しい抵抗感を覚える。

軍隊式教育の弊害は、自分の頭で考える能力を奪うところかもしれない。

こちらの記事を書きながら思い出した。

朝礼で先生の長話を聴くのが苦痛でしかたなかった。貧血でぶったおれる生徒が時折いたが、あれは「こんなもの苦行でしかないから、やめてほしい」という身体的な抵抗反応だったのではないだろうか?

高い位置から生徒に長話を聴かせる場合、「3分に1回は笑いを入れてほしい」というのは、さすがに要求しすぎか。

高座から偉そうに教え諭す人間よりも、自身の失敗談やユーモアを交えた話ができる人間が僕は大好きだ。

色々書いて気づいたが、きっと僕はゴリゴリの縦関係の序列に強いアレルギーがある。

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