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月記(2023.08)

8月のはなし。

〔写真:OLYMPUS XA2 & Kodak Gold 200〕



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めっちゃ夏。ずっと夏にボコボコにされていた。



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お盆、というやつがこの日本にある。誰がいちばんおもしろい精霊馬をつくれるかを競う期間だ。速さはさしたる問題ではない。乗り心地もあんまり関係ない。おもしろいかどうかだ。今この現世において、ろくでもない熱さの中で不機嫌になっている我々が、いかにおもしろがれるかどうかだ。それこそが問題なのだ。

とはいいつつ、炎天下での墓参りの記憶はそんなに簡単に失われるものでもない。そういえば、唯一僕が熱中症のような症状で倒れたのは、祖母の納骨式のときだった気がする。時期的に真夏ではないはずなのだけど、まあ初見プレイだったから何かしらミスがあったのだろう。

なんだか罰当たりな文章を書いている。こうして自らを「罰当たり」と称することこそ、ご先祖様を都合よく利用するということに他ならない。とは言われても、僕が思い出せるのはせいぜい曾祖母までで、それ以前の「ご先祖様」については声色もなにも知らないので、なんとも言えない。あと知ってる「ご先祖様」の多くは寒い時期に向こうにいったので、僕にとっては冬のほうがそういう雰囲気を感じる季節だったりもする。

こんなことを書いているが、僕は精霊馬をつくったことがない。お盆における僕のおもしろさは、今のところ未知数だ。そういえば精霊馬ではないが、祖父はどこからか拾ってきた木片をアレコレ組み合わせた「謎馬」をつくって遊んでいた。どう考えても祖父が乗ってくる精霊馬のほうがおもしろいに決まっている。祖父が向こうにいったのも冬のことだったが、やっぱり帰るなら夏じゃないとな、とか思っているのだろうか。まあ、そういうものだと思ってきたし、そういうことになっているんだろう。あと、祖父の納骨式は納骨堂で行われたので、ひどく快適だった。まあ祖父がそれでいいと言っていたので、それでよかったんだろう。



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いきなり「お盆」について書いてしまうくらい、あまりにも、ただ生きるしかなかった月だった。それこそ僕の趣味のひとつであるライブにすら、ただの一回も行けずじまいだった。いや、世間一般では月一でコンスタントにライブを見に行く時点で相当な物好きなんだろう。見に行ける時点で相当に恵まれているのだろう。そしてその環境を活用しないことは、ここ何年か定期的に槍玉にあげられる某資本のムダ遣いなのかもしれない。



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BUMP OF CHICKENの『ハルジオン』という曲がある。何回聴いたかわからないが、この曲をずっと好きでいてよかったなぁ、と思っている。

『ハルジオン』は、かの有名な『天体観測』の次に発売されたシングルの表題曲であり、前者とともにアルバム『jupiter』に収録されている。ボーカル・藤原が息を吸い、すこし歪んだギターがかき鳴らされて始まる、疾走感あふれるロックナンバー、というやつだ。

バンプの曲を聴く人の多くは、やはり歌詞に注目するものだと思う。僕はあんまり歌詞を聞き取るのが得意ではないのだけれど、バンプの曲は珍しく覚えている歌詞が多い。国語の教科書に載っていた、やけに覚えている話とか、なんかそういう類のものと似ている。

『ハルジオン』の歌詞は強引にまとめると「何度でも花は咲く」という物語であり、「花」は「生きる意味」とか「信念」などの象徴だ。特筆して斬新なテーマというわけではない。もちろん歌詞表現の特徴はあるのだが、それは重要なポイントではないと思う。この歌詞の一番の良さは、わかりやすいということだ。「何度でも花は咲く」というテーマがあり、そこに至るまでの物語展開が、曲展開とともにスッと入ってくる。わかりやすいからこそ、この曲は人に覚えられるし、忘れられにくいのだ。

僕がバンプの歌詞をあまり忘れずにいられる理由のひとつは、こうしたわかりやすさのおかげだと思っている。忘れないから、思い出しやすい。部分的に忘れても、曲を聴いていればすぐに思い出せる。そしてなにかを思い出すときというのは、新たな気づきを得るチャンスでもある。

『ハルジオン』は「花」の曲だった。風に揺らぐ「花」、枯れてしまった「花」、広がる水たまり、触れられない「虹」。これらの目に見えるイメージは、初めてこの曲を聴いたときから僕のなかに伝わり、忘れることなく残っていた。それでも2023年の8月になって、僕の中のこの曲に新しいイメージが飛び込んできた。

最後のサビで歌われる一節、『僕の中に深く根を張る』。これは、この曲のなかで歌われる数少ない、目に見えない地中のイメージだった。言われてみればなんともないことで、斬新でもなんでもないありふれたイメージなのだが、何回聴いたかわからない『ハルジオン』という曲から新しい発見をしたことに、僕は感動してしまった。この曲は『揺るぎない信念なら』と締めくくられる。この「花」が揺るがないのは、その「根」が深く張っているからだ。この「花」が枯れても枯れないのは、その「根」が何度でも水や栄養を吸い上げるからだ。

やっぱり『ハルジオン』は「花」の曲だった。ただ今回新しくわかったのは、「花」というのは地表に見える部分だけが「花」ではないということだ。こんなことは理科の教科書に書いてあったはずの知識で、いい大人がわざわざテキストに起こすような発見ではないはずなのだが、あいにく僕にとっては新しく、感動すべき8月の出来事だった。






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