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LIGHTHOUSEが沁みた話

エンタの神様で見た春日は、死んだ父にそっくりだった。

オードリーを初めて見た時、愕然とした。
もちろん全くの別人なのだが、クソガキだった私は、父が死んだふりをして芸人になったのかと本気で混乱したものだった。

あれから20年弱。
LIGHTHOUSEは、個人的事情によりどうしても見なければいけないコンテンツだった。

春日の相方・若林のちょっとひねくれたところとユーモアがずっと好きだった。ラジオは気になりつつなかなか聴けていないけれど。エッセイでもその人柄が滲み出ていて、素敵である。

もう1人の出演者、星野源の暗さとしなやかさには何度も助けられた。彼の創作の原動力の一つは、昔からある心の闇と、何かを楽しく乗り越える底抜けの明るさだと思う。特に、Crazy Crazy、地獄でなぜ悪い、SUNは辛い時期を一緒に乗り越えてくれた大切な曲だ。


いろんな人から良い良いと聞いていたけれど、改めてLIGHTHOUSEを見てみて、みんなどういう気持ちでこの番組を見ていたんだろう、とふと気になった。


こういう人もいるんだと第三者的に観察する人。
そういう生きづらさわかるなと共感する人。

私は、本当に半分半分だった。


その状況でこの人たちはこんな感じ方をするんだ、と人類のうちの一部のサンプルを見せられている感覚になるところ、それと、ああ!本当にその通りだった、と胸を一思いに貫かれるようなところ。

共感したところで言うと、例えば、確固たる自分として強くありたいと思った時、まずは物理的に武装してしまうところ。

私は少し気が立っている時、あるいは緊張感と戦う時、ちょっとスレた音楽を聴いて、強めのファッションを着て、性格的にもハードモードスイッチがONになる。

あとは、嫌いな気持ちをどう処理したら良いのか、私もわからない。

私の場合は嫌いと思い始めてる時には自分の気持ちに鈍感で気づいていなくて、のほほんと生きている間に水面下でフラストレーションが膨張し、遂に嫌悪感を自覚した時にはもう救いようのないくらい大嫌いになっていることがある。

ハッとしたのは、多様性を認める例として若林の挙げた、ピース綾部の「お前そっち側だもんな」という言葉。

一見自分と相手の間に線を引く冷たい言葉にも聞こえるが、そっちはそっち、こっちはこっち、で棲み分けることを是とする考えが根底にあるゆえの言葉なんだと思う。


一方で、彼らみたいに世の中全てを恨んだことはあまりないし、やっぱりそういう点では私は彼らよりは比較的根ポジなんだろう。



でも私は、彼らのような、人に共感してもらえるかどうか微妙な生きづらさの中で、必死にもがいてなんとか生きていく人間に心底惹かれるんだとおもう。なんでこんなにも強く惹きつけられるんだろうと、不思議で仕方がない。


彼らにとどまらず、素晴らしい芸術や創作は往々にして、悲痛な経験や将来への不安、絶望から爆誕するものなんだと思う。私はそういうアーティスティックな人間に心を奪われがちで、自分はこうはなれないという現実を突きつけられ、その都度落胆する。

こういう人種(私からするといわゆる「そっち側」の人)を目の当たりにすると、太宰治の東京八景の一文を思い出す。

人間のプライドの窮極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、と言い切れる自覚ではないか。

太宰治『東京八景』より

創作の意地というか、生み出す人のプライドは、死ぬ気で向き合って、死ぬ気でもがいて、死ぬ気で生きてきたと言い切れる自覚なのだと思う。



LIGHTHOUSEを通して感じたのは、不安や悩みをきれいに整理整頓して分析して言語化するまでもなく、ぽろぽろと無秩序に溢れ出てくる言葉を、一緒に拾って、一緒に積み上げて考えてくれる人が誰にでも必要であるということ。

きっと、こういう地道な作業を気兼ねなくできる相手を持てたらと、多くの視聴者が私と同じように思ったのではないか。

わたしにも、ありがたいことになんでも話したいひとが何人かいる。

そして、自分自身も周囲の人にとってそういう存在でありたいと心の底から思う。

「もう飽きた」の件で星野源が若林にしてたことって、コーチングじゃないかなと思ったり。コーチングのコの字も知らんけど。


コーチング、学んでみたいなあ。

やっぱり、心と時間の余裕がないと、ぽろぽろと少しずつ溢れてくる言葉の中から本質的なことを見出すことって難しいと思う。今の自分はどれだけ余裕を持てているのだろう(いや全く持てていない)。

この間訪れた知床の広大な大地、樹木の育つ数百年というスケール、あとはずーっと同じギャグをテレビで披露し続ける春日の持久力に思いを馳せながら、人にも自分にもゆったりと向き合う時間を持ちたいと思いつつ、朝晩の秋風が肌に染みる今日この頃です。

知床五湖から見える知床連山

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